野村克則 単語

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ノムラカツノリ

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野村克則とは、元プロ野球捕手である。現役時代は「カツノリ」の登録名で知られていた。

概要

1973年7月23日野村克也の三男として生まれる。

堀越高校から明治大学に進学し、ポジション内野手捕手、打撃ではクリーンナップとして活躍、首位打者打点王を2年に獲得している。

1996年、当時監督を務めていたヤクルトスワローズドラフト3位で入団。
2000年阪神タイガースへ、2004年読売ジャイアンツへ、それぞれ銭トレードで移籍。
巨人では、原則として称、通称などでの登録を認めていないため、このときだけは本名が登録名になっていた。
2004年オフ巨人から戦力外通告を受け、巨人ヤクルト阪神から導者としてのポストを提示されるが、現役にこだわりトライアウトに参加。ここで本塁打を打ちアピールに成功。東北楽天ゴールデンイーグルスへの入団が決まる。翌年楽天監督父親となるが父親より先にチームに在籍する初のケースとなった。
2006年楽天から戦力外通告を受けたのを機に引退を決意。その後、巨人ヤクルトソフトバンクからコーチ就任の打診があったが、楽天二軍バッテリー育成コーチに就任。
2008年から2年間は楽天の一軍バッテリーコーチを務め、2009年オフ、留任の要請があったものの4年間監督を務めていた也の退任とともに退団。2010年からは巨人二軍バッテリーコーチを務めている。

評価・逸話

明大時代には、2年時東京六大学リーグ首位打者打点の二冠を獲得するなど、打撃は均的。
また、から叩き込まれた理論もあり、リードでも一定の評価を得ていた。
しかし、捕手としては致命的とすら言えないほど肩が弱かったため、捕手としての出場機会は少なく、試合の大勢が決まった終盤での起用か一塁手としての出場がほとんどだった。ただ野球解説者の江本氏は捕手としての身体は、カツノリのほうが断然上という評価も。(父親は肩の弱さをカバーするためにクイックモーションを編み出したことで有名)
千葉ロッテマリーンズを相手にした引退試合で、先発フル出場ながら6回盗塁を許したのは、日本球界のワースト記録として伝説化している。(ロッテ選手たちが引退試合のため気をきかせたのが原因)

以上のような特徴、またキャリアのほとんどを父親と同じ所属チームで過ごしたことから、の七と揶揄されることも少なくない。
しかし、儀で聞き上手で後輩の面倒見もいいため、導者としての評価はかなり高く、現役時代から導者になることを要請されていた。また監督であると選手起用で論戦をしたことも。

引退セレモニーでは一場(現ヤクルト)をはじめとする若手選手が泣き崩れるという場面もあることから楽天時代の人望はかなりのものだったといえる。

 

 

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