山口俊 単語


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ヤマグチシュン

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山口俊やまぐち しゅん1987年7月11日-)とは、大分県出身の元プロ野球選手投手どすこいドスコーソ)である。

概要

150km/hの直球と、フォーク武器の本格右腕。は元幕内力士で、本人も相撲練習に取り入れており、どっしりした体格もあってファンからは「どすこい」と呼ばれている。

2005年高校生ドラフト1巡名され、高校から横浜ベイスターズに入団。背番号11

横浜・DeNA時代

2006年に、プロ入り初登板先発勝利読売ジャイアンツ戦で挙げる。いイニングで球威が落ちてヘロヘロになっているのがに見えて分かるような状況だったが、巨人打線は何故か山口から打てず、5回2アウトまでは走者を1人も出さないパーフェクトピッチングだった。先発として期待されたが、その後は結果を残せず2007年はその初登板時の1勝のみに留まる。


2008年から中継ぎに転向。シーズン終盤に一軍に昇格し、16試合防御率0点台の好成績を残した。


2009年シーズン途中から、石井裕也に替わってクローザーになった。


2010年横浜の選手でオールスターに出場した。ただし救援失敗も多い。(2010年は2勝8敗30セーブ防御率2.62。2011年は2勝6敗34セーブ防御率2.49)


2011年オフ契約更改で、1987年度生まれの世代で初の1億円プレーヤーになった。


2012年は開幕戦でいきなり救援失敗、4月10日にはサヨナラを許してしまうなど不安定なピッチングが続くも、金髪だった髪の毛丸刈りにしてから調子を上げ5月6月失点と持ち直す。最終的に自己最多の60試合登板して1勝2敗22セーブ防御率1.74で終えた。負け数や防御率被本塁打(1本)などは去年から大幅に改善されたが、同点やビハインドでの登板も多々ありセーブ数は大きく減らした。また、9月4日東京ヤクルトスワローズ戦で史上25人となる通算100セーブをあげた(ちなみに最年少記録である)。

2013年シーズン途中でストッパーホルヘ・ソーサに譲り、リリーフ転向後最少の7セーブに終わった。


2014年は、開幕からこれまで通り抑えを任されるも、4月2日巨人戦にて、4点リードの1アウト満塁の場面で登板したが、9人に対して9失点を喫して逆点される汚れ役悪夢のような救援失敗劇をやらかしてしまう。その後は立った炎上もなく何なく抑えたが、5月での1ヶの調整期間を経て、交流戦先発に配置転換することが決定。ちなみに、この4月時点で抑えとしての山口防御率は7点代だった。
そして6月1日千葉ロッテマリーンズ戦にて、実に7年ぶりの先発を務める。ファンからの期待と不安を背負いながらも6回失点と好投。シーズン勝利を挙げた。その後も、この年大補強と現有戦力の急成長でパリーグ打率ランキングを独占していた福岡ソフトバンクホークス相手に8回1失点で投げ勝つなど予想以上の活躍を見せ続け、以降は全に先発ローテーションとして定着。
後半戦以降は好投するも中々勝ちがつかなかったり、初回に死球で退場になったりしたこともあったが、7月1日中日ドラゴンズ戦ではプロホームランを放つなど打撃でも非さを見せつけ、8月に2ヶぶりにようやく勝ちを得てからは0で抑えることこそ少ないものの、兼ね安定した投球を披露した。(ドスコーソも参照のこと)
特に9月には阪神タイガース戦で(プロ初)完投勝利1回と、ヤクルト戦(プロ初)・阪神戦と2回に渡る完封勝利を上げ、4月の7点代の防御率ヤクルト戦の完封時点で2点代にまで回復した。球団が苦手としていた巨人戦でも、内と二度対戦しどちらも投げ勝つなど、この年の巨人戦で3タテを一喫しなかったDeNAの戦いぶりを体現する活躍を見せた。


2015年は開幕から3連勝するなど快調な滑り出しだったが、5月以降は不振に陥り、7月に6連敗を喫した。


2016年開幕投手を務めようとしたが、右足をねん挫したため井納翔一が務めた。4月9日ヤクルト戦で初登板先発し、5失点を喫したがプロ2本ホームランも放ち、勝利投手となった。オールスターにも選出されたが、左足首の捻挫で離脱する。復帰後も活躍し、クライマックスシリーズ出場に貢献したが、9月に右肩を痛め、残りのシーズン登板はなかった。

巨人時代

2016年オフFA宣言し、読売ジャイアンツに移籍した。背番号42


2017年は右肩違和感三軍で調整を続けていた。6月14日福岡ソフトバンクホークス戦でようやく初登板し、6回失点でマウンドを降りる。その後はスコット・マシソンアルキメデス・カミネロ安打失点に抑え、継投でのノーヒットノーランを達成。移籍後初勝利を挙げ、お立ち台を流した。一方で、初の古巣との試合先発投手となった7月2日横浜DeNAベイスターズ戦では、ファンからブーイングを受ける中で4回6失点炎上してマウンドを降り、最終的に敗北投手となる。
30歳の誕生日を迎えるが、誕生日パーティー泥酔して右手を負傷。更に治療のため向かった都内の病院器物損壊および暴行事件を起こして、公式登板が見合わせとなる。最終的に8月18日に書類送検され、11月30日までの出場停止(事実2017年シーズン中は出場停止)、総額で1億円をえるとされる罰金・減棒処分となった。


2018年契約年数を1年減らされたものの、契約を更改。前年の汚名返上を誓って練習に励み、マウンドへと登り続けた。そして、7月28日中日戦(東京ドーム)にて、1与四球のみの完全試合ノーヒットノーランを達成。
NPB史上では79人、90回の快挙で、準完全試合ノーノーは16回100セーブ達成者がノーノーを達成したのは史上初である。オフ背番号11に変更した。


