ルディ・ディル・フリット(Rudi Dil "Ruud" Gullit, 1962年9月1日 - )とは、オランダ・アムステルダム出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。日本語表記が難しくグーリットと表記されることもある。
概要
オールラウンドな選手として知られ、フォワード、攻撃的ミッドフィルダー、リベロなどとゴールキーパー以外のポジションなら全てこなす。身体能力、テクニックがあり、キャプテンシーにも優れ、EURO 1988ではオランダ代表のキャプテンを務めている。ただ自由を好む性格ゆえに監督と衝突も多かった。
選手としてのキャリア
1979年に17歳でHFCハーレムでデビュー。フェイエノールト、PSV、ACミラン、サンプドリアなどで活躍した。とくにACミランでは、ファン・バステン、ライカールトともにオランダ・トライアングルを形成、3度のリーグ優勝、2度のチャンピオンズリーグ制覇など数々の栄光をもたらす。
チェルシーFCでは1996年からプレイングマネージャーとなり、1996/1997シーズンにはFAカップ優勝を果たす。1998年に現役を引退して監督専業となる。
代表でのキャリア
サッカーオランダ代表には、1981年にデビュー、EURO 1988、EURO 1992に出場。EURO 1988ではチームのキャプテンを務め優勝に貢献した。1990 FIFAワールドカップに出場。1994 FIFAワールドカップのときには当時の代表監督アドフォカートと衝突して出場を辞退している。
コーチとしてのキャリア
チェルシーで監督した後、ニューカッスル・ユナイテッド、フェイエノールト、ロサンゼルス・ギャラクシーなどの監督を務めた。ニューカッスルでのスローガン、セクシー・フットボールは有名である。2011年にロシアのFCテレク・グロズヌイの監督に就任。
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