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グロースターク

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グロースターク(Graustark)とは1963年生まれのアメリカ産の競走馬。

2歳戦から卓越したスピードをもって連勝を重ねていたが、故障により早期引退。
しかし種牡馬として大成功を収め、リボーの血を北米に大きく広めた。

名前の由来はアメリカのロマンティックコメディ「Beverly of Graustark」からとられている。

血統

Ribot、母Flower Bowl、母父Alibhaiという血統。これ、実はとんでもない良血。

父はイタリアの名馬産家フェデリコ・テシオの忘れ形見にして最高傑作、凱旋門賞連覇の名馬であり、種牡馬としても大成功を収めた。母父は不出走ながら確かな血統を持ち、種牡馬入り後米国リーディングの常連になったHyperion産駒。
母についてはどっかで聞いたことある、という人はそこそこいると思う。ハンデキャップ競走を中心に7勝を挙げた後繁殖牝馬として大活躍を収め、現在のフラワーボウル招待S(GI)に名を残している。
近親には種牡馬として活躍した全弟His Majesty、米二冠牝馬の半姉Bowl of Flowersなど活躍馬多数。

邁進する良血馬

米国のダービーダンファームにて生まれ、その牧場主であるジョン・ガルブレイス(ピッツバーグ・パイレーツのオーナーで、日本でも著名なRobertoを生産・所有したオーナーブリーダー)所有で競走馬デビュー。

調教が進められるとこれが走る走る。良血に違わぬ走りは陣営を否が応でも期待させる。
2歳時は3戦3勝。特に3戦目では不良馬場を後続に大差をつける圧勝を収め、2歳フリーハンデ(レーティング)2位を記録した。が、故障を発生。
それでも翌年1月から復帰し、連勝連勝。瞬く間にデビューから7連勝を収め、同じ栗毛の伝説的名馬である「Big Red」ことMan o' Warにあやかった「The Big G」という異名を戴いた。

そして米クラシックの登竜門ブルーグラスステークスに挑むが、ここをハナ差の2着に敗れてしまう。
それだけでは無く、レース中に左前脚の蹄骨を骨折。残念ながらここで引退に追い込まれてしまった。

実はグロースタークはこの時前週の調教中に安全ピンを踏み抜いて左脚が化膿・出血している状態で出走していた上、ブルーグラスステークスは不良馬場で行われていた。故障するのは当然か。出走を強行した馬主と調教師へ非難囂々。

通算8戦7勝。その中に米国の大レースは無いが、7戦でつけた着差は約40馬身

米国最強の馬?

同世代や1つ下の世代には1960年代のアメリカが誇る名馬たちがいた。
同い年に「完全無欠のサラブレッド」ことBuckpasser、一つ下に「競走馬唯一のスピード違反」を犯したDr. Fager、それらをまとめて千切り捨てたDamascusがいる。

実は、グロースタークを含め上記の全頭に騎乗したジョッキーがいる。
パナマ出身の1960~1970年代の名騎手、ブラウリオ・バエザである。

そのバエザが後に、「今まで乗った馬の中で一番強い馬はだ~れ?」と聞かれたところ、

グロースタークです。Buckpasserより強くDr. Fagerよりも速い。そう断言できます。

と答えたという。因みにこの4頭が揃って戦った事は無い。
この逸話もあり、グロースタークが順調なら、間違いなく他の三頭の争いに入れると思った人も多い。
彼が一番早かったのは引退する時期のみとなってしまったのは、米国競馬における損失である。
故障してしまった以上、彼の現役生活は「故障した素質馬」という評価を下すほかないのが悔しいが。

種牡馬入り後

しかし、その有り余る才気を産駒へ受け継がせる事が、彼に残された義務である。

種牡馬入りすると、彼の全弟His Majestyや、同父のTom Rolfeとともに、怪物Ribotの血を全米へ、そして世界へと広める役割を担った。

代表産駒はKey to the Mint(トラヴァーズSなどGI5勝)、Proud Truth(BCクラシック)など。
ただ牡馬の子供が種牡馬として微妙だったこともあり、父系は伸びなかった。
本邦輸入馬に*ジムフレンチがおり、種牡馬としてダービー馬バンブーアトラスを出した。

彼の本懐はむしろ母父としてであり、こっちでも良績を残した。
例えば英国牝馬三冠のOh So Sharp、日本で種牡馬として活躍した*ブライアンズタイムなどを輩出。
1985年にはOh So Sharpの活躍もあり、英愛母父リーディングとなる。
彼の血をひく牝馬が多数繁殖入りし、それが後の活躍馬達に活力を与えたことは間違いなく、1990年代以降のアメリカの活躍馬には、グロースタークの血を持つ馬も決して少なくない。

グロースタークは1988年に25歳で死去。生まれ故郷であるダービーダンファームにて父Ribot、弟His Majesty、同馬主のRobertoとともに眠っている。

血統表

Ribot
1952 鹿毛
Tenerani
1944 鹿毛
Bellini Cavaliere d'Arpino
Bella Minna
Tofanella Apelle
Try Try Again
Romanella
1943 栗毛
El Greco Pharos
Gay Gamp
Barbara Burrini Papyrus
Bucolic
Flower Bowl
1952 鹿毛
FNo.9-h
Alibhai
1938 栗毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Teresina Tracery
Blue Tit
Flower Bed
1946 黒鹿毛
Beau Pere Son-in-Law
Cinna
Boudoir Mahmoud
Kampala

クロス:Tracery 5×4(9.38%)

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