蒲生秀行 単語

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ガモウヒデユキ

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蒲生秀行がもう ひでゆきとは、

  1. (? ~ 1513)近江戦国武将。15代当
  2. 1583 ~ 1612)大名(陸奥会津)。20代

1.の蒲生秀行(? ~ 1513)

14代当蒲生貞秀の子。

貞秀の隠居に伴い督を継いだが、実権は貞秀が握っていたようだ。生高郷は六角家臣となり、六角高頼の「高」の字を拝領している。

幕府とも六角氏ともバランスを取って一定の独立を保っていたが、に先だって死去。息子蒲生秀紀が跡を継いだが、まもなく六角氏と結託した高郷によって滅ぼされてしまった。この後は高郷の子・六角定秀が当となる。

2.の蒲生秀行(1583 ~ 1612)

概要

名将とうたわれた蒲生氏郷の子。しかし生まれつき病弱で、更に督を継いだ時点では若年だったために臣をまとめられず、御家騒動を起こしてしまった。

関ヶ原の戦いの後、会津となったが若くして死去。二人の息子も短命であり、は断絶する事になる。

生涯

蒲生氏郷の次男であり、1.の秀行の項で登場した生高郷から4代後の子孫。織田信長冬姫)。生まれつき病弱でその資質には不安があったが、1595年に・氏郷が40歳で急死したため、15歳督を継いだ。

なお、生氏俊という人物がいるのだが嫡されたらしい。彼に関する情報はほぼ皆無で、何故嫡されたのか、その後どうなったのかも全く伝わっていない。氏郷の庶長子とされる生元時という人物が岐阜となった織田秀信に仕えているが、同一人物なのだろうか?

蒲生騒動

当時の会津92万石を有する全3位の大大名であった。ところが相続の際に石高申告に不正があったという疑惑が浮上し、豊臣秀吉の裁断によって近江2万石にまで大減封されそうになってしまう。この時は様々なとりなしによって難を逃れた。一説には豊臣秀次が撤回をし、秀吉と秀次の溝が深まる事になったとも言われている。

ともあれ会津領を継いだが若年の身であったので、秀吉の命で徳川家康を妻に迎える事になり、家康を後見人として大名としての生活スタートした。(※これは何かあれば家康を詰問するためと言われる)

しかし・氏郷が様々な人材を各地から集めた寄り合い所帯であり、これをまとめられたのは氏郷のたぐいまれなるカリスマ性あってこそ。その為、わずか数年で臣団の間で対立が起こり始めてしまう。

その騒動の中心となったのが筆頭家老であり米沢城を務めていた生郷安赤座隼人)である。同じく家老生郷可(上坂左文)とは特に不仲で、氏郷存命時から対立していたのがいよいよ止めが効かなくなってしまった。もう一人の家老生郷成(坂次郎)も郷可につき、権を握る郷安との内部対立は日に日に悪化していった。

そして遂に郷安は、郷可についていた小姓を上意討ちだと称して殺するという事件を起こしてしまう。いよいよ収拾がつかなくなったこの騒動は秀吉にまで入ってしまった。

これを理由に1598年、秀吉の死のおよそ半年前、宇都宮18万石にまで大減封された。(会津には代わって上杉景勝が入る)そしてこれを機に、氏郷が集めた人材も離散していってしまった。

関ヶ原の戦い ~ 江戸時代

宇都宮では商業の発展に尽くすなど堅実に領地を治めた。まもなく関ヶ原の戦いが勃発し、秀行はである徳川家康の東軍につく。この時は上杉への牽制として宇都宮にて待機しており、戦には参加していない。

戦後、西軍の上杉会津収された事に伴い、わずか2年で会津へと返り咲いた。石高は60万石。各地に散らばっていた旧臣も再び集まって来た。

…が、これによって再び中の雰囲気が悪化してしまう。今度の役は重臣・重政である。彼は最終的には家老クラスにまで出世する有能な人材であり、秀行からの信頼も篤かった。しかしワンマンなところがあり、生郷成・郷舎子や一門衆・小倉(氏郷の従兄弟)と対立し彼らを出奔させてしまう。

中のこうした閥争いを相変わらずまとめきれずに苦戦する中、1611年には会津大地震が襲う。元々体の弱かった秀行は心労がたたったのか翌1612年、30歳の若さでこの世を去った。

その後の蒲生家

秀行の長男生忠郷が10歳で後継者となった。また幼である。この後見人となった・振重政が政治方針を巡りしく対立、家康の介入により重政は切腹させられてしまう。

重政がいなくなった事で郷舎が会津へ戻ってくる(郷成は中で死去)が、重臣・町野幸和と対立してまたまた郷舎は出奔する事に。一方振家康の命で浅野に再する事となり、息子たちを置いて会津を去った。

1626年には町野が失脚して郷舎が帰参するが、翌1627年に忠郷が26歳の若さで病死。秀行次男の生忠知が後継者となるが、伊予松山24万石まで減封されてしまった。そして恒例行事とばかりに臣の対立が勃発する。譜代の重臣・福西吉左衛門らが筆頭家老生郷喜(郷舎の)を訴え、幕府の介入により福西は流罪、郷喜は居、郷舎はまたまたまた追放されてしまう。

そして1634年、忠知もまた31歳で病死し、は跡継ぎなく断絶。
蒲生氏郷という一代の傑物の出現によって大大名となった生氏であったが、故に氏郷亡き後は脆くも崩壊してしまった。

信長の野望」シリーズ

信長の野望」(PCシリーズにおける2.の蒲生秀行の力一覧。

1.の方は未登場。

が偉大すぎるというのもあるが、残念感漂う値。特に中騒動をまとめられない辺りからか智謀系は世記以降一貫して低い。そして最大の敵はもちろん寿命である。

軍事 内政
戦国群雄伝(S1) 戦闘 政治 野望
武将風雲録(S1) 戦闘 政治 野望 教養
覇王 采配 戦闘 智謀 政治 野望
天翔記 戦才 116(B) 智才 108(C) 政才 142(B) 77 野望 46
将星 戦闘 51 智謀 59 政治 71
烈風 采配 54 戦闘 37 智謀 48 政治 55
世記 采配 44 智謀 16 政治 44 野望 40
蒼天録 統率 42 知略 25 政治 46
下創世 統率 42 知略 25 政治 44 教養 46
革新 統率 46 武勇 42 知略 28 政治 49
統率 46 武勇 42 知略 28 政治 49
創造 統率 45 武勇 50 知略 36 政治 50
戦国立志伝 統率 45 武勇 50 知略 36 政治 50

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