自演動画の歴史(1000〜2000万時代) 単語

ジエンドウガノレキシイッセンマンカラニセンマンコメ

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自演動画の歴史(1000〜2000万時代)とは、sm125732の1000万コメントから2000万コメントに至るまでの歴史を紹介する。期間は、2008年10月15日〜2011年5月31日。

0~1000万は自演動画の歴史(0〜1000万時代)を参照。

過疎、コメ禁、首位陥落・・・(2008年11月〜2010年4月)

2008年11月~12月

1000万からの達成感からかコメを打つ量も減り支援者もキリが良いと見たか不調に乗じて離脱し始める。

また、11月中旬から再びコメ禁圧力が強まる・・・第二次コメ禁騒動(2008年11月中旬~2009年1月下旬)
コメ禁によるコメント消去率は約1割で、2月ほどの衝撃ではなかったものの、コメ数の停滞を長期化させた

11月の月刊コメ数は17万となり、までの月刊40えの勢いから急落。
以降も月刊18万台のペースが続く・・

12月30日公開ニコニコランキングSP4 年の瀬ですね、わかります。スペシャル コメント数3位 総合417
年末年始は支援者が訪れるなどしてコメント数は一時的に増加

2009年2月

2月になって、ようやくコメ禁圧力が弱まる

10日 「水銀党員の力を見せてみろ!!(党員)」が「卑怯戦隊うろたんだー」を抜かして合計コメラン3位に
22日 党員が「頭がパーン」を抜かして合計コメラン2位に。
ここから4年半に及ぶ自演と党員の闘いが始まる

2009年3月

支援者の繁忙シーズンが終わり、多くの支援者が帰還。コメ禁圧力も弱くなり、2月後半からコメント数が激増。
8日02時24分 コメント1100万突破
23日 2008年10月15日以来、159日ぶりに日刊1位を獲得(35,999コメ)。

コメ数は45万をえ、1000万後の低迷からようやく脱却したかのように見えたが、、、

2009年4月

第三次コメ禁騒動(2009年4月上旬~2009年7月上旬)
コメ数が回復したと見るや、たちまち運営がコメ禁圧力を強める。コメント消去率は1割に上った。

8日 自演動画2周年。マイリスト工作により総合2000マイリストデイリー1万再生(2回)が記録される。

4月の月間コメ数は35万と、コメ禁により先月の勢いから下落。

2009年5月~6月

5月上旬から支援者にプロパイダ警告が届き、運営からのマークや脅しが一層強化される。
当然コメントを止めない支援者は、5月下旬からコメ禁地獄に。コメント消去率は2割に上った。

5月下旬には、党員も同様に警告が相次ぎ、コメ数が激減。

5月の月間コメ数は20万となり、更に勢いが減少

6月は運営がさらに追い打ちをかけ、コメント消去率は3割に上った。

支援者は対抗策として、囮の垢を使ってコメ禁の実験を行い、コメ禁にならない支援方法を構築しようと試みる。実験の結果、IP変更、sageコマンド適用などの方法が提案され、運営の圧力に対抗していった。一方の党員は運営に直接抗議を行うことで、コメ禁に対抗していく。

6月17日00時37分 コメント1200万突破
6月28日 歴代総合コメント1位を1年間守り抜く

6月の月間コメ数は15万コメと更に減少。このコメ禁騒動により、1000万コメ後の低迷脱却が足踏み状態に。
党員も同様にコメ禁地獄となり、月間50万から14万に激減。これにより6月は月間コメ数で党員に1年ぶりに勝利

2009年7月〜9月

7月上旬になって一転コメ禁が皆無となり、ようやく支援者はコメ禁地獄から解放された
また、党員も同様に解放され再びコメ数が増えだす。

7月1日 日刊コメントランキング1位
-第1週- 週刊コメントランキング1位。以後、2010年6月第3週まで、週刊1位とはご沙汰に・・

8月8日ニコニコランキングSP5 ~ニコ厨だったら何が悪い!スペシャル~ 
コメント2位 総合769位。初めて総合500位を切る。
8月11日 日刊コメントランキング1位

