淡路島とは、近畿地方兵庫県に属する瀬戸内海最大の島である。洲本市、淡路市、南あわじ市の3市からなる。
北東から南西へかけて細長く伸びた(わかりやすく言うと琵琶湖をひっくり返したような感じ)形が特徴的であり、本州4島を除けば日本で7番目に大きい。具体的な数字で言うと約592.26km²ほどで、シンガポールや琵琶湖よりちょっと小さい。人口は約14万9000人。
北部と南部の淡路山地と中南部の淡路平野に分けられ、周囲の主な属島には紀淡海峡の成ヶ島(なるがしま)、紀伊水道の沼島(ぬしま)がある。名前の由来は「阿波への道」が語源とよく言われているが(2本の橋が出来てからは実際そうなのだが)、『古事記』や『日本書紀』で淡路が最初にできたとあるので近年では否定的な見解も出ている。
大阪湾、播磨灘、紀伊水道に四周を囲まれ、本州とは北端の明石海峡大橋、四国とは南西端の鳴門海峡大橋で繋がり、島を縦断する形で神戸淡路鳴門自動車道が通っている。かつては明石海峡や鳴門海峡といった海の難所の存在のためにアクセスが不便だったが、2つの大橋ができてから本州や四国との行き来がしやすくなった。現在では、四国の人々が関西方面へ出ていく際の通り道にもなっているようである。
瀬戸内海式気候に属しているため、年を通じて天気や湿度が安定しており比較的過ごしやすいものの、夏の降雨量が少ないために水不足が起こりやすく、その対策として島内各地に23000ものため池が存在している。これは兵庫県内にあるため池の半数を超えており、いかに島民にとって夏場の水不足が深刻であったかを物語っている。今じゃブラックバスの釣り場になってたりするけど。また、島全体の標高が低いので真冬であっても雪が降るのは稀である。
穏やかな気候に恵まれ、豊かな自然と動植物が暮らす県内有数の景勝地の宝庫。要は田舎である。特に、成ヶ島にはレッドリストに登録された絶滅危惧種の動植物が生息している。また、周囲を瀬戸内海や紀伊水道に囲まれているため、海の幸が豊富であり、季節を問わず多種多様な魚が釣れるので近畿圏内の釣り人にとっては人気スポットでもある。なお、沼島には非常に珍しい鞘型褶曲という岩石(簡単に言うと1億年前に出来た地球の「しわ」)があり、同心円状のものはこことフランスの1ヶ所でしか見られないそうな。
意外と著名な出身人物が多い。例をあげると、作詞家の阿久悠、ドラクエなどで有名な堀井雄二、三洋電機創始者の井植歳男、女優の大地真央、俳優の渡哲也、渡瀬恒彦、タレントの上沼恵美子、サッカー選手の加地亮など。他にも山口組初代組長や衆議院議員当選20回を超えた道路族のドンなんかもここの出身だったりする。
ちなみに全くの余談だが、サンテレビが映るため四国民よりも深夜アニメに恵まれていたりするので、一概に田舎とは呼べないのかもしれない。
古くは日本列島の国産みの神話にその名が登場し、『古事記』では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)、『日本書紀』では淡路洲と書かれており、伊弉諾尊・伊弉冊尊の二神が最初に生んだとされる。つまり神話上では、淡路島は日本で一番最初に誕生した島である。
蘇我氏最大のライバルであった物部氏と関係が深く、現在でも物部や上物部などといった地名として残っている。律令制の下では淡路国(あわじのくに)として成立し、租庸調に加えて贄とよばれた海産物を朝廷に奉納する役目を持っていた。このような国は御食国(みけつくに)と呼ばれ、その数は限られていたそうな。
朝廷による支配が崩壊した後は様々な紆余曲折があった後に池田輝政の三男・池田忠雄に分与され淡路洲本藩として立藩したのだが、忠雄が兄の後を継いで岡山藩に移ったために廃藩となり、最終的に阿波藩(明治以降は徳島藩)領となった。阿波藩からは家臣の稲田氏が派遣され、以後淡路は稲田氏によって収められることになった。
