35(t)戦車とは、ドイツ軍が第二次世界大戦で使用したチェコ製の軽戦車である。
生産会社の名前に由来して「スコダ」と呼ばれることもある。
1930年代に入ると世界各国で新型戦車の開発が盛んに行われるようになり、その中でチェコも例外ではなかった。同国の火砲メーカーであるスコダ社は、1934年末にイギリス製の「ヴィッカース6トン戦車」を参考にしたS-IIaと呼ばれる車両の開発案を提示、これより前に採用されていたCKD社製LTvz.34の改良案P-IIaとの競作に勝利し、1935年10月30日にLTvz.35(英名LT-35)として採用された。
しかし1938年9月末のミュンヘン会談によってスコダ社があるズデーデン地方がドイツ領となり、生産された298両のうち244両がドイツ軍に接収された(残る52両が自由スロバキア軍、2両がハンガリーへ送られた)。
接収したLTvz.35は「Panzerkampfwagen 35(t)(35(t)戦車)」と名を改め、I号戦車やII号戦車そして38(t)戦車と共に戦場に赴くこととなった。
本車にはバリエーションが存在しないため、本項でその諸性能を記述する。
武装は37mm戦車砲34(t)型(3.7cm KwK 34(t))1門(携行弾数78発)、7.92mm MG37(t)機銃を砲塔同軸に1挺と車体前面左側に1挺の合計2挺(携行弾数2700発)、装甲は最大20mm、最高速度は34km/hである。これはドイツ純国産のI号戦車やII号戦車に大きく勝る性能であり、兵士たちからは大いに歓迎された。
また、ドイツ軍が使用するにあたり様々な改修も行われた。装填手の追加とそのための砲塔の拡張、照明類の追加、塗装の変更などがあげられる。これらは後の38(t)戦車のA型→B型とほぼ同様のものである。
改修によって車内スペースに制限が生じたため37mm戦車砲弾が72発、7.92mm機銃弾が1700発となった。
本車は38(t)戦車とは違いチェコ軍で使用された経歴を持つ。1938年9月に起きたヘンラインでの暴動を鎮圧した任務がその唯一の戦歴である。
35(t)戦車としてドイツ軍に編入されてからの初陣はポーランド戦であった。37mm砲を装備した本車は38(t)戦車と同様の活躍ぶりを見せたが、一方で20mm機関砲を装備したTKS豆戦車に対し10両以上もの損害を出した。
その後フランス戦、ロシア戦と戦っていくのだが、このロシア戦である問題を引き起こす。本車の変速機には圧縮空気を用いた独特なものが使用されていたが、これが寒冷地での冷え込みによってたびたび動作不良を起こし作戦行動が困難となってしまったのである。それが災いしてか自走砲の車台としても使用されないまま1941年12月10日までに全車を損耗してしまうという、ドイツ軽戦車の中でも非常に空しい最期を迎えた。
35(t)戦車に関するニコニコ動画の動画を紹介してください。
キット自体は本場チェコのCMK製ではあるが、新たに初期型ジェリカンセット、3種類の帽子が選べる戦車長の人形、そしてポーランド戦からロシア戦の3種類のマーキング、そして日本語による説明書と解説文が追加された。
CMK製のキットをそのまま使用しているためキャタピラは連結組立式のままであり、いわゆるベルト式は入っていないので注意が必要である。ただしタミヤ製II号戦車A~C型を作った経験があればそれほど苦にはならないだろう。
定価は2940円。
2010年12月18日に発売された限定モデルではあるが、2012年6月23日に再生産も行われた。
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最終更新:2024/05/01(水) 21:00
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