安藤守就(あんどう・もりなり 1503? ~ 1582)とは、美濃の戦国武将である。
稲葉一鉄・氏家卜全と並ぶ西美濃三人衆のひとり。美濃国・北方城主。出家後の号は「道足」。
竹中半兵衛の舅としても知られており、彼と共に斎藤龍興の稲葉山城を一時乗っ取った。
こうした経緯からもわかるように龍興との折り合いが悪く、三人衆の他二名と共に織田信長へと寝返り、以降は織田家臣として仕える。ところが1580年になって息子が武田に内通したとの疑惑をかけられ、追放されてしまった。
その2年後に本能寺の変で信長が斃れると、再起を期して一族とともに挙兵したが、かつての同僚・稲葉一鉄により鎮圧された。
本来の名字は伊賀氏。代々伊賀守の通称を名乗っており、伊賀伊賀守守就というクッソややこしい表記になることもある。安藤(安東とも書く)の名字を名乗るようになったのは守就の時からで、伊賀姓も引き続き併用している。
伊賀氏の本家は鎌倉幕府に仕えたが、美濃伊賀氏はその分流。稲葉氏はさらに途中で分かれた同族とされる。長きに渡って美濃に土着した一族だった。
父は伊賀定重。土岐頼芸に仕えていたが、斎藤道三が国盗りを起こすと斎藤家臣となった。1554年、道三の娘婿・織田信長が村木砦の戦いに赴く際には援軍として派遣され、那古野城の留守を守った(※まだこの頃は信長と敵対する織田信勝や織田信友も健在だった)。
だが翌々年に長良川の戦いが起こると、斎藤義龍に協力して道三を死に追い込んだ。この後も斎藤六宿老のひとりとして引き続き重用される。
だが斎藤龍興の時代になると、長井道利などの近臣たちと対立するようになっていく。その結果、娘婿の竹中半兵衛が稲葉山城をわずか16人で乗っ取るという電撃クーデターを起こすことになった。この時、安藤軍は稲葉山城下を包囲・制圧している。だが安藤・半兵衛らのクーデターには支持が集まらず、龍興に稲葉山城を返却せざるを得なかった。
こうして龍興との関係悪化は決定的なものとなり、信長の調略に応じて織田家へと寝返った。同じく西美濃三人衆と呼ばれた稲葉一鉄・氏家卜全も同時に寝返った事で、1567年、稲葉山城は陥落して美濃斎藤氏は滅亡した。
この後は織田家臣として各地を転戦した。ただ、既に60~70歳の高齢であり、文献によっては息子の安藤尚就(安藤定治、平左衛門尉)と業績が混同されていたりして、よく分からない部分もある。
だが、織田家に尽くしていたはずの安藤一族は、1580年、突然武田への内通を疑われて追放処分とされてしまう。内通していたのは守就とも尚就とも。だが実際のところは、大きくなった織田家の体制を整理していく上で、美濃に大きな勢力を持ち続けていた安藤(伊賀)一族の独立性が厄介になったのだろうと推測されている。同時期に織田の老臣である林秀貞や佐久間信盛といった面々も追放されている。
一族は稲葉一鉄のもとで蟄居の身となる。が、許されることなく時が過ぎ、2年後、本能寺の変で信長が横死する。
信長、および岐阜城主・織田信忠の死で美濃は大混乱に陥った。これを好機とみた守就は一族郎党と共に挙兵し、かつての居城である北方城を奪取する。だがまもなく稲葉一鉄の攻撃を受け、6月8日に自害に追い込まれた。尚就やその子・忠四郎なども死亡し、美濃伊賀氏は滅亡した。
ちなみに同様に信長に追放された老臣たちのその後はというと、林秀貞は追放の数か月後に病死、佐久間信盛も1582年初めに病死、丹羽氏勝は隠居して1597年まで生きた。守就は唯一自力での復活を志したが、本能寺後の混乱と野心の渦巻く中で散ることになった。
守就の弟・安藤郷氏(安藤守重)も共に北方城で死亡したが、その遺児は生き残った。郷氏の妻は山内一豊の姉で、その縁から一豊を頼り、山内姓を与えられ山内可氏を名乗る。以降、代々土佐藩の家老として仕えることになった。
なお、追放仲間の林秀貞の三男・林一吉も一豊を頼って土佐藩家老になっていたりする。林氏は稲葉氏の支流、つまり伊賀氏の支流の支流で遠い遠い親戚である。
