李杋浩 単語

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イボムホ

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李杋浩(イ・ボムホ、1981年11月25日-)とは、韓国の元プロ野球選手である。

ポジション内野手三塁手)。第1回・第2回WBC韓国代表。

概要

1981年生まれ。韓国・大広域出身。『杋』は『木偏に』だが、環境依存文字の為、『』と表記されることがある。また、『ボムホ』はあくまで日本での登録名であり、正式な発音は『ボモ』。

2000年よりハンファ・イーグルスに所属。金泰均と共に活躍した。2004年2007年にかけて、全試合出場を記録打率はよくないが、長打が魅で、2005年は26本塁打韓国プロ野球で放っている。また、二塁打をよく放つ。2004年には、リーグ最高の35二塁打記録ゴールデングラブ賞日本ベストナインに相当)も二度獲得している。

2006年2009年ワールドベースボールクラシックに出場し、2009年に『6番・三塁』で起用された。日本戦では、田中将大(楽天)から同点ホームランを放っている。また、決勝戦では、ダルビッシュ有(日本ハム)から延長のきっかけとなった同点タイムリーを放っている。

2010年より福岡ソフトバンクホークスに入団。松田宣浩と共にキャンプから三塁を争ったが、守備難と怪で結局三塁のレギュラー松田に収まり、出遅れた松中信彦に代わってDHで開幕スタメンに名を連ねた。中の復帰が前倒しになったためにDHで併用されることになったが、起用法が一定しない上に左に弱いことが判明して徐々に立ち位置を失い、松田の戦線離脱に伴い三塁スタメンに入るも結果が出ず、ロベルト・ペタジーニ入れ替わり二軍落ちした。その後ホセ・オーティズの離脱で一軍復帰し代打で2試合連続HRを放ったりはしたが、結局48試合で打率.226、4本塁打に留まる。2年契約だったが、2011年キャンプ直前に退団が決定した。

2011年からは韓国に戻り、起亜タイガースに所属。頑丈で知られたハンファ時代とべて怪が多くなってしまったが、軸打者として活躍し、9年間で169本塁打マークした。

2019年、出場機会の減少によりシーズン中に現役引退を表明。7月13日ハンファ戦が引退試合となった。

プレースタイル・人物

韓国では歴代5位の通算329本塁打記録。またチャンスに強いバッターとして知られ、通算満塁本塁打17本KBO歴代1位記録である。しかし19年間、打撃3タイトルには一度も縁がかった。

韓国では(ネタとして)「イケメン」と言われていたらしい。

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