概要
1998年シーズン終盤、西武が既にリーグV2を決め、ロッテの最下位も確定しペナントの雌雄も決した中、 パ・リーグの盗塁王争いは西武・松井稼頭央とロッテ・小坂誠の2人に絞られ、両チーム共にシーズン最後のカードとなる10月10日からの3連戦で直接対決することとなった。 盗塁数が松井41、小坂43で迎えた2戦目、10月11日は11-2でロッテが勝利。 共に両者へのマークが厳しくなる中、松井は企図数4で成功1(1試合3盗塁死は当時の両リーグ史上タイ)、小坂は企図数2で共に失敗し、1 個差で小坂が単独トップを維持し10月12日のシーズン最終戦を迎えた。 この試合、松井は第2打席で二塁打し、三盗を試みるも失敗。また小坂も第3打席で二塁打後、三盗に失敗した。
ところが7回表、小坂が第4打席で左前打で出塁した直後、事が起こる。 単打で出塁した小坂には成功しやすい二盗のチャンスが広がり、単独盗塁王の芽が出た。しかしマウンド上の西武芝崎和広が、一塁に牽制球を悪送球。 送球はファウルエリアを転々とするが、小坂は一塁にとどまったまま(一塁コーチの指示があったといわれる)。すると今度は、芝崎がセットポジションで全く静止せずに投球するというボークを犯す。 これにより、小坂は二塁に進まざるを得なかった。 当時のロッテ監督近藤昭仁らは審判に「故意のボークで野球協約が禁止をする敗退行為ではないか」と抗議したが認められず、結局そのまま試合は再開。 さらにこの後ショートの松井稼頭央が二塁塁上に守備位置を取って小坂にほとんどリードを許さないというシフトに出た。それでも小坂は三盗を敢行したが、結局失敗した。
その裏、松井は走者一、二塁から重盗を試みて成功し、これで松井の盗塁数は43となり、小坂に追い付いた。 小坂と松井はタイトルを分け合う結果となったが、この7回表の攻防を巡って「故意の悪送球・ボークではないか」「小坂は何故、悪送球で二塁へ進まなかったのか」などと多くのメディアが評した
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関連項目
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