バンブーメモリー 単語

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バンブーメモリー

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バンブーメモリーとは1985年生まれの日本の元競走馬種牡馬

平成初期を代表する名短距離であるのだが、いかんせん影が薄い
距離とは言ったが、2000メートルでの重賞勝ちもあるので決して短距離一辺倒ではない。

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
バンブーメモリー(ウマ娘)を参照してください。

な勝ち
1989年安田記念(GI)、スワンステークス(GII)
1990年スプリンターズステークス(GI)、高松宮杯(GII)

1989年JRA賞最優秀スプリンター
1990年JRA賞最優秀スプリンター

年齢は現表記に統一。

概要

モーニングフローリックマドンナバンブー、モバリッズ。 誰?

米国で芝GIII勝ちがある程度で、産駒には障害地方重賞での活躍がそこそこいる、としてもそこそこ重賞を送り出しており、決して失敗ではい。の方はバンブー牧場が導入した種牡馬で、昭和シルコレ、セントシーザーを送り出している。系はエルバジェ系アイネスフウジンとか。
牝系はバンブー牧場の基礎牝系であり、更に遡れば戦前下総御料牧場が輸入した、種正に突き当たる。同時期に一族出身のイナリワンが活躍している。

そのバンブーメモリーは栗毛でかなり手な流星を持つで、デビューから引退まで500kg近い体ので、ヤエノムテキとぱっと見似ている。デビュー年齢になると東の武邦彦厩舎(武豊と武幸四は彼の産駒息子)に入厩。デビューは2歳11月で、年末の3戦には勝ち上がった。

生まれつき裂蹄の持病があり、デビューからしばらくダートを使っていたが、4歳頃になると蹄も大体良くなり、4歳5月阪神にて初芝である準オープン戦を快勝。続くシルクロードS(当時OP・1600m)を3着になると、連闘安田記念に挑戦。2018年モズアスコットでちょっとだけ話題になった。

当時の短距離戦線はニッポーテイオーサッカーボーイ引退したことにより、下の代表格がTHE・善戦マンのホクトヘリオスという混戦模様であった。岡部幸雄上で10番人気で迎え、中最後方から直線で群が大きく横に広がると中央から力強く抜け出し、GI初制覇。続く宝塚記念を5着に入り、また中の名物だった頃の高松宮杯(芝2000)を2着。これは期待の新か? と思わせ夏休みに入る。

初戦のスワンSをあっさり勝ち、マイル制覇のえんとしたが、秋の天皇賞の後オグリキャップマイルCSに出走してきやがっ武豊上のバンブーメモリーはめに抜け出し逃げ込み体勢に入るが、いた最内からオグリキャップ猛追。結果ゴール前でハナ差交わされ2着。進路閉めろよ!?と思うが、後の武豊によれば敢えて内をけてガチンコ勝負を挑みたかったのだとか。杉本アナは「負けられない南井克巳、譲れない武豊」と実況し、後続とは4身つけている闘だった。

次走はジャパンカップオグリキャップと一緒に連闘してきたが、オグリキャップホーリックスレコード決着をしているのを傍観するだけの13着に敗戦。流石距離が長いか。1989年はこれで終わり、最優秀スプリンターに選出された。
スプリンターズステークス? 当時は3月開催だったよ。

1990年金杯からスタート予定も口元の病気で出走を取りやめ、また蕁麻疹により先まで休養。
4月京王杯スプリングCから復帰するが5着に敗れ、安田宝塚ともに6着とシーズンは精細を欠く。

CBC賞を2着に入り、高松宮杯勝利し復調気配を見せる。毎日王冠5着を挟んで秋の天皇賞に挑むが、府中2000神様ヤエノムテキ坊ちゃんメジロアルダンの前に3着。マイルCSに挑むが、群を割って伸びるものの、その群の外を伸びてきたパッシングショットの前に2着に敗れる。

この年は冠で終わり? いや、実は1990年からスプリンターズステークスGI昇格の上、有馬記念の前週に移動。マイルCSの再戦やスプリント路線を歩んできたの頂上決戦としての名物になる。
そのスプリンターズステークスでは中中段後方から進めると、群から一気に抜け出してゴールへ飛び込み、GI昇格後のスプリンターズステークス勝利し、日本初のスプリント王になる。因みに本レース上は武豊で、武邦彦管理との武コンビGIを勝ったのはこれが最初で最後である。
この成績もあり2年連続で最優秀スプリンターを受賞した。

翌年も現役を続けたが、安田記念3着が立った成績で、マイルCS8着を最後に引退
通算成績39戦8勝、複勝率5割えており、89, 90年は条件さえ合えば好走していた。

種牡馬入りしたは良いが、マイナーな血統からはほとんど集まらず、出走した産駒は35頭に留まった。それでも地方重賞2頭を出したのは意地と言うべきか。

結構ムキになって走るタイプらしく、上は抑えるのに割と苦労していたようだ。
それでもスパートをかけると炸裂するような末脚を繰り出しており、実力は間違いなく高かった。

2014年8月に生まれ故郷のバンブー牧場で余生を送っていた中、老衰で死去。29歳と大往生を迎えた。
同年3月同期ヤエノムテキが亡くなり、それの後を追うように亡くなった。

血統表

*モーニングフローリック
Morning Frolic
1975 栃栗毛
Grey Dawn
1962 芦毛
Herbager Vandale
Flagette
Polamia Mahmoud
Ampola
Timely Affair
1971 黒鹿毛
Bold Hour Bold Ruler
Seven Thirty
Friendly Relations Nearctic
Flaring Top
マドンナバンブー
1978 鹿毛
FNo.5-h
*モバリッズ
1971 黒鹿毛
Sing Sing Tudor Minstrel
Agin the Law
Musaka Guard's Tie
*アーテミサ
ニンバスバンブー
1964 栗毛
*ニンバス Nearco
Kong
ヤシマテンプル *セフト
神正
競走馬の4代血統表

クロスNearco 4×5(9.38%)

主な産駒

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バンブー牧場は今でも活躍を出しているので、見つけたら馬券ぬいぐるみを買ってあげよう。
余裕のある方はを買おう

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