札幌市時計台とは、札幌を代表する観光名所のひとつで、国の重要文化財に指定されている建造物。単に「時計台」とも呼ばれる。
北海道札幌市中央区に所在。
時計台は、札幌農学校の演武場として、農学校の初代教頭であったクラーク博士により構想、第2代教頭であったホイラーが設計を行い、明治11年(1878年)に建設された。余談であるが、クラーク博士は演武場落成の前年、明治10年(1877年)に札幌を去り帰国しているため、実際に演武場で教鞭を執ったわけではない。
当時は現在のような時計塔ではなく小さな鐘楼が設置されていたが、黒田清隆開拓長官が塔時計の設置を発案したのを受け、ホイラーがアメリカの時計メーカー「ハワード」に塔時計を発注。しかし、明治12年(1879年)に到着したこの塔時計は思いのほか大掛かりなもので、既存の鐘楼には設置できないものであったため、かなりの大改修を余儀なくされたという。時計塔の設置工事は明治14年(1881年)の5月頃に着手され、同年6、7月頃に完成した。
明治21年(1888年)、演武場に設置された時計を札幌の標準時計とする旨の告知がなされる。
明治36年(1903年)、札幌農学校は現在の北海道大学の位置へと移転されることになったが、市民の時計塔への愛着や標準時計としての役割(当時は一般市民が気軽に時計を所持できる社会情勢ではなかった)から、演武場はその場に残ることになった。このとき演武場は札幌区に貸与され、公会堂として使用されることとなった。
明治39年(1906年)、演武場は札幌区に買収され、街区の整備に伴い、解体せずに曳屋で現在の位置に移転。この頃から演武場は「時計台」と呼ばれるようになったと言われる。
その後、市民の集会場・図書館として利用されてきた時計台は、昭和42年(1967年)からは札幌の歴史を展示する施設となり、昭和45年(1970年)には時計機械ともども国の重要文化財として指定を受けている。
現在は札幌市のカントリーサインや市民憲章をはじめ札幌のイメージとして広く使われており、札幌の象徴ともいえる施設となっている。
以上のように、札幌市と共に歴史を歩んできた時計台であるが、がっかり名所という不名誉な呼び方をされることが少なくない。
なぜ、時計台はがっかり名所と呼ばれるようになってしまったのか。
理由はいくつか考えられるが、代表的なものとしては「景観の問題」が挙げられる。札幌の都市としての発展と共に時計台の周辺にも大規模なビルが建ち並び、歴史的建造物としての時計台の雰囲気を壊すと同時に、相対的に規模の小さい時計台に「ぱっとしない」印象を与えてしまっているのである。
観光客の中には、その「がっかりっぷり」をあえてネタにするために時計台を訪れる者もいるという。市民としてはなんとも複雑な気分である。
確かに、その景観は市民も認めざるを得ないほど残念なのは事実である。しかし、沿革の項で述べたとおり、時計台は「札幌の歴史を展示する施設」である。時計台を訪れようと思うのなら、ぜひとも建物の中に入ってもらいたい。
一般人が実際に見ることができるのは、時計台の1階と2階の部分。1階はパネルや標本などで札幌の歴史を伝える展示室、2階はホールとなっている。特に2階ホールは歴史を感じさせる、とても雰囲気のあるフロアである。洋風の近代建築が好きな人にはオススメである。
| 大人個人 | 200円 |
|---|---|
| 大人団体 (総人員20人以上) |
180円 |
| 中学生以下 | 無料 |
※なお、入館時に障がい者手帳、療育手帳、精神障害者保険福祉手帳を提示すると、手帳の所持者および介護者1名(車椅子使用者の場合は2名まで)が無料となる。
開館時間は8時45分~17時10分。ただし入館の受付は17時までである。
なお、毎月第4月曜日(第4月曜日が祝日の場合はその翌日)と年末年始(12月29日~1月3日)は休館日である。
時計台の画像はNo.60とかNo.80~82あたりにあります。
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最終更新:2025/12/11(木) 22:00
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