財政再建とは、家庭や企業や地方公共団体や政府において、支出過多となっている財政状況を変化させ、支出と収入を均衡化させることをいう。
本項では、日本国政府の財政再建について述べる。
日本国政府の予算は、歳出の額が税収を大きく上回る状況が続いている。税収を超える分は国債を発行しており、その国債発行額の合計が2018年には874兆円に到達した。
このため「財政再建をするべきだ」という声が、平成の30年間で強まることになった。税収と政策経費を比べたものをプライマリーバランスというのだが、「プライマリーバランスを黒字化すべきだ」と言い始め、そのために増税と歳出削減に励むようになった。
財政再建のために増税と歳出削減をして緊縮財政にもっていくのだが、増税したり歳出削減したりするとデフレの圧力が強まり、不景気になる。
このため、「財政再建はデフレとなり景気を悪くするので、反対だ」という声も発生する。また近年では「自国通貨建ての国債は、その気になればいくらでも通貨発行権を行使して返済できるので、名目的には借金だが、本質的には借金ではない。国債は悪ではない。財政再建は不要である」という意見も頻発するようになった。
財政再建論者と財政再建不要論者の論争は、令和時代になってもなお続いている。
両者の特徴はまさに対照的なので、表にしてまとめておく。
| 財政再建論者 | 財政再建不要論者 |
| 国債は悪 | 自国通貨建て国債は、悪ではない |
| プライマリーバランスを黒字化しよう | プライマリーバランスなど意味の無い数値だ |
| 増税を志向 | 減税を志向 |
| 歳出削減を志向、緊縮財政を目指す | 歳出増加を志向、財政出動して積極財政を目指す |
財政再建を唱える論者にはいくつかの傾向があるので、本項目で指摘していきたい。
「政府は、まず税金を集めて、それを元に国家予算を作っている」という思想の持ち主は、財政再建の考えになりやすい。「税金よりも多くの支出をすると、当然ながら破綻する」という思想の持ち主なら、税収を超えない支出にまで切り詰めてプライマリーバランスを黒字化することに大賛成する傾向になるのである。
一方で、「政府と中央銀行というのは通貨発行権を持っている。政府と中央銀行は、まず必要なだけお金を発行して、それを民間に支払いつつ民間から財やサービスを得ている。民間に出回る金が増えすぎるとインフレになるので、インフレを抑えるため税金を掛けている」という考え方がある。これは、先述の考え方とは対極に位置する。
後者の考え方に従うと、国家予算における税収など単なるオマケでしかない、となるので、財政再建不要論へ考えが傾いていくのである。
後者の考え方は、松尾匡教授が「経済学者なら誰もが同意する事実でしょう」とこの記事で発言している。
前者の考えと後者の考えのどちらが経済学的に正しいのかは、本項では触れないことにする。
ちなみに、安倍晋三内閣総理大臣は、2019年7月参院選の応援演説で、「アベノミクスで税収が上がった」と誇らしげに演説していた。ゆえに、前者の考えの支持者であることが窺える。
財政再建論者の論説を読むと、「国債というのは借金である」ということが大前提として書かれていることが多い。「国債は借金であり、将来の子孫に対してツケを回す(負債を残す)ことになる。国債を発行したら、子孫に対して顔向けできない」などという表現を新聞などで読むことができる。
一方で、「自国通貨建ての国債は、名目的には借金だが、本質的に借金とは呼べない。政府と中央銀行は通貨発行権を持っており、この巨大な権力があるため、自国通貨建ては絶対に返済することができる。ゆえに、自国通貨建て国債というのは『インフレ促進剤』といった程度のものである」という主張がある。
後者の考え方は、現代貨幣理論(MMT)や国定信用貨幣論の支持者が毎回挨拶代わりに主張しており、読んだこともある方も多いだろう。
2002年にアメリカ合衆国の民間格付け会社が「デフォルトの危険性あり」として日本国債の格付けを引き下げた。それに対し、日本の財務省の黒田東彦財務官(2019年現在、日銀総裁の座にある人物)が質問書を送っている。その中には「日・米など先進国の自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとして如何なる事態を想定しているのか」という文章が入っている。
前者の考えと後者の考えのどちらが経済学的に正しいのかは、本項では触れないことにする。
国債というのは、国会の議決さえあれば、直接、日本銀行に引き受けさせることができる。これを国債の貨幣化という。
