ドクターフェイガー 単語


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ドクターフェイガー

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ドクターフェイガー(Dr. Fager)とは、1964年生まれのアメリカ競走馬

世界スピード違反で捕まったである。

概要

長い競馬歴史の中に数多現れた名たち。その中には「ええ?マジかよ」と思っちゃうようなチートが何頭かいる。

ドクターフェイガーもその内の一頭である。クラシックとは縁のスプリンターだったが、並のではすら踏むことの出来ない卓越したスピード武器に大活躍を挙げ、アメリカ競馬史に伝説の短距離として名を残したのだ。

出自

Rough'n Tumble、Aspidistra、Better Selfという血統。正直、当時としても名血とは言い難い。しかも生まれたのは産の中心地ではないフロリダ州である。

名はドクターフェイガーが1歳の頃に事故で生命の危機を彷徨ったジョン・A・ネル調教師の手術を担当したチャールズ・フェイガ博士から取られている。

競走馬として

ドクターフェイガーのレースぶりはデビューから物凄いものだった。デビュー戦はなりで5.5ハロンを7馬身差、次は6ハロンをこれまたなりで8馬身差。ワールズプレイグラウンドSでは7ハロン戦で12馬身差である。なにしろ他のとは次元の違うスピードで、スタートからどわ~っとぶっ飛ばしてちぎりまくる。なんつうか、他のの心が折れそうな勝ち方。それがドクターフェイガーのレースだった。

とはいえこの頃はまだ逃げ一辺倒のにするつもりはなかったらしく、4戦カウディンS(7ハロン)では上のウィリー・シューメーカー騎手が控えさせようとしたのだが、ここで抑えるのに苦戦した(それでも3/4馬身差で辛勝した)ために、これ以降は逃げ一択となった。

もっともこうやってあまりに遮二二行き過ぎていては当然他営のラビットと喧嘩して潰れることもあり、初のマイル戦となったシャンペンSでは2着に敗れ、2歳戦は5戦4勝となった。

3歳時には初戦で後に二冠馬となるダマスカスを撃破したのだが、この後脚部不安と距離の関係でクラシックを断念。しかし代わって出走したウィザーズS(1マイル)では1分338というタイム叩き出して6馬身差で圧勝した。

続けてジャージダービー(9ハロン)に出走。ここではプリークネスSで2着に入っていたインリアリティを4馬身差で一蹴した……のだが、1コーナーインリアリティに噛み付いたことが発覚し、4着に降着となってしまった。

しかしその後はアーリントンクラシックS(1マイル)を10馬身差で圧勝し、ロッキンガムスペシャルS(9ハロン)もレコード勝ち。そこで試しにダマスカスとの再戦も見込んで10ハロン距離を延長してみるとここも逃げ切ってしまった。

こうしてドクターフェイガーは、二冠馬となったダマスカス、そして前年の年度代表馬バックパサーが参戦してくるウッドワードS(10ハロン)に出走したのであった。この時、ダマスカスバックパサー営は、ドクターフェイガーにいきなりぶっ飛ばされてペースを乱されないように、ペースメーカーを参戦させた。しかもダマスカス営が用意したヘッドエヴァーというは1マイル世界記録保持であった。

ところがスタートしてすぐ、ドクターフェイガーはペースメーカーり合ってガンガン飛ばしてしまう。しかもヘッドエヴァーがを入れて追いまくる事を余儀なくされる中、持ったままどんどん引き離す。「ふはははは! オレすげ~!」などとドクターフェイガーが言ったかどうかは分からないが、本当の敵はもちろんペースメーカー2頭ではなくダマスカスバックパサーであり、1ハロン均11.5という短距離戦並みのペースでぶっ飛ばしてガス欠となったドクターフェイガーは4コーナー々にダマスカスに抜き去られ、最後は10馬身離れた2着争いでバックパサーにも半馬身交わされて3着。まあこのレースダマスカスが強かったのだが、なんともお馬鹿な負け方である。

つまりはドクターフェイガーはこういうだったのである。何でも良いから一番。とにかく先頭。先頭に立っても何しろ飛ばす。……ばてたら終わり。まあドクターフェイガーのスピードについてきて、最後に差し切れるなんてそうそういるものではなく、後ろから差されたレースは全てペースメーカーに競りかけられて余力を失ったところを相手の本命に差されるという負けである。

さて、4歳になったドクターフェイガーは、130ポンド(約59kg)以上の斤量を背負わされながら連勝。ダマスカスとの3回の対戦となったサババンハンデキャップ(10ハロン)でも1分596というレコードタイの好タイム勝利したのだが、ダマスカスヘッドエヴァーを伴ってリベンジしてきたブルックリンハンデキャップ(10ハロン)ではヘッドエヴァーにガンガンに競りかけられたのがいて2着に敗れてしまった。

ところがヘッドエヴァーとダマスカスが一緒になって挑んでくるようなことがなければドクターフェイガーは無敵だったようで、続けて出走したホイットニーハンデキャップ(9ハロン)では約60kgを背負って8馬身差で圧勝してしまった。そして続けて出走したワシントンパークハンデキャップ(ダート1マイル)において、ドクターフェイガーは世紀のパフォーマンスを披露するのだった。

