林家木久扇とは、…あのねぇ、日本の落語家である。本名は豊田洋。
愛称は木久ちゃん。
名前が出てこなくとも「笑点の黄色い着物の人」と言えば分かるかもしれない。
幼少時代に空襲を経験、貧乏で苦労したことからお金はあるに越した事はない、という考えを持つようになり、現在の本業以外のサイドビジネスにも精を出すきっかけとなっている。
その後は森永乳業で働いたり、漫画家の清水崑に弟子入りし漫画家を目指したり(漫画雑誌に掲載された事もある)したが、やがて落語家を志し、1960年(23歳)に三代目桂三木助に弟子入りする(高座名は木久男)。
ところが師匠がほどなく亡くなったため、八代目林家正蔵(後に「彦六」)一門に移籍。三「木」助と正「蔵」の二人の師匠から名前を一字ずつ取った「木久蔵」を名乗る。ちなみに同門の弟弟子には後に笑点で共演する林家九蔵がいた(彦六没後に五代目三遊亭圓楽門下に移って三遊亭好楽となる)。
テレビ番組「笑点」には1967年(29歳)に若手大喜利として初出演。1969年11月(32歳)よりレギュラーを務め続けるなど地味に出演歴では最長である。
2007年9月21日に「笑点」番組内にて公募して決定した「林家木久扇」に改名(それまで名乗っていた「木久蔵」の名前は、息子で弟子でもある林家きくおに譲り、きくおが二代目木久蔵となった)。
かつて漫画家を目指しただけあり画力もあり、有名な絵師でもある。2019年11月以降の笑点のオープニングアニメは、木久扇自ら描いたメンバーの似顔絵が使われている。
自身がプロデュースする木久蔵ラーメンはその味がマズいと木久扇本人が豪語していることで有名で、自虐ネタのひとつにもなっている。
なお笑点の楽屋ではぼっちらしい。ハブられてるわけではなく、「変な商売を持ちかけられる」から誰も寄りつかないからだとか。
2024年3月31日放送回をもって次の世代へのバトンタッチのため笑点を引退(86歳)。最後の出演回では会場の皆様からも黄色いタオルを振って別れを惜しまれた。他の笑点メンバーからは最後に手持ちの座布団が送られ、総計20枚以上となり木久扇の姿が隠れてしまっていた。最後の締めくくりの言葉は「また来週!」だった。
レギュラー出演期間は54年4か月と最長記録で、初期メンバーではないものの、2024年時点での笑点放送期間のうち93%の期間を出演した。
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最終更新:2024/04/26(金) 14:00
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