しかし、時代が流れるにつれて徳島本藩と稲田氏との間には確執が広がるようになり、明治維新後の徳島藩の禄制改革の際、陪臣である稲田家臣は士族として認められなかったためにそれは決定的なものとなった。稲田家臣たちは淡路を洲本藩として独立させることを目指して政府にも働きかけるようになり、それに反発した徳島本藩側の過激派藩士たちが、明治3年5月13日(1870年6月11日)に洲本城下の稲田家とその藩士らの屋敷を襲撃するという事件が発生する。この事件は庚午事変(稲田騒動)と呼ばれ、この事件を機に淡路島は兵庫県へと編入させられ現在に至っている。なお、その際に稲田氏側には北海道静内と色丹島 の配地を与えるという名目の島流しで家臣全員に移住開拓を命じており、現在の静内には開拓民として奮闘した彼らをたたえる記念碑が建てられている。ここらへんの経緯は、ドラマにもなった小説『お登勢』や『北の零年』などに詳しい。
1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震の震源地(旧北淡町)でもあり、島全体で大きな被害を受けた。その際に地表に露出した野島断層は、震災を後世に伝えるために保存館が建てられ、国の天然記念物に指定されている。震災当時は明石海峡大橋の建設中であったが、震災の影響で橋の中央支間距離が1m伸びただけでなく、本来は淡路側の山上にフランス革命200周年記念事業として日仏友好モニュメントが建設予定であったが休止されている。
震災から復興しつつあった2000年にはジャパンフローラ2000(通称:淡路花博)が開催され、世界中の珍しい花が集められ、多くの観光客でにぎわった。2002年のFIFAワールドカップではイングランドチームの合宿地となり、ベッカムたちイングランドチームの勇士たちが淡路島で英気を養い、本戦へと臨んでいる。
主に農業や漁業が盛んであり、1次産業の就業割合は県平均の約10倍にあたる。主な特産品としてはまず第一に玉ねぎがあげられる。淡路産玉ねぎは甘味が強いのが特徴であり、近畿圏内だけでなく全国でも高い人気を持つ。また、酪農も盛んであり、淡路で育てられる但馬牛の子牛は島外へ出荷され、松阪牛や近江牛の素牛となるだけでなく、淡路の牛が神戸で解体されると神戸牛になる。つまり、松坂牛や神戸牛の牛は淡路島にルーツを持つ物が多いのである。漁業方面では瀬戸内海でとれるイカナゴを佃煮にした「イカナゴの釘煮」が郷土料理として愛されており、土産品としても人気が高い。
また、ほとんど知られていないことだが、 線香の有名生産地でもあり、全国生産量の約7割が淡路島の淡路市(旧一宮町)で生産されている。縁日でよく売られている吹き戻し(息を吹き込むとピーという音とともに紙筒が伸びて、吹くのをやめると先の方からクルッと戻ってくるアレ)に至っては全国シェア8割を誇り、国内で製造される吹き戻しのほとんどが淡路島産ということになる。吹き戻しの里に行けば工場見学や実際に作って遊ぶもできるよ!
他にも、全国でここでしかとれないミカンの鳴門オレンジや日本三大瓦に数えられる淡路瓦、明石海峡大橋の別名の由来にもなった真珠核も特産品の一つ。
また、創業者が淡路島出身なため、三洋電機の支部が存在する。ここでは携帯電話の電池などの各種電池事業の拠点であり、三洋電機の経営が傾く中で利益を上げ続けた。
島内には伝統芸能や農業から生まれた民間信仰、独特の習俗などが多く残っており、中でも淡路人形浄瑠璃は国の重要無形民俗文化財に指定され、保存活動が行われている。他にも「芝右衛門狸」という狸の民話が伝わっており、日本三名狸の一つとして数えられているんだそうな。
島内では淡路弁という方言が話されていることが多い。これは、普通の関西弁と徳島弁を足して割ったような感じ。また、由良地方では更に由良弁という独特な方言が残っており、島民ですら由良のお年寄りが何を言ってるのかわからないことは結構あることである。淡路弁の代表的なものとして「~だー?」というものがある。これは付加疑問であり、「コメントしてもいいんだー?」は「コメントしてもいいんでしょ?」って感じの意味である。他にも興味があればここら辺のサイトを見てね!
