ステファン・グラッペリ / Stephane Grappelli とは、フランスのジャズ・ヴァイオリニストである。
1908.1.26フランスで産まれる。ステファンが3才の時に母が他界。養育に困った父は孤児院に預ける。程なく第一次世界大戦で父は徴兵され、離れた孤児院でステファンは極貧で栄養失調で死にかけるほどであった。そんな中、学校で聞いたバイオリンに魅せられる。ステファンが10歳の時、復員した父はやせ細り変わり果てた息子に驚き、すぐさま孤児院から引取る。
ステファンが12才の頃、父は乏しい収入を工面してイタリア人の靴屋から中古のバイオリンを譲り受け、図書館から教則本を借り、ステファンに与えた。家にあった足踏みオルガンなどで音楽の糧を吸収し、ステファンは独学でバイオリンを習得し14歳でプロデビューする。
プロになったあとに、正規の音楽教育としてパリ音楽院でのソルフェージュを学ぶが得るものは少なかったようである。
16才の頃には無声映画の伴奏、街頭で演奏活動し、1929年後の相方となる、ジャズ・ギタリストのジャンゴ・ラインハルトと出会う。
その頃、大恐慌でヴァイオリンの仕事激減すると、ピアニストとして2年間活動。ソロ・楽団で活躍し、その間「私は2年間ヴァイオリンを箱から取り出すことはなかった」と話すほど。
1931年ジャンゴと再会、初共演したことで大反響を呼び、彼と共に1934年「フランス・ホット・クラブ五重奏団 (the Quintette du Hot Club de France)」を結成。
’34年フランス・ホット・クラブに公認され、フランス・ホット・クラブ五重奏団の名で有名になる。
大戦中は活動を一時中断、’46年再開、’53年ジャンゴが死去するまで共演。
その後はフリーとして活動、ジャズ・ヴァイオリニストの第一人者として、長年に渡って晩年まで第一線で活躍した。
日本にも81歳の1989年、1990年の二度来日し、二度目の公演は「Stephane Grappelli in Tokyo」として、CD化されている。その後は高齢化のためヨーロッパのみの公演となる。
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最終更新:2024/04/20(土) 07:00
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