佐々木高綱単語

ササキタカツナ

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佐々木高綱(?~1214)、鎌倉時代の武将である。

概要

佐々木秀義息子で、佐々木兄弟の四人。『平家物語』である有名な場面があるため、おそらく一番有名人

平治の乱で敗れ、近江を逃れ相模渋谷のもとに居候していた父親に従い、家族そろって同地にいた。そこで源頼朝挙兵を知り、初戦で信遠、山木兼隆らの攻略に加わった。ただし、石橋山の戦いで敗走したのちは、再度渋谷荘でかくまわれている。

その後も源頼朝再起後も活躍していき、源義経源義仲と戦った際、の生唼を伴い梶原季と先争いを宇治でしたことが、極めて有名である。

というわけで備前の守護となり、左衛門尉となった。とはいえ、彼は以後に向かっていき、東大寺再建に尽したり、建久6年(1195年)の出後は西入と名乗り、建仁3年(1203年)の延暦寺佐々木経高佐々木盛綱戦いのとき高野山から降りてきて、佐々木重綱の死を予言したりと、俗世と一線を画した存在としてふるまっていった。建保2年(1214年)に亡くなり、承久の乱での佐々木一族の大打撃を見ることはなかった。

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最終更新:2024/03/29(金) 14:00

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