大沼幸二(おおぬま こうじ、1979年7月3日-)とは、永遠の俺達総帥である。
OB | |
---|---|
大沼幸二 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府東大阪市 |
生年月日 | 1979年7月3日 |
身長 体重 |
178cm 81kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2000年ドラフト1位(逆指名) |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
ドラフト1位で西武ライオンズに潜入…もとい、入団した。背番号は入団時は25で、2002年以降は15。横浜では13。
150km/hを超えるストレートを放る速球派として注目されていたが、コントロールが悪く、四球で走者を溜めたり打たれてしまう。一軍では、制球の悪さが課題となり二軍に降格。しかし、二軍では2002年にはイースタンリーグ最多奪三振を獲得した。断じて俺TUEEEEではない
2004年5月7日、北海道日本ハムファイターズ相手にプロ入り初完封勝利を挙げた。この年は中継ぎに抑えも担当し、チームの優勝に貢献した。2006年、二軍では安定感があったが、一軍では1勝もできずに終わった。その後も二軍で好投→一軍で炎上を繰り返す。
2009年終了時、通算成績218試合登板 16勝29敗、通算防御率4.73。数字だけ見るとパッとしないが、中継ぎ層の薄い西武において、長いイニングを投げられる貴重な右中継ぎとして多大な貢献をしている。いや、マジで。後半は疲労などにより打ち込まれたり、サヨナラ負け投手として目立ってしまったものの、自己最多の54試合登板を記録した。
経験を積んでいくうちに、投球フォームに関しては無駄が無くなり、疲労が少ないプロらしいフォームと好評価を受けている。実際、他の投手が加齢で軒並み球速が衰える中、現在もなお150km/hを超える速球や、好調時にはフォークがよく落ち、スライダーも切れる。渡辺久信監督は彼を「(シーズン)10勝は狙えるピッチャー。どうしてできないんだろうな」と評価は高い。活躍できない最大の原因は制球難を生むチキンハート。異常な四球癖が問題視されているが、上記の理由により常に戦力として期待され起用され続けていた。
2010年、肩の違和感により開幕から外れてしまう。先発陣の相次ぐ故障や、自身のファームでの好投をうけて、7月17日には先発出場。2007年9月8日の日本ハム戦以来、およそ3年ぶりとなる先発勝利を挙げ、3試合に先発したがその後は不振が続き、16試合登板で防御率7.71という成績に終わった。
2010年オフ、背番号が15から61に変更されることが決まり、いよいよ背水の陣…と思った翌年1月20日、弥太郎とのトレードで横浜ベイスターズへの移籍が決定した。
2011年は右肩の故障を隠しながら14試合に登板するものの、2012年はその右肩の回復が思わしくなく、一軍どころか二軍でも登板が出来ない状態にまで悪化していたため、本人の意向により6月25日、任意引退選手として公示された。
残念ながら、ファンやアンチ含め大沼を軽蔑する者が多い。しかし、ファンサイトの存在や「プリンスホテルの星」として真剣に彼を応援しているファンもまた大勢いることを忘れてはならない。
_、_ バッ
( ,_ノ` ) <ククク、無駄なことを。素直に総帥としての役目を果たすがいい。
Σ∩| | | ∩
( 〒U〒) <僕はあきらめない!!今日こそチームを救ってみせる!!
| β13 |
通算:11年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 248 | 30 | 2 | 1 | 18 | 30 | 6 | 25 | .375 | 448.0 | 236 | 334 | 272 | 248 | 4.98 |
急上昇ワード改
最終更新:2024/06/05(水) 14:00
最終更新:2024/06/05(水) 14:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。