かつては洲本市・津名郡・三原郡の1市10町体制であったが、平成の大合併の煽りを受けて市町村合併を行い、現在では洲本市、淡路市、南あわじ市の3市体制となっている。
合併前から存在する唯一の市。戦時中から存在する県内でもかなり古い歴史を持つ市である。2006年に旧五色町と合併し、現在の人口は約47,000人。
淡路島のほぼ中央に位置し、かつての阿波藩領時代の城下町を基盤とする中心市街地があり、淡路島の中では最も都市化が進んでいると思われる。島唯一のネカフェや島唯一の映画館があるのもここ。サンテレビ視聴者なら一度は目にしたことであろうホテルニューアワジがあるのもここ洲本市である。ジャスコは若者たちのたまり場。
大正期に建てられたレンガ造りの建て物(元はカネボウの工場)もちょっとした有名スポットであり、再開発によって現在はレストランや図書館へと生まれ変わっている。実物を見たい人は洲本高速バスセンターでバスを降りると目の前に建っているのでオススメ。
2005年4月1日に旧・津名郡淡路町、津名町、北淡町、一宮町、東浦町が合併して誕生した。明石海峡大橋で神戸市と結ばれている。現在の人口は約47,000人。
淡路島の北半分に位置し、大阪湾や播磨灘に面しているため漁業が盛んであり、前述の線香はほぼ淡路市で生産されている。また、ふるさと創生事業で旧津名町がレンタルした一億円の金塊を引き継いで展示していたが、金相場が高騰したためにレンタルを解消して保証金を受け取った。ある意味でふるさと創生事業をうまく活用した自治体と言える。阪神・淡路大震災の震源地でもあり、現在でも野島断層は震災の傷跡として保存・展示されている。なお、後述する淡路SAは新たな観光スポットとして知名度を上げている。
2005年1月11日に旧・三原郡三原町、緑町、西淡町、南淡町が合併して誕生した。鳴門海峡大橋で徳島県と結ばれている。合併によって島内最大の面積と人口を持つようになり、現在の人口は約50,000人。
淡路島の南半分に位置し、当り前ではあるが兵庫県最南端の市である。広大な平野地帯があるため昔から農業が盛んなところであり、淡路島を代表する玉ねぎはほとんどこの南あわじ市で生産されている。現在ではちょくちょくテレビでCMをやってたりもする。他にも酪農が盛んで質のいい牛たちが育てられている。
本州と四国を結ぶ神戸淡路鳴門自動車道が縦断しており、本州へは明石海峡大橋で、四国へは鳴門大橋で繋がり、本州と四国を結ぶ高速バスが多数走っている。明石海峡大橋ができるまではもっぱら本州へはフェリーや高速船しか移動手段がなかったために非常に不便であったが、現在では明石海峡大橋ができたことで利便性が高まった。そのせいでストロー現象が発生したりしたけど。神戸淡路鳴門自動車道中にある淡路SAはJB本四高速の休憩施設の中でも最大規模を誇り、総売り上げは全国トップクラスを誇る。2006年にはなぜか観覧車ができ、新しい観光スポットとなりつつある。ちなみに、なんでこんなにアクセス面で恵まれているのかというと、自民党の有力者であった原健三郎氏が淡路島出身だったためである。
なお、2010年末にたこフェリーこと明石淡路フェリーが休止したため、現在淡路島への航路は高速船のみとなっている。そのため、自転車を除く軽車両・原付・小型自動二輪車・ミニカーが自走で淡路島へ出入りする手段は存在しなくなった(2つの大橋はどちらも自動車専用道路のため)のでツーリング目的で興味がある人は注意が必要である。また、以前は関西空港行きの高速船があったが、2007年に航路が廃止されたので現在和歌山方面へは遠回りをしなければならない状況にある。
島内には電車が存在しないため(かつては存在したが現在は廃線)、島内の移動手段はもっぱら自動車もしくはバスによる。ただし、島内を走る淡路交通バスは全国一料金が高いと悪名高い料金設定であるため、旅行の際は自動車を利用した方が賢明である。
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最終更新:2025/12/06(土) 16:00
最終更新:2025/12/06(土) 15:00
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