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ヤマグチシュン

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山口俊(やまぐち しゅん、1987年7月11日-)とは、大分県出身のプロ野球選手(投手どすこいドスコーソ)である。現在は読売ジャイアンツに所属。

概要

読売ジャイアンツ #42
山口俊
基本情報
国籍 日本
出身地 大分県中津市
生年月日 1987年7月11日
身長
体重
187cm
90kg
選手情報
投球・打撃 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 2005年高校生ドラフト1巡目
経歴
  • 柳ヶ浦高等学校
  • 横浜ベイスターズ
    横浜DeNAベイスターズ(2006年-2016年)
  • 読売ジャイアンツ(2017年-)
プロ野球選手テンプレート

150km/hの直球と、フォークが武器の本格派右腕。父は元幕内力士で、本人も相撲を練習に取り入れており、どっしりした体格もあってファンからは「どすこい」と呼ばれている。

2005年の高校生ドラフト1巡目で指名され、柳ヶ浦高校から横浜ベイスターズに入団。

横浜・DeNA時代

2006年に、プロ入り初登板初先発初勝利を読売ジャイアンツ戦で挙げる。早いイニングで球威が落ちてヘロヘロになっているのが目に見えて分かるような状況だったが、巨人打線は何故か山口から打てず、5回2アウトまでは走者を1人も出さないパーフェクトピッチングだった。先発として期待されたが、その後は結果を残せず2007年はその初登板時の1勝のみに留まる。


2008年から中継ぎに転向。シーズン終盤に一軍に昇格し、16試合で防御率0点台の好成績を残した。


2009年のシーズン途中から、石井裕也に替わってクローザーになった。


2010年は横浜の選手で唯一オールスターに出場した。ただし救援失敗も多い。(2010年は2勝8敗30セーブ・防御率2.62。2011年は2勝6敗34セーブ・防御率2.49)


2011年オフの契約更改で、1987年度生まれの世代で初の1億円プレーヤーになった。


2012年は開幕戦でいきなり救援失敗、4月10日にはサヨナラを許してしまうなど不安定なピッチングが続くも、金髪だった髪の毛を丸刈りにしてから調子を上げ5月と6月は無失点と持ち直す。最終的に自己最多の60試合に登板して1勝2敗22セーブ、防御率1.74で終えた。負け数や防御率、被本塁打(1本)などは去年から大幅に改善されたが、同点やビハインドでの登板も多々ありセーブ数は大きく減らした。また、9月4日の東京ヤクルトスワローズ戦で史上25人目となる通算100セーブをあげた(ちなみに最年少記録である)。

2013年シーズン途中でストッパーをホルヘ・ソーサに譲り、リリーフ転向後最少の7セーブに終わった。


2014年は、開幕からこれまで通り抑えを任されるも、4月2日の巨人戦にて、4点リードの1アウト満塁の場面で登板したものの、9人に対して9失点を喫して逆点される汚れ役悪夢のような救援失敗劇をやらかしてしまう。その後は目立った炎上もなく何なく抑えたものの、5月での1ヶ月の調整期間を経て、交流戦で先発に配置転換することが決定。ちなみに、この4月時点で抑えとしての山口の防御率は7点代であった。
そして6月1日の千葉ロッテマリーンズ戦にて、実に7年ぶりの先発を務める。ファンからの期待と不安を背負いながらも6回無失点と好投。シーズン初勝利を挙げた。その後も、この年大補強と現有戦力の急成長でパリーグの打率ランキングを独占していた福岡ソフトバンクホークス相手に8回1失点で投げ勝つなど予想以上の活躍を見せ続け、以降は完全に先発ローテーションとして定着。
後半戦以降は好投するも中々勝ち星がつかなかったり、初回に死球で退場になったりしたこともあったが、7月1日の中日ドラゴンズ戦ではプロ初ホームランを放つなど打撃でも非凡さを見せつけ、8月に2ヶ月ぶりにようやく勝ち星を得てからは0で抑えることこそ少ないものの、兼ね安定した投球を披露した。(ドスコーソも参照のこと)
特に9月には阪神タイガース戦で(プロ初)完投勝利1回と、ヤクルト戦(プロ初)・阪神戦と2回に渡る完封勝利を上げ、4月の7点代の防御率もヤクルト戦の完封時点で2点代にまで回復した。球団が苦手としていた巨人戦でも、杉内と二度対戦しどちらも投げ勝つなど、この年の巨人戦で3タテを唯一喫しなかったDeNAの戦いぶりを体現する活躍を見せた。


