不幸自慢とは、自分の不幸を自慢することである。
通常自慢というものは「いかに自分が幸福であるか」、「いかに自分が優れているか」を他人に言うことであるが、世の中には「いかに自分が不幸であるか」、「いかに自分が劣っているか」を他人に自慢する人たちがいるのである。
通常の自慢は「他人に自分がすごい人であると思ってほしい」からすることが多いが、不幸自慢の場合は「他人に自分が可哀想な人であると思ってほしい」ことを目的とする場合が多い。そしてその裏には「俺はこんなに可哀想なんだから、みんな俺に同情しろ! よく扱え!」といった想いが隠れていることもしばしば。酷いくなると「俺はこんなに可哀想なんだから、金をくれ」という詐欺まがいの行為に至ることもある。
幸福自慢でも不幸自慢でも結局のところ強い自己主張の一環であるので、TPOを間違えるとうっとおしがられることが間違いない。不幸自慢好きが一カ所に集まると始まるのは「お前なんてまだマシだぜ。俺なんて〜なんだから」と不幸を競い合うスーパーアンハッピーバトル。一体彼らは何を目指しているのだろうか。
ちなみに「俺はこんな苦労して成功したんだ」や「私の若いころはこんなに苦労していた」という苦労自慢とは区別される。「俺なんてこんな不幸なんだよ(でもそんな自分が好き)」という自虐風自慢とは結構被ることもあるかもしれない。いずれにせよ自慢には違いないが。
重要であるのは、自分の不幸について語っているからといって必ずしも不幸自慢とは限らないことである。もし、ある人が意を決して自分の悩みを打ち明けたのに、それを「不幸自慢乙」で切り捨ててしまったらその人はいよいよ行き詰まってしまうだろう。どんなときも、相手の立場にたって気持ちを慮る心が大事である。
掲示板
86 ななしのよっしん
2025/06/05(木) 18:23:07 ID: El46yRbRRW
>>67
不幸自慢の意味の中に社会的殺人、または心の殺人と捉えた上で、何故、不幸自慢が良くないかと言う話をするけど。遅れたレスですが
結論から言えば、不幸自慢も幸福自慢も、相手の心や社会を潰す免罪符や復讐として使われて、生き易さの話し合いを潰してしまうからだと思う。現在でも社会と戦い分断する為に不幸自慢が使われてる印象
本来なら不幸や生き辛さが発生した場合、法律や行政機関や医療機関など生き辛さを人権の範囲で少しでも無くす為の話し合いや取引を頼りながら、改善していったり、社会的な是正を促す必要が有る。本来なら生き辛さは痛み分けをしないといけないのに、個人に背負わせるのは重すぎる
けど、幸福自慢も不幸自慢も自分の人生観を受け止める時間が無いまま、余裕の無い他人や復讐をしたい個人に振り下ろされるから、社会が受け止める枠に入れないのよね、警察も刑務所も福祉や心療に知識が共有されてる訳でも無い所があるし。
人生を受け止めきれない個人福祉や自己責任に生き辛さが短期的な手段で殺人や自慢として溢れ返ったら
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
87 ななしのよっしん
2025/06/05(木) 20:06:35 ID: El46yRbRRW
と思ったら、ガンダムのクルーゼやコードギアスのルルーシュ、あとはナルトのサスケも家族や社会に対する不満や不幸の環境から成り上がった復讐者で好意的に捉えられる視聴者の一面も、有る事を考えると
不幸自慢に対する負の影響を長期的かつ冷静に痛み分けするのは難しそうよね、物語として伝わる不幸自慢も、短期的問題解決の手段や暴力の免罪符として魅力的に写ってしまってる。
悲劇のヒロイン症候群とも言うけど、不幸を暴力の道具として使い続けたら、生き辛さは社会を生きやすくする源泉ではなく、社会を壊す快感の道具に成る
88 ななしのよっしん
2025/09/02(火) 18:32:23 ID: Y2mKY+T9Lt
いいじゃないか不幸自慢、自慢できることがあるのはいい事だよ
だが中途半端はよくない、もっと堂々と大々的にやるべきだ
自らの不幸エピソードを書き連ねた書籍を出版しよう
世界一不幸な自分の顔をプリントしたシャツやポスターなんかを売り出すのもいいかもな
もっともっと不幸自慢して名を轟かせ道行く下郎を跪かせればいい、下賤な幸せ者共を足蹴にしてやれよ
不幸で哀れで惨めなその姿を世界中にさらけ出せ
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最終更新:2025/12/18(木) 13:00
最終更新:2025/12/18(木) 12:00
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