9月20日 日刊コメントランキング1位

月間コメ数は7月:20万、8月:24万、9月:22万と、コメ禁地獄解放に伴って徐々にコメ数が増えだす。

2009年10月

2日 日刊コメントランキング1位
14日 日刊コメントランキング1位
24日00時29分 コメント1300万突破
26日 再生数95万(ミリオン予備軍入り)、マイリスト3000突破。

コメ禁騒動で禁止となった垢が一挙に解禁されることとなり、過去支援者も続々帰還。
1300万特需も起きたことで、月間コメ数は39万と急増

2009年11月・12月

11月18日 日刊コメントランキング1位

12月2321時13分頃 100万再生達成、 史上13個デュアルミリオン
12月30ニコニコランキングSP6~今年の総まとめはまかせろーバリバリSP コメント2位 総合1021位

月間コメ数は11月:30万、12月:27万と勢いを持続。しかし、コメ禁地獄から復活した水銀党が徐々に迫る・・・

2010年1月

うp主が参上し、ロックタグの一つが『2650円の無駄遣い』から『本気出す』に変更
22日13時44分 ついにコメント数で水銀党に抜かれ、総合コメントランキング2位に転落
23日02時13分 支援者の踏んりで総合コメントランキング1位に復帰。
23日14時11分 なんとか健闘するも再び水銀党に抜かれ総合コメントランキング2位に転落。
31日04時21分 コメント1400万突破。日刊コメントランキング1位

2010年2月〜4月

2月1日 日刊コメントランキング1位。自身2度の二日連続1位

2位転落のショックにより、多くの支援者が続々離脱
2〜4月の月刊コメ数が12万程度と急落し、再び暗期に入る

この間に水銀党とは約70万差をつけられてしまう。

3月中旬~4月中旬 第3.5次コメ禁騒動?
                    この時期に、コメント消去率が15%に及んだが、支援者内の騒ぎは特になし

本気出す~奇跡の大逆転劇~ (2010年5月〜2010年10月)

2010年5月

支援者ラッシュ始まる

奇跡的に新規支援者が続々訪れる。
また、2位転落後の支援者離脱により、支援者メンバーは新参が多くを占めた。
彼らは新参らしくコメントで盛り上げにかかり、自演動画初期の賑わいに近づいた。

コメ数が20万をえ、期を脱する

しかし、水銀党との差は100万コメ

2010年6月

19日 串支援が本格化。ここからデイリー2万近くのコメ数を叩き出し、コメント数が急上昇。 
     そして、コメ数が急上昇したと見るやコメ禁が再び頻発。第四次コメ禁騒動(6月中旬~7月上旬)
    
串を用いたことで串禁止である党員の怒りを買い、自演支援者が通報されるケースが多くなった。
     しかし、党員も同様にコメ禁地獄に合うことに。
         日刊コメントランキング1位
20日 日刊コメントランキング1位。 自身3度の二日連続1位
21日 週刊コメントランキング -6月第3週- 50週間ぶりの1位獲得。
          以後-8月第1週-まで7週連続1位を達成。
2320時04分 コメント1500万突破
30日未明   突如コメント数がリセットされる自体が発生。支援者を驚かせる。
        には元に戻る。ただし、この影で日間集計が2日分になる。
コメントランキング2年4ヶぶりの1位を達成。
またカテランでも2年2ヶぶりの1位。その他カテゴリでは初。
-第3週- -第4週- 週刊コメントランキング1位

月刊コメ数が50に迫り、全盛期並みの勢いを取り戻し、1位奪還へ向けて反撃が始まる。
また、コメ禁騒動によるコメント消去率は2割に上った。

2010年7月

1日 不具合の影もありランキングトップページ初の登場(14位)。
   日刊再生ランキングで3度1万再生記録(10,463再生)。
2日 ちゃんとした集計では初のランキングトップページ登場(11位)。
3日 3日連続の登場(16位)
週刊ニコニコランキング #165 -7月第1週-にて89位に登場。
後半 宣伝や釣りタグの影で再生数が伸びる。その後【タグ編集はできません】タグが断続的に付く。
日刊コメントランキング1位(2〜5日、7~10日、13日、16~18日、2023日、31日)31日中171位を達成。
-第1~4週-  週間コメントランキング1位
コメントランキング1位
カテラン2連覇。

