ハンス・フォン・ビューロー(1830~1894)とは、世界初の職業指揮者であり、音楽史に残る数々の名言を残した人であり、嫁をワーグナーに寝取られた人である。
概要
1830年ドイツ(旧ザクセン)のドレスデンに生まれる。9歳のころクララ・シューマンの父親であるフリードリヒ・ヴィークの師事を受けたものの、音楽は趣味にとどめるとしてライプツィヒ大学で法律を学んだ。
ところがピアノの腕をリストに認められ、一転して彼の弟子になることに。さらにリストのもとに出入りしていたワーグナーから作曲も学ぶ。ピアニストとしてはややもすればリストやショパン以上に称賛され、リストからは娘のコジマと結婚の認められた。……そう、のちにワーグナーのもとに走り彼と結婚、ドレスデン音楽祭を継承していく彼の子孫を生んだあのコジマである。
この結婚騒動が彼の人生に影を落としたわけでは決してなく、1880年にはマイニンゲン宮廷管弦楽団の指揮者に就任し、リヒャルト・シュトラウスを助手に、さらに1882年には創設されたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の初代常任指揮者へとなった。またピアニストとしての活動も精力的に続け、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番や、リストのピアノソナタロ短調の初演を行っている。
ピアニストとしては正確無比な知性派で彼の弟子にはカール・バルトや同じくリストの兄弟弟子だったフレデリック・ラモンドといった名前が並ぶ。逆に指揮者としては自由気ままな演奏法で後年ワインガルトナーから批判を受けることとなった。
残したとされる主な名言
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