佐々木秀義(1112~1184)とは、平安時代後期から鎌倉時代の武将である。
宇多源氏佐々木氏であり、鎌倉幕府に御家人として地歩を築いた佐々木四兄弟の父親。
宇多天皇の皇子・敦実親王が息子・源雅信の息子・源扶義を養子としたことに始まる一門である。さらに、近江守となった源扶義の息子・源成頼が近江国佐々木荘に入り、土着していった。
佐々木秀義は天永3年(1112年)に生まれ、源為義の娘を娶る等、清和源氏の内義家流河内源氏と親しい存在であった。しかし、平治の乱で源義朝に従って敗れ、陸奥の藤原秀衡を頼って東国に逃げ、相模で渋谷重国にとどめられて以後家族ともども居候となっていた。しかし、源頼朝蜂起を聞きつけ、これに与同。以後、息子たちが活躍していったのである。
ところが、父親である彼は、老齢ながら元暦元年(1184年)に伊賀平氏と戦い、敗死してしまった。『尊卑分脈』によると享年は73歳だが、三日平氏の乱は史料ごとに齟齬が激しいため、詳しい時期は若干揺れがある。
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最終更新:2024/04/26(金) 05:00
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