月刊コメ数は約68万まで伸び、1000万〜2000万時代の中で最盛期となった。

7月上旬にはコメ禁騒動が落ち着き、勢いを落とすことなく乗り切ることに成功。
その後はコメ禁圧力が弱い状態が続いたものの、月1のペースで支援者のうち数人がコメ禁されるという、散発的にコメ禁圧力が強まる状態が続いた。また、水銀党も散発的なコメ禁が起こり、それは自演よりもやや高い頻度であった。

2010年8月

1日ニコニコランキングSP7 ~2010上半期 ちっ反省してまーす SP~ コメント2位 総合534位。
10日00時13分 コメント1600万突破
31日 日刊コメントランキング1位
再生数が伸び悩んだこともありカテラン3連覇ならず(10位)。
-第1週- 週刊コメントランキング1位
コメントランキング3位。

支援者のコミケ遠征や旅行などにより月間コメ数は42万とやや減速したが、差を徐々に詰める。

2010年9月

総合コメントランキング1位に迫る。

12日4時10分頃 突如コメント数が0になるバグが発生。新プレーヤーからのコメント不可能になるといった問題が発生。運営に問い合わせる者も。
13日15時頃 12日からのバグが落ち着く。
17日4時20分頃 再びコメントリセットバグ発生。翌18日から21日まで毎日コメント数がリセットされる事態に発展。
21日 コメント数が数時間おきにリセットされるという前代未聞の事態に。
18時頃 復旧。
バグの期間のコメントがこの日に総て加算されたために、75,636コメを記録。

23日 17時27分頃1月22日以来約8ヶぶりの総合コメントランキング1位
日刊コメントランキング1位。以後27日まで6日連続1位を達成。
9月第4週において週刊コメント405,709コメントを達成(不具合により2週間カウントされなかった)。
その頃ニコニ広告において394個のタグに宣伝という記録を達成。
-第1週- -第4週- 週刊コメントランキング1位
コメントランキング1位月間コメ数は57万コメ
日刊コメントランキング1位(5,8,9,11,16,22,23,24,25,26,27日)

奇跡的な一位復帰を果たしたが、水銀党2位転落の知らせを聞き、かつての党員が馳せ参じた。これにより、水銀党コメ数が上昇、闘いはさらにデッドヒートに。

2010年10月

3日 党員の投稿祭に対抗し、こちらも祭りを開催。60,171コメントを記録。
6日00時15分 コメント1700万突破
 直後にうp主動画に参上ロックタグが『本気出す』から『本気出せたらいいな』に変更。

10日 再びうp主動画に参上ロックタグ本気出せたらいいな』から『一番いいコメントを頼む』に変更
13日 再び不具合が起きる。こちらはすぐに復旧。
21日 日刊コメントランキング1位
25日 不具合が起きるも翌日復旧。

-第1週- -第2週- 週刊コメントランキング1位
コメントランキング1位月間コメ数は47万コメ
日刊コメントランキング1位(1,4,5,7,8,21,28日)

本気出せたらいいな (2010年11月〜12月)

2010年11月

2,3日 日刊コメントランキング1位

その後1位奪還の達成感からか支援者離れが進み過疎化。
これにより、勢いのある水銀党の追撃を許す。

10日 再び総合コメントランキング2位
コメントランキング3位。3連覇ならず。

月刊コメント数も24万と急減速。

自演の停滞で水銀党有利の状態が続いたが、11月下旬から水銀党がコメ禁地獄に。
消去率は1割に上り、水銀党はコメ数を維持することが困難になった。

2010年12月

12月上旬には党員のコメ消去率が3割となり、多くの党員がコメ禁に。徐々に勢いが落ちていくことに。
一方の自演はコメ禁は皆無であり新規支援者も訪れたが、いまいち盛り上がりに欠けコメ数は停滞。

27日 突如9,293再生を記録。翌日のランキングに登場。

31日 約2ヶぶりの日刊コメントランキング1位
     大晦日の年越しということで、過去の支援者や11月に離脱した支援者が続々訪れる。
     彼らは11月の離脱後、自演が抜かされていた事実を知らなかったため、支援再開を決意。
また31ニコニコランキングSP 2010 コメント1位 総合270位。
SP2以来のコメント1位達成。総合も500位内に入る。
コメントランキング3位。

月刊コメント数は20万コメ。水銀党との差は32万コメに広がった。

首位攻防、2000万コメントへ・・・ (2011年1月〜2011年5月)

