4んでいいよ弾幕(シンデイイヨダンマク)は、一瞬にして世界の全てを滅ぼすとされる架空の軍事兵器である。架空とされるのは近代社会~現代においてそれが使われたとされる客観的証拠がなく、口承と一部の文献によってその存在が比喩的に示されているのみであることによる。したがってその出自・運用過程・運用方法等その一切は謎に包まれている。
比較的信憑性が高いとされる文献的研究によれば、有史以前に行われた「言語を持つ有機生命体の自然内分布を決定する際に生じた言葉と文字による戦争」(いわゆる文字戦争)の最終局面において、この弾幕が用いられたとされている。
その着弾の様相は想像する他なく、一部の教科書では以下の挿絵が示されている。おそらく小学校や中学校の授業で見たものもいるはずである。
4んでいいよーーーーーーー^^^ 4んでいいよーーーーーーーー^^
4んでいいよーーーーーーーーー^^ 4んでいいよーーーーーーーーーーー^^
4んでいいよーーーーーーーーーー^^ 4んでいいよーーーーーーーーーー^^
4んでいいよーーーーーーーーー^^ 4んでいいよーーーーーーーーーー^^
(「ことばでわかるせかい」 2003)
4んでいいよ弾幕の研究の歴史は浅く、長い間それはおとぎ話や伝説の類に分類されるものであった。現代に至ってもそれは一部のオカルトマニアや似非科学者によって扱われるのみであったが、近年になりその存在を信じる言語学者や文化人類学者、考古学者による学術的アプローチが散見されるようになっていた。
私はこの“弾幕”の“存在”を“固く信じる者”ではありますが、一方で、このような“言葉”の“連なり”が、かつてに同じ“言葉”を理解する“生命”に向けて投げ当てられたということを決して“事実”と思いたくありません。
「4ね」であれば、抽象的な意味とはいえ、“投擲者”や“対象”の“4を望んで”いる。もちろんそれも全く許されたことではありませんが。
しかしこの「4んでいい」という“言葉”の響きは一体なんでしょう。まるで“対象”の“生への関心”が“欠落”している。“無関心という攻撃”は“対象”の発しうる一切の“言葉”を永久に“この世”から“消し去る”。まさに“冷酷の一線”を越えた“悪夢”の“攻撃”と言ってもよいのです。その“寒さ”はましてや、生きた“人の心”が感じる類のものではない。
前述のように、その存在全てが証拠に乏しく架空に等しいと思われてきた4んでいいよ弾幕であるが2014年5月、ある国家の古い建造物地下においてそれら弾幕の残骸と思われる遺物が多数発見される事象が生じた。
もっとも現段階では「可能性が高い」のみであり、その信憑性が高まったとは言えない。
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最終更新:2025/12/19(金) 01:00
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