東日本大震災前は2面3線の駅だった。3番線は、上下各1本ずつ設定されていた特急の通過待避や、夜に2本あった当駅始発の列車に使用されていた。木造の駅舎はこの地域の常磐線によく見られたタイプで、目立った特徴こそないもののほどよくローカルな暖かみを備えていた。
駅前には、個人商店と小さなタクシー会社の元事務所があり、古びた集落がそれに続いていた。しかしこの駅前集落はこぢんまりとしたものであり、新地町の中心付近まで約1.2kmの間には青々とした田畑が広がっていた。
駅付近からは3本の県道が延び、町の中心部や周辺の集落とを連絡している。しかし周辺人口や駅の規模そのものが比較的小さいため、幹線道路らしい整備もあまりされておらず、全体に長閑な雰囲気を保っている。
駅の利用者としては、地元の通勤、通学客が大部分を占めている。しかし徒歩で簡単に移動できる範囲に海水浴場などがあることから、その利用者や釣客の姿なども時おり見受けられる。
東北地方太平洋沖地震発生時には、仙台駅発原ノ町駅行の4両編成、E721系0番台(P1+P19)が停車していた。しかし新地駅の周辺もまた、海岸寄りの県道沿い集落を全滅させた巨大津波に襲われ、列車は全て転覆、完全に破壊された。駅舎や周辺の古い集落もひとたまりもなかったものと思われる。
乗客は、たまたま乗車していた警察官2人の誘導により、地震ののちすぐさま新地町役場へと避難が試みられた。
駅付近では8m前後は有ったと思われる津波の高さも、役場付近では約1m以下にまで下がり、全員が無事に逃げ延びることができた。これは、新地町全体で100人を超える犠牲者が出てしまったことを考えれば、本当の意味で的確、かつ迅速な行動だったと結論付ける事ができる。
駅付近の建物もまた、使用不能となった跨線橋を残して全て流出。跡形も無くなった。津波の到達点となった駅北方の丘陵部には、いまだ原形残る民家の屋根や激流によりひしゃげられた乗用車などが多数流れ着き、目も当てられない状態だったという。
[空中写真評定図(国土地理院)より 新地駅周辺の航空写真(2011年3月12日撮影)]
[いつもNAVI(ゼンリン)より 新地駅周辺地図(参考)]
震災により駅施設はことごとく失われたが、停車中に転覆したE721系もまた全て廃車となり、4月中旬には現地で解体された。その後、使用不能となった跨線橋も撤去されたため、現地はプラットホームのみが廃虚のように残された状態となっていた。
また全戸が流失した駅前集落も再建されず、その敷地は、周辺地域から出た多量の残骸が積み上げられて仮置き場となっていた。
駅の修復については、防災的な観点から常磐線そのものを海岸から離して敷設しなおす事が検討され、2012年3月5日にはその正式な計画案が提出された。その後2014年春に駒ケ嶺〜浜吉田駅の移設・復旧工事が開始され、2016年12月10日に旧駅から300mほど内陸側に移設された2面2線の相対式地上駅として復旧した。
2011年4月12日より、不通となった常磐線のかわりに代行バスが運行していた。
しかしこのバスは集落が全て失われた駅周辺には立ち寄らず、駅から1kmほど西方の新地町役場付近に置かれたバス停に発着していたが、バス停名は駅と同じく「新地駅」であった。
なおこのバスには両替機、及びお釣の準備が無いため、乗車する時は前もって丁度の料金を用意する必要が有った。
このバスは新地駅復旧前日の2016年12月9日に運転終了となっている。
路線名 | 隣の駅 (上り 原ノ町駅方面) |
当駅 | 隣の駅 (下り 仙台駅方面) |
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■常磐線 | 駒ケ嶺駅 | 新地駅 | 坂元駅 |
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最終更新:2024/11/29(金) 09:00
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