サッカー日本代表とは、日本の、男子サッカーにおける国を代表するチームである。
日本サッカー協会(JFA)によって選出される。
オリンピックのサッカー日本代表については『U-23サッカー日本代表』の項を参照。
女子のサッカー日本代表については『なでしこJAPAN』の項を参照のこと。
現在のユニフォームカラーは青、サブカラーに白。青の由来としては昔日本代表は選抜チームという形ではなく1つのクラブや大学などを日本代表チームとしており、優勝を果たした1930年極東選手権に大半の選手を送り込んでいた東京帝国大学のユニフォームが青だったために、そのまま採用されたと考えられている。
呼び名は単に代表もしくは日本代表で、監督の名前+ジャパン(トルシエジャパンなど)で特定の監督の時代のサッカー日本代表を呼ぶことも多い。2006年W杯から「SAMURAI BLUE(サムライブルー)」という愛称がつけられたが、「なでしこジャパン」に比べてあまり定着せず今ではJFA程度しか使用していない。
ヨーロッパ・南米の強豪国と比べて、公式戦においては未だ大きな実力差があるものの、00年代以降はワールドカップの決勝トーナメントにも進出するなど、アジアの代表的なチームとして世界レベルでも戦えるチームへと成長している。
最初の代表チームの試合が行われたのは1917年。長い間国際大会では本大会に出場することも難しかったが、オリンピックでは1936年のベルリンオリンピックに出場して何度かベスト8に進出している。とくに釜本邦茂を擁した1968年メキシコオリンピックでは3位となった。
が、1972年のミュンヘン五輪以降は予選敗退に甘んじる大会が続き、予選突破は1996年のアトランタ五輪になって再びようやく達成された。
1991年のプロリーグ(Jリーグ)発足によって、日本サッカー界の実力は飛躍的に上昇し、アトランタ五輪出場の他、オフト監督に率いられた日本代表チームは1992年自国開催のAFCアジアカップで初優勝。
日本国内でもサッカー人気が一気に上昇し、プレイ人口も増大した。
そして1994 FIFAワールドカップのアジア予選では、最終戦を残して地区1位に上りつめ、日本代表結成から77年目にしてついに本戦出場かと期待されたが、最終・イラク戦でロスタイムに同点弾を決められて敗退、2位3位が共に勝利したため3位に転落し、惜しくも出場を逃した(ドーハの悲劇)。
1998 FIFAワールドカップ・フランス大会では、アジア予選のプレーオフでイランを破り、とうとう本大会出場を決める(ジョホールバルの歓喜)。本大会では3戦全敗でグループステージ敗退したものの、日本国内でのサッカーワールドカップと日本代表への注目度はますます上がる。
韓国との共催となった2002 FIFAワールドカップでは、本国開催ということもあって、2勝1分で決勝トーナメントに初進出を果たす。決勝トーナメントでは初戦敗退。
2006 ワールドカップ・ドイツ大会では、黄金世代を中心としたメンバーで大いに期待されたが、初戦のオーストラリア戦を逆転負けで落とし2敗1分でグループステージ敗退となる。
当時、次回大会へ向けて名将と名高いイビチャ・オシム氏を監督に迎え、チームを根本から作り直す動きが強まった。氏のモットーである「考えて走るサッカー」をテーマに、鋭いパスと緻密かつ多様なフォーメーションを駆使する新たなプレイスタイルが作り上げられ、親善試合などで見せた、それまでの日本代表とは大きく違うプレイは、荒削りながらも次代の活躍を期待させるものであった。
が、当のオシム氏が2007年に脳梗塞で倒れてしまい、監督業続行が事実上不可能となったため、岡田武史が招聘された。奇しくも1998年のワールドカップのときと同じく、代理監督としての就任であった。
こうして迎えた2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会では、オシムと比べて岡田への期待感が低かったことや、直前の親善試合で4連敗したこともあって、前大会とは対照的に国内の期待は圧倒的に薄かった。
が、土壇場で守備を中心に据えた戦術に変更したことが功を奏したか、薄い期待とは裏腹に2勝1敗でグループ2位となり決勝トーナメントに進出。
決勝トーナメント1回戦でパラグアイにPK戦で敗れるも他国開催でのワールドカップ初のベスト16入りを果たし、国内では日本代表の人気が一気に再燃した。
そして、2010年ワールドカップをもって岡田は代表を退き、その後任に、イタリアの名門クラブの監督を歴任したベテラン、アルベルト・ザッケローニ氏を迎え、新たなスタートを切った。
AFCアジアカップでは2000年、2004年と連覇している。2007年大会では4位に終わった。
アルベルト・ザッケローニ監督就任後の2011年大会では、再び優勝に返り咲いた。4度の優勝は、参加国中トップの数字である。
2014 FIFAワールドカップブラジル大会では、攻撃力の強化を持って大会に臨むも肝心の本大会予選では得点力は鳴りを潜め、2013年から続く失点癖が抜けず初戦のコートジボアール戦では本田の先制ゴールも、後半のディディエ・ドログバ投入から相次いで失点。その後のギリシャ戦ではスコアレスドロー、コロンビア戦では4失点を喫し、1分2敗とグループリーグ最下位で大会を終えた。
2014 FIFAワールドカップ大会終了後、アルベルト・ザッケローニ氏が退任を表明した。後任には、サッカーメキシコ代表や、エスパニョールを率いたメキシコ人監督、ハビエル・アギーレ氏が就任。
ハビエル・アギーレ監督就任後のAFCアジアカップ2015年大会では、前回大会に引き続き連覇がかかっていたが、グループリーグを首位で通過しながら、UAEとのPK戦の末、敗北。5大会ぶりのベスト8という不甲斐ない結果に終わってしまった。
AFCアジアカップ2015終了後、ベスト8という成績と過去の八百長疑惑を理由にハビエル・アギーレ監督の解任が発表された。後任には元アルジェリア代表監督のヴァヒド・ハリルホジッチ氏が就任。
2018 FIFAワールドカップ大会一か月前にハリルホジッチ監督を解任。後任に西野朗が大会終了までという形で就任。一連の騒動や代表の成績不振も重なり国内の期待は圧倒的に薄かった。
こうして始まったロシア大会では蓋を開けてみると、グループリーグ初戦のコロンビア戦では相手が10人になるという思わぬ展開で、歴史的白星を挙げる。次戦のセネガル戦では引き分け、最終戦ポーランド戦では物議をかもすもグループリーグ2位で通過した。
決勝トーナメント1回戦でベルギーに一時は2点リードするも後半で同点に追いつかれアディッショナルで逆転を許し敗退となった。
大会終了後、当初の予定通り西野朗氏の退任を表明した。後任は森保一氏がオリンピック代表監督を兼任する形で就任。
ワールドカップを戦った監督は太字。代行は除く。
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最終更新:2025/12/14(日) 01:00
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