2011年1月

1日 デイリー15,229再生を記録し、当時の最高再生数を達成。

大晦日をきっかけに有力支援者の帰還、串支援、再生数稼ぎによる支援者増加。コメ数が再び急上昇する。更にコメ禁が相次ぐことなく勢いを維持一方の水銀党は、11月下旬からのコメ禁地獄がなおも続き、苦しい状態に耐えながらも、コメ数を上昇させる粘りを見せた。

2日 日刊コメントランキング1位
週刊ニコニコランキング #191 -2011年1月第1週-にて135位を記録。週刊コメントランキング1位
EDにサムネ登場。
8日 日刊コメントランキング1位週刊ニコニコランキング #192 -1月第2週-にて106位を記録。
12~14日 日刊コメントランキング1位
13日22時59分 コメント1800万突破
16,17,20,25,26,27,28日 日刊コメントランキング1位
-第1週- -第3週- -第4週- -第5週- 週刊コメントランキング1位
コメントランキング1位。総合82位。

月刊コメ数は58万コメと急増しかし水銀党も粘り、差は20万コメ。
また、自演の串支援を批判する党員が出たために、自演と水銀党の支援者がコミュニティで激しく意見をぶつけ合うこともあった。

2011年2月

水銀党が相次ぐコメ禁に疲労し下旬からコメ数が減少。
自演は新規支援者増加・奮闘により勢いを維持。この間に、自演が大きく差を詰めた。


14,17日 日刊コメントランキング1位

19日 昨年12月31日以来のデイリー3万コメント
20,21,23,25,26日 日刊コメントランキング1位
-第4週- 週刊コメントランキング1位
月刊コメント数は53万。差は1万コメに。

2011年3月

2日 23時21分頃合計コメントランキング1位に浮上
    日刊コメントランキング1位
4日 水銀党2位転落の知らせを聞き謹慎中の党員が反撃。水銀党が再度1位奪還自演は再び合計コメラン2位に。

しかし、この水銀党の反撃が仇となったのか党員に対するコメ禁圧力が極限まで高まった。


6日 1900万コメント1位奪還に向けてから多くの支援者支援をする。
    9時46分 コメント数1900万突破
    18時頃再び合計コメントランキング1位に浮上。 

対する党員は再奪還を目指すが、最強レベルのコメ禁に水銀党はコメントすらできない状態に。一時は水銀党のコメ欄のコメントが全滅するほどであった。3月中旬~4月中旬の水銀党のコメント消去率は驚異の6割。これにより水銀党は勢いを落とさざるを得ず、自演に差を広げられた。しかし、この状態でも水銀党のコメ数は月間20万台を維持した。

11日 東日本大震災発生。家屋の被害を受けた支援者もいたが全員無事。
     コメ数に関しては、自演支援者は西日本出身者が多かったため、大きな変化はなかった。
     後日には東北支援のため、自演支援者一同、募金動画に広告。

7,17,18,29日 日刊コメントランキング1位
月刊コメントランキング2位月刊コメント数は51万。ちなみに1位例のアレ
-第1週- 週刊コメントランキング1位

水銀党とのデッドヒートに何とか競り勝ち、ニコニコ史上初の2000コメを間近に控えることになる

2011年4月

4,5日 日刊コメントランキング1位
7日 ニコニ広告2周年記念生放送広告額の多い動画として放映される。結果は「くっ」。
8日 4周年。日刊コメントランキング1位
12日 日刊コメントランキング1位
20日 通算100回目の日刊コメントランキング1位
-第1週- -第2週- 週刊コメントランキング1位
月刊コメントランキング1位

1位奪還の達成感か支援者離脱を招き、月刊コメ数は30万台と落ちるが、2000万コメントまで更に近づく。
水銀党も3月からのコメ禁地獄が続いたため、一向にペースを上げることができず。自演は1位を保持。

2011年5月

31日 2000万コメントを達成しようと昼から多くのコメントが投稿され、夜には2万ptを投下する。
20時24分 ニコニコ史上初のコメント2000万達成!

日刊コメントランキング1位
月刊コメントランキング1位。 

続き→自演動画の歴史(2000〜3000万時代)

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最終更新:2025/12/24(水) 05:00

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最終更新:2025/12/24(水) 04:00

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