ブライアンズタイム 単語


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ブライアンズタイム

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ブライアンズタイムとは、アメリカの元競走馬・日本の種牡馬である。
日本の血統地図を大きく塗り替えた、サンデーサイレンス・トニービンと並び立つ偉大な種牡馬。

現役時代

父はチャンピオン殺しのRoberto、母はKelley’s Day、母の父Graustarkという血統で、母の全姉の子にSunshine Forever、半姉の子にDynaformerがいる活躍馬の血統である。

2歳の夏にデビューしたが3戦して1勝という、凡庸としか言えない成績であった。3歳になっても一般競争を勝ったくらいだったが
フロリダダービーでチャンピオン殺しの血が疼いたか前年の2歳チャンピオンフォーティーナイナーを撃破する金星を挙げる。これでアメリカ三冠路線の中心…かと思われたが
本番前に2つポロッと負け、ケンタッキーダービーでは牝馬Winning Colors圧巻の逃げ切りの前に6着、プリークネスステークスでは鋭く追い込むがRisen Starに敗れ2着、
最終戦ベルモントステークスでは3着と言うと聞こえはいいが、1着Risen Starとの間には17馬身弱の差があった上6頭立てというレースだったため、あんまり喜んじゃいけない着順である。

その後は夏にGⅡを取ったが主要路線では完敗続きで裏路線行きとなり、その裏路線でGⅠを勝ったところで3歳終了。
しかし4歳になっても勝ちあぐねていた。そうこうしている内に、日本への売却が決まったため芝で試されたがここでも振るわず。
成績が良ければジャパンカップで顔見世興行プランもあったが結果が出なかったため消え、引退した。通算21戦5勝。
フォーティーナイナーを負かした以外はぱっとしない馬と言われても仕方ない、一発屋もいいところな馬であった。

日本にやってきた理由

当時、急激に勢力を増していた早田牧場は、社台グループのエースノーザンテーストやリアルシャダイに対抗でき、
牧場主の早田光一郎氏が見定めた指針「母父ノーザンダンサー系牝馬にノーザンダンサー系の血を含まない種牡馬の配合」に適した、新しい種牡馬選定を急務としていた。
そんな中で輸入されたのがリヴリア(ナリタタイシン・ワコーチカコの父)なのだが、リアルシャダイが新時代のステイヤー種牡馬として活躍していたので
Roberto産駒を輸入しようとなり、1988年の全米芝チャンピオンに選ばれたSunshine Foreverに白羽の矢を立てたのだが、価格で折り合わずに交渉決裂。
さてどうしようか…となったのだが、馬主から「Sunshine Foreverと血統そっくりなブライアンズタイムって馬なら売ってもいいよ」と言われ
散々に逡巡した挙句、友人の牧場主に聞いてその上で購入を決めた。つまり、本命が買えないから代打で呼ばれたのが彼だったということである。
血統は確かにそっくりどころかほぼ同じと断言できるくらい似てはいたが、だからといって現役時代の実績が劣る馬なんて…と思っただろうが、それも仕方ないことである。
まさか、代打で呼んだ馬が大成功するなんてそう予想はできない。日本の生産界はこの少し前、テスコボーイやネヴァービートが成功したからといってプリンスリーギフト・ネヴァーセイダイの血を引く馬を根こそぎ持ってきてそのかなりを腐らせたり
パーソロンの兄弟を連れてきて、アブクマポーロの母父に残る程度に壊滅させ、パーソロンの末裔たちをも多少苦しめる結果にしたり
マルゼンスキーに習ってニジンスキー・カーリアン親子フィーバーとばかりに輸入し、その果てにラムタラを連れてきて日高大恥など(金銭的な損自体は抑え込んだらしいが)
血統が似ている、活躍種牡馬と父が同じみたいな理由で連れてきて屍を晒す例が割と多かったのである。ラッキーソヴリンとかラシアンルーブル、ファバージみたいな活躍した馬もいたが。
ちなみに、早田氏が相談を持ちかけた友人の牧場主とはナリタタイシンなどを生産した川上悦夫氏である。彼の相馬眼の正しさには定評があったのだが
後の成功を考えればその相馬眼に頼ったことは間違いなく正解であった。