あるいは、国債をいったん民間銀行に買わせた後に、日本銀行が民間銀行から国債を買いあげることができる。これを買いオペレーションという。
こうした行動は、日本銀行が通貨発行権を行使して通貨を供給しつつ、国債をチャラにしようというものである。日銀が保有した国債は、日本政府にとって元本と利子の支払い負担が実質的に消滅する。
財政再建論者の中には、「日銀が通貨発行権を行使して国債の貨幣化や買いオペレーションをすると、インフレになり、インフレを止められず、通貨価値が暴落し、ハイパーインフレになる」という論を述べることがある。要するに、インフレ嫌いということである。これをインフレ恐怖症と呼ぶことがある。
その一方で、財政再建不要論者は「日銀が通貨発行権を行使して国債の貨幣化や買いオペレーションをすると、インフレへの圧力になるが、インフレを止められないことなどない。インフレを退治する方法などいくらでもある。また、緩やかなインフレは経済成長にとって絶対必要である」と論ずることが多い。つまり、インフレ容認論である。
日本国債の日本語版Wikipediaや国債の日本語版Wikipediaでは、前者(インフレ嫌い)と後者(インフレ容認論者)の両者の論が多く掲載されており、経済学者たちの間でも意見真っ二つであることがよく分かる。
財政再建論者の思想的な柱というと、クラウディングアウトである。
クラウディングアウトを簡単にいうと、「国債を発行すると、民間企業向けの融資をするための資金が減少し、民間企業向けの融資の金利が上がり、民間企業向けの投資が減ってしまう。ゆえに国債発行した上の積極財政は、無駄で無効である」というものである。
クラウディングアウトを発展させたマンデルフレミングモデルという理論も、財政再建論者にとってお気に入りの思想である。マンデルフレミングモデルを簡単に言うと「国債を発行すると金利が上がり、通貨高になって輸出が鈍り、貿易収支が赤字になってしまう。ゆえに国債発行した上の積極財政は、無駄で無効である」というものである。
クラウディングアウトを徹底的に否定する論者もおり、「クラウディングアウトは迷信であり、妄言であり、完全に間違っている」と論ずる姿が見られる。
財政再建論者は、増税をして税収を増やし、新規の国債発行額をゼロにして、プライマリーバランスを黒字化させることに常に大賛成する。プライマリーバランス黒字化方針をとにかく支持する傾向がある。
それに対して、積極財政支持者は「プライマリーバランスを黒字化すると、その直後に不況が起こる」と反論する。典型的な積極財政支持者であるランダル・レイ教授が、その事実を指摘している。そのことは、プライマリーバランスの記事で解説されている。
財務省というのは財政再建が大好きで、財政再建を国是(国の大方針)ならぬ「省是(省の大方針)」としている。財政再建を旗印に掲げていると、財務省としては権力も増えるし、とても仕事をしやすくなるのである。
霞ヶ関の各省庁というのは、外から見るとどれも同じように見えるが、はっきりと2種類に分けることができる。財務省と、財務省以外の省庁である。
財務省というのは主計局というのを抱えており、この主計局が絶大な権力を持っている。財務省以外の各省庁が「予算を付けてください」とお願いしてくるのに対し、財務省主計局は凄まじい勢いで勉強して理論武装し、そのお願いに対して理屈でもって欠点を指摘して、お願いを撤回させるのである。
財務省主計局においては「他省庁のお願いを叩き潰して予算を減らすほど、出世できる」と言われるが、その噂もあながち間違っていない。
財務省というのはお財布の紐を引き締める係の役所で、財務省以外の各省庁はお財布の紐を必死こいて緩めようとする係の役所である。まあ、お財布の紐をきっちり引き締める立場の人がいないと放漫財政になってしまうから、財務省のやりかたも間違っていないと言える。
財務省主計局が他省庁のお願いを却下するときは、そのお願いに関して猛勉強を重ね(難しい国家試験を通ってきた人たちなのだから勉強は得意である)、「その計画では、人的資源や日時の無駄であります。お国のためになりません」と言うのがお決まりのパターンなのだが、そういう猛勉強をサボる方法がある。それが、財政再建である。
「財政再建のため、予算を付けられません。歳出削減が必要なのであります」と一言言うだけで、他省庁のお願いを却下することができる。お勉強をする労力を省くことができ、財務省にとってまったくもって好ましい状況になる。
財政再建という魔法の一言で、他省庁の予算を削減することができ、財務省の権力が一気に増大する。このため、財政再建は財務省の省益となる。
