MINIXとは、UNIXライクなオペレーティングシステムである。
オランダのコンピュータ科学・教授であるアンドリュー・タネンバウムによって1987年に開発された。
概要
UNIXのソースコードが非公開となった事を受け、OSの教材用としてUNIX互換システムを再設計して開発された。
当時のUNIXはほとんどがモノリシックカーネルで設計されていたのに対し、MINIXはマイクロカーネルを採用した事が設計上の特徴として挙げられる。
リリースから全てのソースコードが公開されていたが、タネンバウムによって「MINIXはあくまで教育用のホビーであり、実用が目的ではない」とされ、当初はオープンソースとしては扱っていなかった。(MINIXがBSDライセンスを採用したのは2000年になってからである)
実際、MINIXはコンパクトかつ非常に読みやすいソースコードで書かれている反面、仮想メモリが実装されていないなど、あくまで教材としての構成となっていた。
後にMINIXとは別のUNIX互換OSであるLinuxが広く普及したが、MINIXはあくまで教材OSとしての役割を果たしたと言われている。
MINIXとLinuxの関係
MINIXリリース後は、多くのMINIX使用者からタネンバウムに「MINIXを教育用ではなく実用的なOSにしよう」という要望・提言がなされた。
当時はUNIXがライセンスの問題からフリーでなかったため、フリーでかつ多機能を持つOSが強く求められていたためである。
MINIX利用者 「これって便利だから、もっと機能追加してフツーに使えるOSにしてよ」
タネンバウム 「いやいや、これって教育用だし・・・つーか、俺って教授だからぶっちゃけ興味ないし」
MINIX利用者 「えー、何とかしてよー」
しかしタネンバウムにはMINIXに新たな機能を追加する意向は無かった(当時、タネンバウムはBSDが普及すると考え、MINIXをわざわざBSDと競合させる必要を感じていなかった[1])。そのため、MINIXとは別にUNIX互換の実用OSを作ろうという動きが生まれたという。こうしてついに、1991年にリーナス・トーバルズによってLinuxカーネルが作られた。
Linuxのリリース後は、アンドリュー・タネンバウムとリーナス・トーバルズによって激論が交わされるようになった。
特にLinuxはモノリシックカーネル、MINIXはマイクロカーネルで設計されていたため、カーネルの設計について著名なエンジニアも多数加わっての議論にまで発展した。
タネンバウム 「ちょ・・・何で今さらモノリシックカーネルなんか使ってんのよ!」
リーナス 「いやいやいや、モノリシックカーネルは理論的に美しいのです(キリッ」
タネンバウム 「つーかIntel 80386なんて学生には買えないじゃん!何でこんなものに合わせて開発したの!?」
外野 「古いマシンに合わせてたら将来性に問題が出るっしょー」
外野 「新しいマシンを買う人にはいいんじゃね?」
タネンバウム 「そもそもx86系列にベッタリだと伸びないだろーよ・・・」
タネンバウム 「それに新しいマシンが普及する頃には、もっといいUNIXが使えるようになってるんじゃね?」
リーナス (やべー、結構大事になってきた・・・)
リーナス (めんどくさいし、タネンバウム教授にメール打って議論終わらせよ・・・)
しかしこうした議論の後、猛烈な勢いでIntel 80386プロセッサが普及し、このプロセッサ向けに構成されたLinuxにとっては好都合な環境となった。
そしてx86系列のプロセッサ以外にも、Linuxはどんどん移植されていった。
さらにUNIXは係争続きで、ライセンス上の問題を抱えている時期が長く続いた。
1992年にはBSDiからフリーな386BSDがリリースされたが、この386BSD自体のベースであった4.3BSD Net/2がUSL(UNIX Systems Laboratories)に訴えられてしまい、和解するまで2年ほど使えない状況だった・・・。
そしてタネンバウムの期待していたGNUカーネルについても、いつまで経っても開発されないままであった。
このような環境下でLinuxは広く普及し、タネンバウムの予想は外れた訳だが・・・、
タネンバウム 「MINIXを実用化しろという連中がいなくなって助かったわww リーナスGJ!!」
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関連項目
脚注
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