純文学とは、学術的・娯楽的・商業的な要素よりも芸術的な要素を重視した文学である。
言語芸術(文芸)の中でも特に、芸術的な要素を重視した文学チックな文学を「純文学」と呼ぶ。
詩歌や随筆などもカテゴリの中に含まれているが、狭義では小説が対象となる。これは小説では「純文学小説」と「大衆小説」を区別した経緯があるためである。(「大衆小説」の記事で違いをざっくり解説している。)
具体的に何をもって芸術的であるとするかは、多分に個々人の感覚的な要素を含み定義しようがないため、関係者達がこれは芸術的だと思っている作品が純文学であると考えればよい。
たとえ余人には芸術性の欠片も見当たらない低俗そのものに見える作品であっても、それに関わる関係者達がそれを芸術的だと思っている限り、それは純文学である。
また発表媒体にかかわらず、新聞に連載されようが同人誌で発表されようが、関わる関係者達がそれを芸術的だと思っている限り、それは純文学である。
森鴎外、夏目漱石、島崎藤村、谷崎潤一郎、芥川龍之介、川端康成、宮沢賢治、太宰治、三島由紀夫、井上靖
取り敢えず、この10人の作品を読めばいいんじゃないかな。
掲示板
141 ななしのよっしん
2024/11/24(日) 07:30:38 ID: 6DEXhBCknc
漫画「バクマン」で主人公たちが、東大生の女が書いたという小説を読んで「これ、何が面白いんだ?」「さあ?」ってやり取りをする場面があったが、多分その小説は純文学のイメージなんだろな。
142 ななしのよっしん
2024/11/26(火) 10:43:23 ID: RdbpYlpZwW
自分の好きなジャンルに対しては、自分の作品が好きな人にとって100点の物を作れと言うが
興味の無いものに対しては大衆にわかりやすい80点の物を作れと言う
143 ななしのよっしん
2025/05/14(水) 18:57:46 ID: xoa4JGKaoj
純文学は低俗な一般大衆が偏愛するエンタメ性を排して人間というものを極限まで描いた高尚なものなんだー!
っていうのは自称純文学通がよく言うことだけど、そうやって人間の一側面排除してる時点で人間描ききれてないよねといつも思う
別に個々の作家性としてエンタメ性を削ぎ落すのは作家の自由だし、読者としてそういう小説を好むのも自由だけど、だからって大衆小説より上だとかそういう話にはならないでしょ
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/18(木) 18:00
最終更新:2025/12/18(木) 18:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。