ギャオス内藤 単語


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ギャオスナイトウ

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ギャオス内藤(本名:内藤尚行-ないとうなおゆき-)とは、野球解説者タレント・元プロ野球選手である。

概要

1986年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。

高卒2年に台頭し、3年1989年には開幕ローテーションに抜、そのままローテーションの柱となる躍進ぶりであった。しかし、ストッパー補として獲得したアイケルバーガー、その代役として急遽獲得したデービスの不振により8月よりやむを得ず抑えに配置転換され、最終的に12勝5敗8セーブ防御率2.82の好成績を残した。

監督野村克也に交代した1990年開幕投手名されるが、東京ドームでの巨人戦で篠塚利夫(現:和典)の「疑惑の本塁打」により勝利投手の権利を奪われるという悲劇に見舞われた(結果的にチーム敗北した)。先発と抑えを兼任し、2年連続の二桁勝利記録するものの、防御率は4点台に一気に悪化した。

1991年開幕投手名されるが、この年から全に故障がちになってしまう。3勝しかあげられず、防御率もさらに悪化した。

1992年は前年抑えで健闘した岡林洋一先発に回し、復活を期す内藤リリーフに再転換した。5勝6敗10セーブ防御率3.55の数字を残し14年ぶりのリーグ優勝に貢献するものの、故障で日本シリーズでの登板はならなかった。

その後は全に故障がちになり、1994年はついに1勝もあげられずシーズンを終え、翌1995年からはボビー・バレンタイン率いる千葉ロッテマリーンズに移籍することとなった(青柳進との交換)。先発登板復活勝利をあげるがまたしても故障離脱した。

1996年シーズン途中に与田剛との交換で地元球団の中日ドラゴンズに移籍するが、結局2年間満足に働くことが出来ず、1997年シーズン終了をもって引退を表明した。まだ29歳の若さであった。

引退後は芸名のギャオス内藤名義で、J SPORTS野球中継で解説を務めた(千葉ロッテ戦)。

2013年から2014年まで、新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ監督を務めた。登録名は「ギャオス内藤」。

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最終更新:2026/02/05(木) 13:00

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