2015年は開幕から3連勝するなど快調な滑り出しだったが、5月以降は不振に陥り、7月に6連敗を喫した。


2016年は開幕投手を務めようとしたが、右足をねん挫したため井納翔一が務めた。4月9日のヤクルト戦で初登板初先発し、5失点を喫したがプロ2本目のホームランも放ち、勝利投手となった。オールスターにも選出されたが、左足首の捻挫で離脱する。復帰後も活躍し、クライマックスシリーズ出場に貢献したが、9月に右肩を痛め、残りのシーズンの登板はなかった。

巨人時代

2016年オフにFA宣言し、読売ジャイアンツに移籍した。背番号は42。


2017年は右肩違和感の影響で三軍で調整を続けていた。6月14日の福岡ソフトバンクホークス戦でようやく初登板し、6回無失点でマウンドを降りる。その後はスコット・マシソン、アルキメデス・カミネロも無安打無失点に抑え、継投でのノーヒットノーランを達成。移籍後初勝利を挙げ、お立ち台で涙を流した。

プレースタイル

典型的速球派投手であり、コントロールは良くない。危険球退場回数はNPBタイ記録の3回を記録している。

抑え時代は暗黒ベイスターズの守護神として君臨していた。たとえば2011年はベイスターズが年間47勝だったのに対し、山口のセーブ数は34個である。

しかし力士の血を受け継いだと思われるガタイの大きさ、態度のふてぶてしさと相反した豆腐メンタルの持ち主であり、自信をなくすと一気に崩れ不安定な投球が始まるという面も持ち合わせている。そのせいもあってか、専属メンタルコーチを雇ったとか……。

先発転向後は強靱なスタミナを持ち合わせる完投型投手に変化した。守護神という失点を許されない立場から先発に転向したのがハマったのか、年々安定感を増している。

年度別投手成績

(2016年終了時点)

年度 球団 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率 WHIP
2006年 横浜
DeNA
5 0 0 1 2 0 0 .333 21.0 8 17 15 15 6.43 1.43
2007年 6 0 0 0 3 0 0 .000 20.0 10 14 16 14 6.30 1.55
2008年 16 0 0 1 1 0 2 .500 23.2 16 28 2 2 0.76 1.10
2009年 51 0 0 5 4 18 7 .556 55.0 17 68 22 20 3.27 1.11
2010年 54 0 0 2 8 30 2 .200 68.2 24 78 20 20 2.62 1.18
2011年 59 0 0 2 6 34 1 .250 61.1 19 48 20 17 2.49 1.06
2012年 60 0 0 1 2 22 3 .333 62.0 22 62 13 12 1.74 1.10
2013年 44 0 0 5 2 7 6 .714 46.2 16 48 28 28 5.40 1.33
2014年 33 3 2 8 5 0 3 .615 124.0 60 96 58 40 2.90 1.35
2015年 20 2 0 3 6 0 0 .333 114.1 42 119 67 57 4.49 1.48
2016年 19 5 3 11 5 0 0 .688 138.2 44 121 48 44 2.86 1.13
NPB:11年 367 10 5 39 44 111 24 .470 735.1 278 699 309 269 3.29 1.25

青文字はリーグ最高。

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関連項目

  • プロ野球選手一覧
  • 横浜DeNAベイスターズ
  • どすこい
  • ドスコーソ
  • 山口の5球
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