ドクターフェイガーは例によってスタートから飛ばしに飛ばした。因縁の敵ヘッドエヴァーも単独では全く脅威にならず、直線ではる後続を振り切って独走。騎手はそれほど追っていないのに差が開く一方。挙句にまったくスピードを落とさずゴール。まあいつものドクターフェイガーだったわけだが……そのタイムがなんと1分322!……えええ? そのタイム掲示を見た人は「時計が壊れた」と思ったらしい。

1分322と言えば芝でだってそうそう出るタイムではないし、現にこの時計芝も含む1マイル全体の世界レコードだった。参考までに書けば同じ年の安田記念に勝ったシエスキイの走破タイムは1分367。1990年オグリキャップが出した1分324は「脅威のレコードだ!」と叫ばれた。それをダートで……いやいやいや、どういうことなの? しかも恐るべき事に、ドクターフェイガーはこの時134ポンド(約60.8kg)の斤量を背負っていたのである。……もはや言葉もい。この脅威のレコードタイム現在でもダート1マイルの全レコードとして然といている。

更に初芝となったユナテッドネーションズハンデキャップ(9.5ハロン)では、逃げられることが出来なかったにも関わらず後の年度代表馬フォートマシーらを倒して勝利引退レースとなったヴォスバーハンデキャップ(7ハロン)では、139ポンド(約63.1kg)という斤量を背負いながら6馬身差で圧勝し、1分202という全レコードを手土産引退を飾った。このレコードは31年後にその年の最優秀短距離くアータックスが114ポンド(約51.7kg)で1分2004を叩き出すまで破られることはなかった。

そのあまりの強さが評価され、1968年年度代表馬・最優秀古・最優秀スプリンター・最優秀芝を受賞。一度に4部門を受賞したはドクターフェイガーが今のところ一であり、最優秀芝・最優秀短距離を1頭で受賞したもドクターフェイガーが一である。

とにかく、今見ると「時計間違いでは?」としか思えないようなタイムを出しまくっている。実際に見た事がある人は「あれはじゃない。宇宙人が連れてきた乗り物だ」とマジ顔で言ったそうである。その恐るべきタイムから今でもアメリカでは「最強距離」と言えばドクターフェイガーであるらしい。

通算成績は22戦18勝2着2回3着1回。ブラッドホース誌選定「20世紀のアメリカ名馬100選」では第6位に選ばれている。

種牡馬として

引退したドクターフェイガーは種牡馬としても成功し、そのさなかの1971年殿堂入り。最優秀2歳ディアリープレシャスなどを出して成功したのだが、惜しくもリーディングサイアーを獲得する前年の1976年12歳若さ死亡系は残っていないが、大種牡馬ファピアノとして血統の世界なんとか名は残した。

そのスピード動画で見ても「あれ?これって芝のレースだっけ?」と思っちゃうほど凄まじい。是非、日本高速馬場で走ってみて欲しかったである。

今でもフロリダの誇りと呼ばれ、伝説の存在であるドクターフェイガー。まさにアメリカ競馬史上最高のスピードキングであった。

余談

サラブレッド界のスピード違反?

さて、種牡馬入りが決まったドクターフェイガー。なじんだ厩舎スタッフと別れを告げ、フロリダの牧場へ向けて意気揚々と出発したと思いねぇ。

その中、突然パトカーサイレンを鳴らして接近してきた。の運転手。いぶかりながらを止め、降りてきた警官に向かって言う。

「オレぁなにもしてませんぜ、旦那スピードも出してねぇし」

すると警官。首を横に振っていわく。

お前じゃない。中のだ」

警官、の中に入り、ドクターフェイガーに向かってスピード違反の反則切符を差し出す。

お前は、速すぎだ」

……まあ本当にあった話とは思い難いし、この話が広く流布しているのは日本だけらしいので、恐らく後世に作られたジョークなのだろうとは思われる。もしも本当にあったのだとすると、きっとその警官はドクターフェイガーのファンで、一会いたくて、つい職権を乱用してしまったのだと推測する。いずれにせよ、ドクターフェイガーがそんな話がまかり通るほどの超快速だったことは疑いようもない事実である。

ドクターフェイガーに関わった人々

ドクターフェイガーは先述の通り12歳世したのだが、ドクターフェイガーに深く関わった人々は長寿を保った人が多かった。それも並大抵のレベルではなく、馬主ウィリアム・L・マックナイト氏と名の由来となったフェイガ博士はともに90歳まで生き、ネルド師は2015年102歳で死去している。戦を務めたブラウリオ・バエザ騎手2020年現在80歳で存命中である。

血統

Rough'n Tumble
1948 鹿
Free for All
1942 黒鹿
Questionnaire Sting
Miss Puzzle
Panay Chicle
Panasette
Roused
1943 鹿毛
Bull Dog Teddy
Plucky Liege
Rude Awakening Upset
Cushion
Aspidistra
1954 鹿
FNo.1-r
Better Self
1945 栗
Bimelech Black Toney
La Troienne
Bee Mac War Admiral
Baba Kenny
Tilly Rose
1948 黒鹿
Bull Brier Bull Dog
Rose Eternal
Tilly Kate Draymont
Teak
競走馬の4代血統表

クロス:Bull Dog 3×4(18.75%)、Teddy 4×5×5(12.50%)、 Spearmint 5×5(12.50%)、Whisk Broom 5×5(12.50%)

主な産駒

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