シリーズを通して智謀特化タイプ。また稲葉山城乗っ取り→三人衆寝返り→最後の挙兵、といろいろやってるためか野望高め義理低めの作品も多く、引き抜きのターゲットにされることも。本能寺明智家では数少ないマトモな人材だがもう寿命が・・・。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 63 | 政治 | 75 | 魅力 | 65 | 野望 | 74 | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 48 | 政治 | 76 | 魅力 | 66 | 野望 | 59 | 教養 | 68 | ||||
覇王伝 | 采配 | 57 | 戦闘 | 46 | 智謀 | 79 | 政治 | 71 | 野望 | 74 | ||||
天翔記 | 戦才 | 140(B) | 智才 | 152(A) | 政才 | 128(B) | 魅力 | 52 | 野望 | 74 | ||||
将星録 | 戦闘 | 66 | 智謀 | 77 | 政治 | 65 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 50 | 戦闘 | 52 | 智謀 | 73 | 政治 | 63 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 47 | 智謀 | 69 | 政治 | 58 | 野望 | 71 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 41 | 知略 | 68 | 政治 | 50 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 40 | 知略 | 66 | 政治 | 52 | 教養 | 55 | ||||||
革新 | 統率 | 46 | 武勇 | 46 | 知略 | 74 | 政治 | 58 | ||||||
天道 | 統率 | 46 | 武勇 | 46 | 知略 | 74 | 政治 | 58 | ||||||
創造 | 統率 | 46 | 武勇 | 52 | 知略 | 73 | 政治 | 58 | ||||||
戦国立志伝 | 統率 | 46 | 武勇 | 52 | 知略 | 73 | 政治 | 58 |
掲示板
2 ななしのよっしん
2021/04/08(木) 13:16:31 ID: KJnpatM7a1
信長の野望だと政治・智謀寄りの能力設定だけど
信長に降ってからは主要合戦にはほぼ参戦しているし
羽柴や柴田の援軍で播磨・摂津・加賀と
あっちこっちに転戦してて休む暇がない
筒井順慶とかもそうだけど信長が意図的に磨り潰す目的で
あっちこっち地元の統治に専念できないくらい
休みを与えず引っ張りまわしてんじゃねえかって
疑いたくなるくらい。
なので林や佐久間と同じように活躍がなかったから
追放されたというより、美濃・尾張地域に
根強い勢力を持ち続けた、というのが
排除の理由な気がするな…
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
3 ななしのよっしん
2022/03/18(金) 17:36:29 ID: 2mTwcenHEf
太閤立志伝の一作目だと技能面が悲惨なことになってるんだよな
だから一鉄や卜全と違って引き抜いても暇を持て余してることが多い
4 ななしのよっしん
2023/09/19(火) 15:59:58 ID: C2n4WbyORD
信長の野望でも評価が不遇というか、三人衆の中では活躍の場がない感じだね
政治か戦闘系なら一芸特化でも重宝するんだけどそこそこの知謀ってのが一番使い道がない
織田家からも斎藤家からも引き抜き工作で出ていきやすいが、姉小路家の小城の城主とかやってるのを見ると「それでいいのか?」って思ってしまう。
悪いのはコーエーの設定のせいではあるが
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最終更新:2024/05/11(土) 23:00
最終更新:2024/05/11(土) 23:00
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