佐々木秀義の息子で、佐々木四兄弟の四人目。『平家物語』である有名な場面があるため、おそらく一番有名人。
平治の乱で敗れ、近江を逃れ相模の渋谷重国のもとに居候していた父親に従い、家族そろって同地にいた。そこで源頼朝挙兵を知り、初戦で堤信遠、山木兼隆らの攻略に加わった。ただし、石橋山の戦いで敗走したのちは、再度渋谷荘でかくまわれている。
その後も源頼朝再起後も活躍していき、源義経が源義仲と戦った際、愛馬の生唼を伴い梶原景季と先陣争いを宇治川でしたことが、極めて有名である。
というわけで備前の守護となり、左衛門尉となった。とはいえ、彼は以後仏道に向かっていき、東大寺再建に尽力したり、建久6年(1195年)の出家後は西入と名乗り、建仁3年(1203年)の延暦寺と佐々木経高・佐々木盛綱の戦いのときは高野山から降りてきて、佐々木重綱の死を予言したりと、俗世と一線を画した存在としてふるまっていった。建保2年(1214年)に亡くなり、承久の乱での佐々木一族の大打撃を見ることはなかった。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2024/03/29(金) 14:00
最終更新:2024/03/29(金) 14:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。