2019年は開幕から4連勝を挙げ、初めてMVPを受賞した。26試合登板で15勝、188奪三振とキャリアハイの成績を残し、リーグ優勝に貢献。最多勝最高勝率最多奪三振タイトルを獲得した。自身初の日本シリーズでは第1戦に登板したが、ソフトバンク打線に打ち込まれ、6回3失点敗戦投手となった。プレミア12日本代表に選出され、決勝戦の韓国戦で1回3失点を喫したが、味方打線逆転してリードしたため、世界一を経験した。

ブルージェイズ時代

2019年11月18日にはポスティングシステムを使用したメジャーリーグ移籍を表明し、12月27日トロント・ブルージェイズが2年契約を結んだことを正式発表した。背番号1

2020年7月27日タンパベイ・レイズ戦でデビューしたが、2失点サヨナラ負けを喫し、敗戦投手となった。8月26日ボストン・レッドソックス戦では4回1失点メジャー勝利を挙げた。1年は17試合登板で2勝4敗1ホールドだった。

2021年2月11日に戦力外となった。

ジャイアンツ傘下時代

2021年2月20日サンフランシスコ・ジャイアンツマイナー契約を結んだ。しかし3Aで結果を残せずに6月3日自由契約となった。

第2次巨人時代

2021年6月10日読売ジャイアンツへの復帰が発表された。背番号997月7日中日戦で2勝を挙げて以降は7連敗を喫し、2勝8敗と負け越した。オフ背番号17に変更した。


2022年は開幕から一軍登板がないまま、二軍戦で左膝を負傷。1試合登板に終わり、戦力外を受けた。その後は12球団合同トライアウトに参加したが、獲得に動く球団は現れず、2023年3月29日に現役を引退した。

プレースタイル

的速球投手であり、コントロールは良くない。危険球退場回数はNPBタイ記録の3回を記録している。

抑え時代は暗黒ベイスターズの守護神として君臨していた。たとえば2011年ベイスターズが年間47勝だったのに対し、山口セーブ数は34個である。

しかし力士の血を受け継いだと思われるガタイの大きさ、態度のふてぶてしさと相反した豆腐メンタルの持ちであり、自信をなくすと一気に崩れ不安定な投球が始まるという面も持ち合わせている。そのせいもあってか、専属メンタルコーチを雇ったとか。

先発転向後は強スタミナを持ち合わせる完投投手に変化した。守護神という失点を許されない立場から先発に転向したのがハマったのか、年々安定感を増し、巨人移籍後は前述通りノーヒットノーランも達成している。

応援歌

球団 レス No プレイヤー
巨人 セントラル・リーグの応援歌のピコカキコ一覧#78 16256
16256

成績

年度別投手成績

年度
Year
球団
Team
登板
G
先発
GS
完投
CG
完封
SHO
勝利
W
敗戦
L
セーブ
SV
ホールド
HLD
勝率
W-L%
投球回
IP
与四球
BB
奪三振
SO
失点
R
自責点
ER
防御率
ERA
2006年 横浜
DeNA
5 5 0 0 1 2 0 0 .333 21.0 8 17 15 15 6.43
2007年 6 4 0 0 0 3 0 0 .000 20.0 10 14 16 14 6.30
2008年 16 0 0 0 1 1 0 2 .500 23.2 16 28 2 2 0.76
2009年 51 0 0 0 5 4 18 7 .556 55.0 17 68 22 20 3.27
2010年 54 0 0 0 2 8 30 2 .200 68.2 24 78 20 20 2.62
2011年 59 0 0 0 2 6 34 1 .250 61.1 19 48 20 17 2.49
2012年 60 0 0 0 1 2 22 3 .333 62.0 22 62 13 12 1.74
2013年 44 0 0 0 5 2 7 6 .714 46.2 16 48 28 28 5.40
2014年 33 17 3 2 8 5 0 3 .615 124.0 60 96 58 40 2.90
2015年 20 20 2 0 3 6 0 0 .333 114.1 42 119 67 57 4.49
2016年 19 19 5 3 11 5 0 0 .688 138.2 44 121 48 44 2.86
2017年 巨人 4 4 0 0 1 1 0 0 .500 21.0 16 22 15 15 6.43
2018年 30 21 6 2 9 9 1 1 .500 154.0 60 144 66 63 3.68
2019年 26 26 0 0 15 4 0 0 .789 170.0 60 188 60 55 2.91
2020年 TOR 17 0 0 0 2 4 0 1 .333 25.2 17 26 25 23 8.06
2021年 巨人 15 15 0 0 2 8 0 0 .200 78.1 37 83 34 31 3.56
2022年 1 0 0 0 0 0 0 0 .--- 2.0 2 4 0 0 0.00
NPB:16年 443 131 16 7 66 66 112 25 .500 1160.2 453 1140 484 433 3.36
MLB:1年 17 0 0 0 2 4 0 1 .333 25.2 17 26 25 23 8.06

国際大会での投手成績

年度 代表 大会 登板 先発 勝利 敗戦 セーブ 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
2019年 日本 プレミア12 3 3 0 0 0 .--- 9.0 3 10 6 6 6.00

タイトル・表彰・その他

タイトル
NPB 最多勝 1回 2019年
最高勝率 1回 2019年
最多奪三振 1回 2019年
NPB MVP 1回 2019年3・4月
その他
NPB オールスターゲーム出場 3回 2010年2011年2019年
ノーヒットノーラン 1回 2018年7月27日

関連動画

プロ入り前

横浜・DeNA時代

巨人時代

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