蜻州丸は、大正時代に建造された大型クレーン船である。この船は軍艦が搭載する火砲や要塞砲といった重量物の輸送や陸揚げに用いられた。
蜻州丸が建造されたきっかけは、1922年2月6日、日本はアメリカ・イギリス・イタリア・フランスの4か国とワシントン海軍軍縮条約を結んだことである。
この条約によって、戦艦などの大型艦の保有数が制限され、建造中の戦艦が建造中止になり、戦艦に搭載する予定だった火砲が余ってしまった。
これらを廃棄するのはもったいないため、日本各地の離島にある要塞や砲台の武装に転用されることになった。
しかし、大型艦に搭載される火砲は、砲身だけでも100トン前後の重量があり、当時の平均的な輸送船に搭載されたクレーンでは、各地の砲台に輸送し陸揚げするのは不可能だった。そのため専用のクレーン船である蜻州丸が開発された。
開発された蜻州丸は甲板の半分を閉める、巨大な主クレーン一基と、その両脇に小型の副クレーン2基を装備していたが、主クレーンは150トンまでの、副クレーンは20tまでの重量物を吊り上げることができた。
完成後は日本各地の砲台建造をこなしただけでなく、16年後の太平洋戦争におけるシンガポール攻略作戦にて、重砲の揚陸作戦にも従事した。
戦争後は連合国に接収、イギリス領だった香港にて鉄道の補修工事に使用されていたが、台風で沈没してしまった。
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最終更新:2025/12/06(土) 16:00
最終更新:2025/12/06(土) 15:00
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