菊田裕樹とは、日本のゲーム作曲家、ゲームクリエイターである。代表作は『聖剣伝説2・3』など
1962年生まれ、愛知県出身。本名は表記は同じで、読みは「ひろき」ではなく「ゆうき」。「ゆうき」だと時に女性だと勘違いされ、男性の友人との旅行なのにホテル側にダブルベッドを用意されるなどのトラブルを経験したため、「ひろき」としているとのこと。
関西大学文学部哲学科で哲学・宗教学・文化人類学を学んだ。大学在学中にサークル活動としてアニメを制作しSF大会で上映したこともあるという。
大学を卒業して上京、数年間は漫画家を中心として活動しつつ、YAMAHAのシンセサイザーSY-77や、ATARIのパソコンで走るC-LabのMIDIシーケンサーソフトNotatorなどを使用して音楽制作も行っていた。漫画家としては、小説家・脚本家・映画監督である「直木三十五」にちなんだ『結城二十六』というペンネームであった。同名義で竜の子プロダクションのアニメの劇伴音楽制作や設定協力をしていたという情報もあるが、詳細は不明。
1991年にゲーム会社「スクウェア」に(現スクウェア・エニックス)入社。彼が入社する直前のスクウェアの音楽チームには植松伸夫、伊藤賢治、赤尾実の3名のみが在籍しており、入社時の面接では植松伸夫、伊藤賢治の二名が迎えた。その際、植松氏は菊田のデモテープからアラン・ホールズワースを連想し、二人はプログレッシブ・ロックの話題で盛り上がったとの事。当時他に100名ほどが面接を受けたが、採用されたのは菊田氏一名のみだった。
なお、入社以前はゲームはアーケードゲーム中心にプレイしていたため、家庭用ゲームのRPGも、スクウェアのゲームソフトも一本もプレイしたことがなかったという。また、スクウェアの面接を受ける以前にゲーム会社「ファルコム」に入社しようとしたが不採用となっている。
スクウェア入社後に最初に任された仕事は、デバッグ目的の『ファイナルファンタジー4』のテストプレイ。次に、『ロマンシング サ・ガ』の効果音制作を任された。
1990年代のスクウェ
ROMのセットアップ~起動直後、誰
本編、特に音楽を心行くまで堪能
氏のコラム・発言等々から、その作曲の要素にプログレッシブ、ミニマル、現代音楽といったものが影響していることがうかがえる。そのどれもが音楽のメインストリームから若干距離を置いているジャンルであり、それこそが「一筋縄ではいかない」「飽きさせない」菊田サウンドの重要なポイントなのだ。次の作品が楽しみで仕方がない。
その後、当時18歳だったサウンドプログラマー鈴木秀典の強力なサポートを得て『聖剣伝説3』でも作曲を担当、同作品は日本国外でも発売され、日本だけでなく海外でも音楽は高い評価を得た。その後『双界
サクノスでは約2年間かけてRPG『クーデルカ』の開発に中心として関わった。この『クーデルカ』は氏が大学で学んだ宗教学なども盛り込んだ意欲作だったが、しかし、同ソフトの発売直前の1999年11月にサクノスを退社した。
サクノス退社後は、エニックスを訪問した際にアジア市場向けのMMORPGを予定していることを聞き、武侠小説風のMMORPG『超武侠大戦』を企画した。エニックスがこれを採用したため、2年程の開発期間の間、同ゲームの制作・作曲などに関わる。しかしエニックスと中国のパートナー会社の間での関係などで問題が発生し、ベータテスト段階まで進んだものの、同作品のリリースは中止されてしまう。
その後、株式会社「スペースプロジェク」トから2004年から2005年にかけて発売された発売されたエロゲの数作で音楽制作を担当した。
2006年には同じく聖剣伝説2のメインスタッフの一員であった蒲田泰彦がスクウェアから独立して設立した会社「ポンスビック」に入社し、伊藤賢治氏とともにMMORPG『コンチェルトゲート』の楽曲を制作している。
音楽・CG等の合資会社「ノーストリリア」を始め、携帯
学生時代より同人活動も行っており、コミックマーケットにもサークル参加・一般参加双方で何度も参加している。初参加は大学2年生時の1982年(C21)。現在も同人音楽サークル「第零交響師団」の一員として、ヴォーカロイド楽曲のコンピレーションCD『FragileOnline』や東方アレンジCD『東方零響奇譚 ~ Sophisticated Insanity』などの制作に参加している。
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最終更新:2024/06/05(水) 01:00
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