ヨハン・バプティスト・クラーマー(1771~1851)とは、19世紀前半に活躍した作曲家・ピアニストである。クレメンティ・チェルニーと並びピアノ教師3大Cと呼ばれる人物である。
概要
マンハイムに生まれたがすぐにロンドンに移った。彼の家は音楽一家であったもののどちらかといえばヴァイオリニストの家であり、その中でピアニストであった彼がもっとも有名という逆転現象が起きることになる。
ロンドンではムツィオ・クレメンティから指導を受け、才能を次第に発揮していった。クレメンティやJ. S. バッハ、C. P. E. バッハ、スカルラッティ、ハイドン、モーツァルトといった作曲家に触れた影響もあって、師匠であるクレメンティや兄弟弟子であるジョン・フィールドと比べても保守的で簡素な作風だったものの、ベートーヴェンから称賛されたように、その中でも斬新な前衛性を光らせるタイプの作曲家になったようだ。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番に「皇帝」と名付けたのも彼といわれている。
世代としては古典派に属するためハイドンやベートーヴェンと知り合ったほか、フンメルやドゥセック、ヴェーバー、カルクブレンナー、ケルビーニらとも関わり、さらに下の世代であるチェルニーやモシェレス、メンデルスゾーン、リスト、ベルリオーズとも出会っている。
クレメンティのほかの門下生に比べるといまだなお弟子たちのために書いた練習曲集が知られるのみで(ハンス・フォン・ビューローによって校訂されクラーマー=ビューローとして知られる)、200前後の曲を残しヴィルトゥオーソとして活躍した彼はまだあまり知られていないのが現状である。
一方クラーマーはロンドンでクラーマー・アディソン&ビール社というピアノ製造と音楽出版の企業家としても成功し、この会社は現在もまだ存在している。またロイヤル・フィルハーモニック協会の設立者の一人でもあった。
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