野村克則とは、元プロ野球の捕手である。現役時代は「カツノリ」の登録名で知られていた。
堀越高校から明治大学に進学し、ポジションは内野手、捕手、打撃ではクリーンナップとして活躍、首位打者と打点王を2年秋に獲得している。
1996年、当時父が監督を務めていたヤクルトスワローズにドラフト3位で入団。
2000年に阪神タイガースへ、2004年に読売ジャイアンツへ、それぞれ金銭トレードで移籍。
巨人では、原則として愛称、通称などでの登録を認めていないため、このときだけは本名が登録名になっていた。
2004年オフに巨人から戦力外通告を受け、巨人、ヤクルト、阪神から指導者としてのポストを提示されるが、現役にこだわりトライアウトに参加。ここで本塁打を打ちアピールに成功。東北楽天ゴールデンイーグルスへの入団が決まる。翌年楽天の監督が父親となるが父親より先にチームに在籍する初のケースとなった。
2006年に楽天から戦力外通告を受けたのを機に引退を決意。その後、巨人やヤクルト、ソフトバンクからコーチ就任の打診があったが、楽天二軍バッテリー育成コーチに就任。
2008年から2年間は楽天の一軍バッテリーコーチを務め、2009年オフ、留任の要請があったものの4年間監督を務めていた父・克也の退任とともに退団。2010年からは巨人で二軍バッテリーコーチを務めている。
明大時代には、2年時秋の東京六大学リーグで首位打者と打点の二冠を獲得するなど、打撃は平均的。
また、父から叩き込まれた理論もあり、リードでも一定の評価を得ていた。
しかし、捕手としては致命的とすら言えないほど肩が弱かったため、捕手としての出場機会は少なく、試合の大勢が決まった終盤での起用か一塁手としての出場がほとんどだった。ただ野球解説者の江本氏は捕手としての身体能力は、カツノリのほうが断然上という評価も。(父親は肩の弱さをカバーするためにクイックモーションを編み出したことで有名)
千葉ロッテマリーンズを相手にした引退試合で、先発フル出場ながら6回盗塁を許したのは、日本球界のワースト記録として伝説化している。(ロッテ選手たちが引退試合のため気をきかせたのが原因)
以上のような特徴、またキャリアのほとんどを父親と同じ所属チームで過ごしたことから、親の七光と揶揄されることも少なくない。
しかし、律儀で聞き上手で後輩の面倒見もいいため、指導者としての評価はかなり高く、現役時代から指導者になることを要請されていた。また監督である父と選手起用で論戦をしたことも。
引退セレモニーでは一場(現ヤクルト)をはじめとする若手選手が泣き崩れるという場面もあることから楽天時代の人望はかなりのものだったといえる。
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最終更新:2024/05/02(木) 19:00
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