イグナーツ・モシェレス(1794~1870)とは、19世紀に活躍した作曲家・ピアニストであり、フェリックス・メンデルスゾーンの師匠としてもおなじみの人物である。
プラハのユダヤ系商人の家に生まれた。父親が子供の誰かを音楽家にしたいという希望で彼が選ばれることになり、プラハ音楽院でベドルジフ・ディヴィシュ・ヴェベル[1]の指導を受けた。伝記によると頭角を現しつつあったベートーヴェンに熱狂したらしいが、彼の師であるヴェベルは保守的なモーツァルト派でバッハ、モーツァルトやクレメンティを徹底的に練習するようにさせたらしい。
父親の没後1808年に彼はウィーンに移った。そこではヨハン・ゲオルク・アルブレヒツベルガーに対位法を、アントニオ・サリエリに作曲を習う。
一方で当時はまだショパン、リスト、タールベルクといった一般的なヴィルトゥオーソの前の世代が活躍していた時代であり、モシェレスもその一人となっていったのである。彼はジャコモ・マイヤベーア、ヨハン・ネポムク・フンメルやフリードリヒ・カルクブレンナーと交流を重ねた一方、フンメル、カルクブレンナー、ヨハン・バプティスト・クラーマー、アンリ・エルツ、カール・マリア・フォン・ウェーバーはピアノのライバルでもあったのだ。
なお、ウィーン時代についにあこがれのベートーヴェンとの対面を果たしている。
その後モシェレスは演奏旅行に周り、イギリスではクレメンティから教えを受けている。しかしやがて、子供にピアノを教えてほしいというある人物からの依頼でベルリンに移る。その人物こそアブラハム・メンデルスゾーンであり、彼の弟子となったのがフェリックス・メンデルスゾーン、ファニー・メンデルスゾーンである。メンデルスゾーンとの交流は彼の弟子の中でも極めて密なものであり1848年にメンデルスゾーンが亡くなるまで続いていった。やがてメンデルスゾーンがライプツィヒ音楽院を築くとそこに招かれ、彼の没後はそのポストを引き継いでいる。
その他彼の教えを受けた存在としてはアントン・ルビンシテインやエドワード・ダンロイター、アレクサンドル・ミハウォフスキ、ズデニエフ・フィビヒ、エルンスト・ルドルフなどがいる。
メンデルスゾーンの師匠としてしか扱われてこなかった彼であるが、昨今のクラシック音楽を取り巻く環境において8曲のピアノ協奏曲すべてが録音されることになるなど、次第に彼自身も掘り起こされつつあるようだ。
上述したとおり最近ようやく注目されるようになった作曲家のため、まだ動画はないようだ。
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最終更新:2024/12/22(日) 03:00
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