代替種牡馬>>>>>>>本命

種牡馬としてはリアルシャダイの成功が追い風になっていて、リアルシャダイの代用需要もあったとはいえ、まさに大成功としか言いようのない成績を残し、初年度から三冠馬ナリタブライアン、オークス馬チョウカイキャロルを輩出。
リアルシャダイの衰えが早かったこともあり、あっという間に日本のロベルト系の代表にのし上がった。いきなりの下剋上である。
その後もマヤノトップガン、サニーブライアン、ファレノプシス、ダンツフレームなど次々に名馬を輩出し、大種牡馬としての地位を確固たるものにした。

息の長い確かな末脚と、多少の荒れ馬場や重い馬場を物ともしないパワー、頑健さが売りで、仕上がりが割合早い傾向にあるため
活躍馬にはクラシック戦線での活躍馬が多い。1997年のクラシック戦線はサンデーの活躍馬がくせ者ばかりで出世が遅かったこともあったが
サニーブライアン、シルクジャスティス、エリモダンディー、シルクライトニングなどブライアンズタイム産駒ばかりが中心だったなんてこともあった。

ただ、活力が落ちたか芝でのGⅠ獲得はヴィクトリーの2007年皐月賞以来ご無沙汰であり、そもそも最近は芝で上位に来る産駒が非常に少ないのが現状である。
と思ったら2012年のエリザベス女王杯で、レインボーダリアがヴィルシーナを破りGⅠ制覇を果たした。彼女は今年5歳なのでちょうどヴィクトリーがGⅠを勝った年に生まれた仔である。タフだなあ。
ちなみに、そんなに差のないとはいえ7番人気馬が1倍台の大本命を倒すという展開であり、祖父から父に引き継がれたチャンピオン殺しの資質は受け継がれているようである。

とはいえ近年はフリオーソやバーディバーディに代表されるダートでの活躍が顕著だが、元からダートが得意な傾向はあり
交流重賞初期の中央のエースエムアイブラン、北関東の名馬カルラネイチャー、栃木の怪物ブライアンズロマン、メイセイオペラの後継者トーホウエンペラーら地方で活躍する名馬を多数輩出している。
むしろダートのほうが戦後最多勝記録となる43勝を挙げたブライアンズロマンがいたり、フリオーソがかなり高齢になりながら中央の強豪と互角に戦い続けているなど息が長い馬が多いので、
本質的にはダートが得意なパワータイプなのであろう。極限の軽さが求められる最近の芝だとイマイチなのも合点がいくというものである。

母の父としてもブルーコンコルドやビートブラック、サンライズペガサスを輩出しているが、トニービンやサンデーサイレンスと比べるとかなりおとなしめな活躍である。
主戦場が日高だったからか、牝系の質がトニービンやサンデーより良くないところはありそうだが、現役時代活躍した牝馬の産駒がことごとくダメだったり
どうも競走馬として活躍するが繁殖牝馬としては二流という傾向はあるようである。 ただ、最近はキングカメハメハやサンデー二世種牡馬との相性の良さがあるのか母の父としても成績は上昇傾向にある。
クラシックの有力馬にも母の父ブライアンズタイムは増えており、これからはより存在感を増していくと思われる。
後継種牡馬は代表産駒ナリタブライアンが夭折差し引いてもちょっと失敗としか言えない成績しか残せず、マヤノトップガンも散発的に活躍馬を残した程度であり
社台で種牡馬入りし、ウオッカを輩出したタニノギムレットに命運がかかっている状況である。ヴィクトリーも社台で種牡馬入りしたが種付け数はギムレットに及ばないため
やっぱりタニノギムレット次第であろう。それでも、後事を託せる種牡馬がいるだけリアルシャダイより良いのかもしれない。

