10
<<
<
>
>>
1/1
1 ななしのよっしん
2010/04/24(土) 22:35:42 ID: yXxAZVqJL7
耳川で戦死する直前、秘伝の書物を燃やしてしまったとか…
これは気になる
2 ななしのよっしん
2010/08/19(木) 20:51:42 ID: Y8JuGz/j+g
>1
俺もすげー気になる!
信長の野望の大友軍では、いちばん賢い位置にあるからねえ・・・。
3 ななしのよっしん
2012/05/17(木) 14:22:47 ID: 3T4hhZavMg
戦死した諸将の子供たちは島津の侵攻を防いで名を挙げたけど、この人には家族いなかったのかな?
4 ななしのよっしん
2015/12/04(金) 23:03:42 ID: QGH5vpmWd4
>>また武田流軍学・小笠原流軍学や礼法を学び、
武田流軍学なるものができあがったのは
江戸時代で、信玄と同時代の石宗が詳しかったと思えない。
それはおいといて、立花宗茂達が道雪を通じて
軍学を学んでいたなら、石宗の孫弟子ということになるかな。
5 ななっしー
2016/11/09(水) 07:47:51 ID: my03sUjp8q
この人の場合、軍師といっても俺らの想像する軍師とは違って
占星術師・陰陽師の類に近いみたいだけどな
6 ななしのよっしん
2016/11/09(水) 08:45:05 ID: rLQL1BK2fQ
今の人間が考える参謀的な軍師ではなく昔からあるタイプの軍師だからね
7 ななしのよっしん
2017/02/26(日) 19:00:18 ID: ct857pVH/y
そうそうこの人こそ旧来型軍師なんだよね。
同じ大友家に参謀型軍師の吉岡長増が居るので、比較すれば非常に分かりやすいと思う。
道雪も軍師や参謀とは言われてるけど、どちらかというと副将とか軍団長という感じがする。
8 ななしのよっしん
2017/03/02(木) 20:31:11 ID: Dm8u05fI5D
漫画センゴクじゃ耳川合戦で惨敗の後の追撃戦で狂戦士化した島津軍を鎮める為に
自ら生贄になるように戦死してた。
9 ななしのよっしん
2019/03/31(日) 23:19:42 ID: H+lpDb5E2v
武田流軍学を学んだってあるけれど、武田流軍学(甲州流軍学)が出来たのは江戸初期だから、江戸時代に書かれた軍記物語の中にそういう話があるんだろうな
まぁ先に>>4が言っているけど
とにかく、この人の逸話は後世の創作だから話半分に済ませたほうが良いと思う
竜造寺四天王も結局出典が江戸時代のラノベだし、当時はそういうのが流行ってたんだろうな
10 ななしのよっしん
2022/10/02(日) 17:13:40 ID: 1oAvHAO5lw
占いや天気予報を主にしていたのが当時の「軍師」(諸葛亮がやってた風読みとかもこれ)で、現在で言うところの「参謀」(主君の側でアドバイスをする的な)は当時は軍師って呼ばれてなかったからね。この人とか、津軽配下の沼田祐光なんかは、そういった意味で当時の本来あるべき「軍師」なのよ。秀吉政権における黒田官兵衛や蜂須賀さんとかは「参謀」の方。
<<
<
>
>>
1/1
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。