ヘンリク・ヴィエニャフスキ(1835~1880)とは、19世紀に活躍したヴァイオリニスト、作曲家である。
ポーランド立憲王国のルブリンでユダヤ系の家に生まれた。早くからヴァイオリンにおいて優れた神童っぷりを見せ、フランス人でもなく9歳という幼い年齢にもかかわらず、パリ音楽院への入学を認められたという経歴を持つ。彼の兄:ヨセフもピアニストとして活躍し、よく二人で演奏旅行に出かけていったようだ。
作曲家としても才能を開花し、彼の「物語」が両親の結婚への反対を心変わりさせ、見事イザベラ・ハンプトンと結ばれたという伝説に彩られている。
アントン・ルビンシテインの誘いでサンクトペテルブルクに移り、1860年から1872年までロシア音楽協会のオーケストラと四重奏団に在籍したのみならず、教育活動も行い数多くの生徒を送りだした。さらに1872年から1874年にはルビンシテインと渡米し、彼と演奏旅行まで行ったのであった。1875年にはアンリ・ヴュータンから引き継ぎ、ブリュッセル国立音楽院のバイオリン科の教授にもなっている。
しかしやがて彼に病気の進行がみられ、しばしばツアーを中止することになっていく。そして1879年のロシアツアー中に限界を迎え、チャイコフスキーの主治医でおなじみのナジェジダ・フォン・メックの看病もむなしく、1880年に心臓発作で亡くなったのだ。
作曲家としては自演用のヴァイオリン曲が中心であり、特に彼のヴァイオリン協奏曲は1番、2番ともに技巧レベルも人気も高い。さらに教育者としてはウジェーヌ・イザイ、レオポルト・アウアーらを育て上げアウアー派(ドイツ派)形成の一助となったのであった。
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最終更新:2024/04/24(水) 06:00
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