馬体から資質が見切りにくいことに定評があり、父に似てやや小柄だけど腹袋がボテッとした、見た目より重量感を感じさせる馬、つまり普通走るとされている素軽そうな馬の逆に出たほうが走る傾向がある。
さらにシルクジャスティスのような牛かお前はと言われるくらい馬体に走る気配がない馬が走ったり、タニノギムレットのように筋肉ムキムキで短距離馬みたいな身体してるのに2400mこなしたり
馬体と血統しか判断できない当歳セリで買う馬主や、パドックで馬体を見る派の馬券師・予想家にとっては天敵とも言える存在である。 
余談だが、Sunshine Foreverも本国での失敗やブライアンズタイムの大成功で結局日本にやって来たのだが目も当てられない失敗に終わり
後で日本に輸入された理由も含め、代替種牡馬が本命を完膚なきまでに負かした数少ない例となった。 

零細血統の救世主

その他、ブライアンズタイムの種牡馬としての特筆すべき点として、意外な母父から活躍馬が出るというものがある。

初年度産駒のナリタブライアン(母父ノーザンダンサー)、チョウカイキャロル(母父ミスタープロスペクター)などはともかく、タニノギムレット(母父クリスタルパレス)、トーホウエンペラー(母父ノーリュート)、ダンツフレーム(母父サンキリコ)と、血統マニアで無い限り名前が知られてないような母父からG1馬が誕生することも珍しくないのである。

特に1994年度産駒はサニーブライアン(母父スイフトスワロー)、シルクジャスティス(母父サティンゴ)、エリモダンディー・シルクライトニング(母父イルドブルボン)と、クラシック戦線を賑わせた馬たちがことごとくマイナー血統から生まれているのである(と言いつつイルドブルボンは日本の成績が悪かっただけでイギリスダービー馬も出したことがあるし、母父ハイセイコーのマイネルマックスなんかもいたけれど)。

この世代がマイナー血統軍団でも大活躍したのは決して偶然ではなく、1994年産駒の種付けシーズン(1993年の春~夏)はちょうどブライアンズタイムの初年度産駒がデビューする前であり、種付け料が下落していた(これは別にブライアンズタイムに限ったことでは無く、新種牡馬の人気というものは初年度がピークでそれ以降は少しずつ落ちるものである。1993年には初年度産駒がまだ一歳だったサンデーサイレンスも「トニービンは予定いっぱいなんで今日暇なこいつでどうですか?」なんて言われてサイレンススズカの父になっているのである)。
そのため普段は高額な一流馬に種付けしてもらうのをためらうようなマイナー血統の母馬でもこの年はブライアンズタイムをつけられた、という事情があったのである。

またサニーブライアンやマイネルマックスは繁殖牝馬の数が一桁というレベルの小さな牧場で生まれており、社台や早田牧場がG1を荒稼ぎしていた時代に彗星の如く現れた中小牧場の星と言える存在となり、馬だけでなく人にも希望を与える存在となった(……が、この後上記の馬の活躍のおかげで再び種付け価格が上がり、中小牧場には手が出ないような種付け料になってしまったのだが……もし軽種馬協会のような所に買われてたらお助けボーイと呼ばれたトウショウボーイみたいな扱いになってたかもなあ)。

ただ、1997年世代がブライアンズタイム大暴れに終わったのは彼らの資質ももちろんだが、サンデーがちょうど種付け数が落ち込む時期であったのも多分に影響があった。
なんせ、クラシックにまともに送り込めた有力馬はオースミサンデーくらいであった。そのオースミサンデーも皐月賞で事故死。素質馬サイレンススズカは誰もまともに制御出来ない状態で、ステイゴールドは…菊花賞にギリギリ間に合っただけ。 
後にマイルで覚醒したビッグサンデーを除けばクラシック時点でブライアンズタイム産駒以上の資質はなかった、ということも付け加えておきたい。

高齢となった現在でも種牡馬を続けられているのはこれまでの実績に加えて、どんな血統や環境でもいつ何が起こるかわからないという不確定さも影響しているのかもしれない。種付け料も大分値下がりしたので、中小牧場から父ブライアンズタイムの名馬が生まれることも決して夢物語ではないと思う。

しかし、2013年4月4日に放牧中の事故で右後脚に致命的な骨折を負い安楽死となった。享年28歳。
時代の移ろいを感じずにはいられない出来事であった。

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関連項目

  • ナリタブライアン
  • マヤノトップガン
  • シルクジャスティス
  • サニーブライアン
  • タニノギムレット
  • 競走馬の一覧
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