親の顔とは、見た回数(または時間)をいろんなものに追い越されてしまった顔である。
父親または母親の顔を指す言葉である。この言葉は慣用句的に使われることが多い。
「親の顔が見てみたい」と言った場合、子が何か悪いことをしてしまった(と他人が思う)ときに、「おたくはお子さんをいったいどう育ててらっしゃるんですか?」などと尋ねたい、という意味で他人が発言することが多い。決して親の顔をじーっと観察したいわけではないので、顔を「さあ見てください」と見せつける必要はない。
ちなみに、この言葉をテーマにした立川志の輔の創作落語として『親の顔』がある。
ニコニコ動画では「親の顔より見た光景」という言葉で有名であり、2013~2014年ごろから使われている。「若いころにずっと何度も見ていた親の顔よりもこの光景を見ている」ということで、何度も見ている定番の光景を指すときに使われる。ほかにも「光景」の部分を別の言葉に入れ替えることで、多くのバリエーションを生み出していった。例えば、サカナクション『新宝島』の「親の顔より見たステップ」などが挙げられる。
これに対する返しは「もっと親の顔を見ろ」が多い。これもバリエーションがあり、先ほどのステップの例でいえば「もっと親のステップ見ろ」というものもある。
なお、「親の顔より見た○○」は発祥が例のアレカテゴリである。最近は例のアレ以外でもこの言葉が使われてきており、一般化が進んでいるものの、使う際には注意が必要である。
「親の顔より見た」を回数を指す言葉であると定義すると比較が困難なため、ここでは時間を指す言葉として考察する。
2017年8月2日放送のテレビ番組『チコちゃんに叱られる!』では、親と同居していない大人の場合、1年間で親と暮らすのは平均6日間とされている。その中でも「顔を合わせる」のは平均4時間とされているので、1年で親の顔を見る合計時間は24時間となる。つまりこれに従えば、1年に1回、24時間新宝島ステップを凝視する日を作れば、正真正銘親の顔より見たステップとなる。そこまでしなくても、24÷365=0.06575時間、つまり1日あたりだいたい4分ずつ見るのを1年間続ければ、親の顔より見たことになる。
しかし、同居する場合は別居と比べてだいぶ親の顔より見るハードルが高い。同居の場合、親の顔を見る時間の長さは4時間×365=約60日となる。つまり、2ヶ月徹夜で新宝島ステップを凝視すれば親の顔より見たステップになる。しかしそれより前に睡眠不足で死ぬので、身体的に可能な範囲で見積もると1日あたり4時間以上の視聴が要求される。
上記2つは「現在の頻度」を基準にした数値だが、言葉の意味としては「生まれてから今までの累計」で考えた方が適切かもしれない。仮に発言者が20歳でずっと親と同居していたとすれば、4時間×365日×20年=約1216日となる。つまり、新宝島ステップの視聴時間の合計が3年と4ヶ月以上なら親の顔より見たステップとなる。流石にここまで来るとステップを見るのが仕事の一部にでもなっていない限り達成できないだろう。
ただし、「顔を合わせる」が「会う」「同じ場で時間を共に過ごす」の比喩である可能性もあり、実際に顔を見ている時間はもっと短い可能性もある。また、顔を見ている「時間」では無く、顔を見た「回数」でカウントすべきという考え方もあるだろう。
こんなことやってる暇があったらもっと親の顔を見ろ 真面目な話、人生何が起こるかわからない。次見る親の顔は死に装束姿か棺桶の中、遺影の可能性もある。今のうちに親の顔を見ておこう。
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最終更新:2024/11/30(土) 02:00
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