財務省出身者が財政再建を説き、財務省以外の省庁から出てきた人が財政再建不要論を説く、というのはよく見られる光景である。
民間企業の経営者たちは、財政再建を主張する傾向が強い。
経団連、日本商工会議所、経済同友会の3団体を経済三団体と言い、民間企業の社長・会長が多く集まっている。その経済三団体は常に財政再建を主張していて、しかも財務省の主張と全く同じ論調になっている。
これはなぜかというと、民間企業は財務省に頭が上がらないからである。民間企業が財務省を批判したり財務省の省益を損ねたりすると、税務調査で報復される。財務省とその傘下の国税庁・税務署を恐れるため、財務省の財政再建論に全面的な賛同をしている。
民間企業の経営者にとって税務調査ほど恐ろしいものはない。「税務署の調査で家に入られ、家中をひっくり返されてすべてをことごとく調べられた」という話はよく聞かれることである。
税務署を怒らせないため、東証一部上場の超一流企業の社長・会長が直々に税務署の署長へ挨拶にうかがう、という話もよく聞かれる。
このあたりの事情を証言した文章があるので、引用しておきたい。谷沢永一が、1997年11月出版のこの本で語っている。
数年前までは、中小企業の経営者の集まりで私が大蔵省の批判をしますと、皆さん目を伏せられたものでした。官僚のトラブルがマスコミで伝えられるようになって、このごろは安らかに聴いていますが、以前は本当に怯えていました。国税庁にも税務署に対しても怯えている。講演の主催者から予(あらかじ)め、官僚批判だけはやめてくれという申し入れがあることも珍しくなかった。どうも谷沢は公然と大蔵批判をやっているらしい、危ない男であるらしいと。そういうことを自分たちが聞いたという実績を残したくない。聞くだけでも怖い。谷沢と同類と思われると税金で報復される、と心配されていた。
※『拝啓 韓国、中国、ロシア、アメリカ合衆国殿―日本に「戦争責任」なし』256ページ
民間企業の社長というのは、従業員を養っていかねばならない立場であり、冒険をすることができない。財務省の言いなりになり、ひたすら安泰を願うというのは、無理もないことである。
グローバリズム(新自由主義)を支持する者は、財政再建を支持することが多い。
グローバリズムとは、国家の規制を緩和して、ヒト・モノ・カネの移動を自由化することにより競争原理を導入し、ビジネスチャンスを広げる思想のことをいう。自由貿易を極大化させるために「小さな政府」を理想視しており、政府支出の削減を望み、緊縮財政をこよなく愛する。
新自由主義者の典型例というと竹中平蔵である。竹中平蔵は小泉政権に入閣して、プライマリーバランスの黒字化を主張した。その結果として2001年骨太の方針に「プライマリーバランスの黒字化」が入ることになった。講演でも、「プライマリーバランスを黒字化しなければならない、そのため緊縮財政が必要だ」とひたすら訴えるのである。
竹中平蔵に限らず、海外においても、グローバリズム(新自由主義)の支持者が、緊縮財政を唱えて「小さな政府」を志向する例が本当に多く見られる。
自由貿易の極大化は、政府の権力を弱体化させて規制緩和しないと実現しない。そのためには、緊縮財政にして政府の各省庁へ与える予算を削減すればいい。極端な話、予算を目一杯減らせば規制業務を担当する部署の人数が減って、規制したくても規制できなくなり、規制緩和が進むのである。
自由貿易と規制緩和と緊縮財政、この3つは常に揃っている。そのことを三橋貴明は「グローバリズムのトリニティ(三位一体)」と名付けている。
トリニティとか三位一体などという表現は、ちょっとお洒落すぎて人々の心に響かないかもしれない。ここは一つ、「グローバリズムの三点セット」と野暮ったい表現をしてみたい。
安倍晋三内閣総理大臣と麻生太郎副総理兼財務大臣は、2012年12月に政権を獲得してから一貫して緊縮財政の路線を突き進んできた。
選挙をするたび圧勝し、環境に恵まれた彼らは、財政削減を繰り返して緊縮財政を続けてきた。そのため、政府の各部門の支出は民主党政権時代よりも少なくなったところが多くなっている。
新規国債発行額も年々減らされている(国債の記事を参照)
一般的に彼ら2人は保守派の政治家と見なされている。保守派なら国家の基礎を作るために国土建設や少子化対策を重視し積極財政の路線を進みそうなのだが、なぜかそうしない。国債発行額を減らし、財政支出を削り、消費税を増税し、目一杯の緊縮財政を追求しているのである。
なぜ安倍晋三と麻生太郎が緊縮財政を追求するのか。
色々と原因が考えられるが、その中の最有力候補は渡部昇一だろうと思われる。
