毛利幸松丸(もうり・こうまつまる 1515 ~ 1523)とは、安芸国の戦国大名である。毛利家11代当主。毛利興元の嫡男。
父の死でわずか2歳で家督を継ぐ。2歳で家督を継いだ他の大名に最上義守や筒井順慶などがいる。
叔父・毛利元就や外祖父・高橋久光が後見役を務めた。
父と違い身体は病弱ではなかったようだ。蔵田房信が叔父・蔵田直信に裏切られて自害し、直信も尼子経久に首チョンパされたあの鏡山城の戦いにも参加したが帰国後死亡した。
戦が終わると『首実検』というイベントが行われる。基本戦功は自己申告制であり、偽って申告して戦功を横取りしようとする不埒者がいることはあるし、大将級の武将を討ったと複数の者が名乗りあげてかぶることはよくあった。誰がどの敵を討ったのか吟味する詮議の場でもあった。
当然鏡山城の戦いでも首実検は行われており、幸松丸は毛利氏の当主であるため、出陣した以上は参加する義務は生じていた。まあ、元就が代理で大将として出陣していればよかった話なんだが………。
幸松丸は当時9歳の子供。首実検は敵将の首級を確認する場。と、なると次から次へと死人の生首を見ないといけない。
一説では元就らが嫌がる幸松丸を押さえつけ、生首を見たショックでトラウマとなりそれが原因で亡くなったという。
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最終更新:2024/12/12(木) 10:00
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