渡部昇一を簡単に説明すると、上智大教授で英語文法史を教えていた人である。1980年代~1990年代に保守派の論客として活躍し、いわゆる自虐史観(日本は悪かった史観)の論者と論戦を繰り返しており、「日本は悪くなかった史観」を主張する勢力の中心的存在だった。インターネットのない時代はマスコミの情報発信力がやたらと強かったのだがそれにも全く屈せず戦っていたので、保守派にとってはまさに英雄と言った感じの人なのである(左派の皆さんからは蛇蝎のごとく嫌われている)。
その渡部昇一は、グローバリズム(新自由主義)の熱烈な信奉者なのである。彼の書いたグローバリズム賛美本は数多く、図書館に置いてあることが多い。そのうち1つは『まさしく歴史は繰りかえす』という本で、国境をなくしたボーダレスの世界が既に到来しており、その中を生き抜くにはユダヤ人富豪の真似をすべき、ユダヤ人には才能を持つエリートが多いが国家・国境・政府に頼らない生き方をしてきたからである、金持ち優遇の税制にしてユダヤ人大富豪が日本に帰化するようにしろ、などと書いてある。「グローバリズムは素晴らしい」という段階を既に過ぎ去っており「グローバリズムは歴史の必然、その中で生き抜くにはこうせよ」と主張するレベルの人だった。
大規模な規制緩和をしたマーガレット・サッチャーを誉め称え、大蔵省の護送船団方式(銀行業界を統制する政策)を猛批判するなど、規制緩和も賞賛していた。フリードリッヒ・ハイエクという新自由主義の旗手といえる経済学者を絶賛し、「小さな政府を目指せ、規制緩和せよ、福祉国家はダメだ」と論じていた(渡部昇一がハイエクを賞賛する本の代表例はこちら)
「自虐史観を論戦で破り続けて日本の名誉と尊厳と誇りを取り戻した保守派の英雄である渡部昇一先生が、グローバリズム(新自由主義)を肯定して『小さな政府』を奨励している。ならば、緊縮財政を続けて『小さな政府』を目指そう」と、安倍晋三と麻生太郎は考えているものと思われる。憧れの人物の真似をしているというわけである。
渡部昇一は2017年4月17日に他界した。そのとき、安倍晋三はFacebookでこのようにコメントし、葬儀にも参列している。
麻生太郎も葬儀に参列し、「(渡部昇一は)知性の巨匠だったと思う。左っぽい人が多かった中で、唯一の保守的な人だったんじゃないかな」とコメントしている。
安倍晋三、麻生太郎の両人が心から敬服し、心酔しているのだろうことがよく窺える。
実際、安倍晋三と麻生太郎は「渡部昇一が政治家になっていたら、こうなったんじゃないか」と思えるほど渡部昇一に行動が似ている。2人とも言い負かすのが大好きで、韓国や中国に厳しい態度で臨み、アメリカには親和的で、『小さな政府』の信奉者である。
安倍晋三と麻生太郎の精神的支柱である渡部昇一が安倍政権の緊縮財政路線の真因である、というのはもちろん推論でしかないのだが、非常に説得力がある。誰か、安倍晋三や麻生太郎に質問して、確かめてみてほしい。
(本項目は敬称を略して記述しました)
官公庁にとって緊縮財政というのは、要するに、仕事をやめる、仕事を放棄する、仕事を失う、ということになる。予算を削られることによって人員の削減に追い込まれ、事業計画の規模が縮小したり、あるいは事業計画自体が消滅したりする。
国会議員にとっても事情は同じで、緊縮財政になると国会議員の仕事が減る。
積極財政のときは、予算をしっかり消化するために業者の手配をしなければならず、国会議員が調整をしっかり行う必要があり、国会議員の仕事が増える。「予算を付けたのに、その予算を使って仕事をする民間企業が不足していて計画が進まない」という間抜けな事態になってはいけないので、公共事業を引き受ける民間企業たちと大いに話し合わねばならない。緊縮財政においては、国会議員はそうした忙しさから解放されるのである。
このため、調整の仕事をするのが嫌いな国会議員、もう少しキツい言い方をすると調整の仕事をサボりたがる怠け者の国会議員、そういう人が緊縮財政を支持する傾向にある。
緊縮財政を政府・国会に対して要求してくる法律というと、財政法第4条である。
財政法第4条 国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。
橋や道路の建設といった公共事業に関するものの財源には国債を使ってよい、と定めている。これを建設国債という。
公共事業以外の支出は国債でまかなってはならない、と定めている。つまり公務員の給料の支払いだったり、政府の抱える研究機関の開発予算だったり、そういう支出に対して国債を発行するのはダメで、税収の範囲内に支出を削りなさいといっている。いかにもといった感じの、緊縮財政志向の法律である。
財政法第4条を守っていては政府予算が組めないので、毎年、特例国債法という1年かぎりの法律を国会で成立させ、公共事業以外の支払いにあてるための国債を発行している。これを特例国債という。
要するに、財政法第4条は、毎年骨抜きにされているのである。
財政法第4条を骨抜きにする国会議員たちにも言い分があり、「財政法の上位にあたる憲法第83条や第85条では『どれだけ国債を発行するかは国会が自由に決めてよい』と解釈できる条文になっている」というものである。
日本国憲法第83条と第85条は、次のようになっている。
日本国憲法第83条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
日本国憲法第85条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。
これらの条文から導かれるのは財政民主主義というものである。国民の代表者である国会には、国の財政を決める権限が与えられている。「国会が公共事業以外の支払いにあてるための国債を発行することを決議したら、その意向が通るのは当然だ」という解釈が成り立ち、財政法第4条もあっさりと無視される。
ちなみに日本国憲法にはこういう条文もある。
日本国憲法第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
財政法第4条というのは法律なのだが、日本国憲法にはとても勝てない。第41条と第83条と第85条の3つに逆らうことは不可能である。こうして、財政法第4条は毎年のように完全無視されている。
財政法が制定されたのは1947年(昭和22年)である。この法律の制定に関わったのが、平井平治という人物である。当時、大蔵省に勤めていて主計局法規課長の地位にあった。
この人は反戦平和の思想を胸に秘めていた人で、「戦争遂行には国債の発行が不可欠である。ならば、国債を発行不可能にしてしまえば、戦争をすることができなくなる」という発想のもとに、財政法第4条を立案したという。そのことは1947年出版の『財政法逐条解説』という本に記されている。
日本の左派政党というと、反戦平和をとても熱心に主張する。その左派政党の1つである日本社会党は、1965年に初めて特例国債法が可決成立したときに「特例国債は戦争につながる」と猛反対していた。また、現在の日本共産党も特例国債法を常に批判する。
反戦平和と緊縮財政はとても相性がいい、と言える。
※この項の資料・・・佐藤健志『平和主義は貧困への道 または対米従属の爽快な末路』40~50ページ、しんぶん赤旗2008年4月24日版、三橋貴明ブログ
財政政策というのは、租税主義者(財政再建を唱えるグループ)と、国債主義者(積極財政を唱えるグループ)が、激しく対立する分野である。
両者はあまりにも激しく対立しており、その抗争の模様は、情報戦といってよいレベルに達している。お互いが、情報戦で優位に立つべく、高度で巧みな技術を駆使し、知恵をひねり出している。
高度で巧みな技術を用いた情報戦というが、要するに、蔑称を与え合っているのである。いわば、悪口合戦である。相手を悪いイメージの付いた名で呼んで、相手のイメージを悪化させ、イメージの世界で勝利しようと頑張っている。
租税主義者たちが国債主義者に与える蔑称は、以下のようなものである。
財政悪化、不健全財政、放漫財政、財政赤字、赤字国債、赤字支出、異端の学説、債務拡大、負担の増大、将来世代へのツケ
これに対し、国債主義者も負けずに反撃し、租税主義者を次のような表現で呼ぶ。
緊縮財政、消極財政、支出削減、国債発行削減、小さな政府、政府の弱体化
現状では、租税主義者の方がすこしだけ、情報戦の分野で優位に立っていると言えるだろうか。なんと言っても、「赤字」という言葉がもたらす負のイメージは強烈である。
中野剛志もこのことに気付いており、この本の246~248ページで、「赤字や債務という言葉の影響力が強い」と指摘している。
しかしながら、中野剛志はそれに気付いていながら、自著で「財政赤字」「赤字支出」という表現を多用してしまっている。情報戦で勝ちたかったら、そういう表現を慎むべきだと思われるのだが・・・
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/13(土) 00:00
最終更新:2025/12/13(土) 00:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。