日本郵船とは、東京都千代田区丸の内2-3-2に本社を構える海運業者である。
◯か×かでお答え下さい。
答えは全て×である。
これから、その詳細について説明していく。
通称「郵船」「NYK」。
日本最大の海運業者として知られており、総資産額はグループ連結で約2兆円を誇る。保有船舶数は2018年時点で約750隻。
日本と海外との間で巨大な貨物船を多数運航し、大量の物資を運び続けている。海運以外にも不動産事業等も手がけている。
企業名称に三菱は入っていないが、実は三菱グループ傘下の企業である。
自動車工業・ふそう・重工・電機・フィナンシャルグループ・商事・地所と共に、三菱グループの重要なポジションに位置する。
こんな名称だが純民間企業である。
三セクだったり公社だったり国営国有企業ではないので注意していただきたい。
当然ながら、日本郵政・日本郵便グループとは一切無関係であるのは言わずもがな。
名前のせいで今でもなお旧郵政省・日本郵政・日本郵便グループの一員と勘違いされ続けている企業である。
(何故「三菱海運」等の名称にしなかった?等、そこに突っ込んだら負け。)
1869年、旧土佐藩 現在の高知県にて当時の土佐藩の幹部であった林有造氏が九十九商会を立ち上げた
。これが日本郵船の起源である。
その後九十九商会は1872年に三川商会、1873年に三菱商会、1874年に「三菱蒸汽船会社」へと名を変え、本社を東京府 現在の東京都内に移した。
1875年、政府は当時国有の海運業者であった「日本国郵便蒸気船会社」の経営を民間に委託することを決めた。というかその時点で政府は民間に組織を移譲する腹積もりだった。その際経営者として白羽の矢が立ったのが、のちに三菱財閥のボスとなる実業家の岩崎弥太郎であった。
もうお察しのとおり、郵船の名の由来は郵便蒸気船の略称。
岩崎弥太郎は、日本国郵便蒸気船会社の社長に就くと、三菱商会を合併し「郵便汽船三菱会社」と名を変えた。
その当時、日本の海運業は三菱系との郵便汽船三菱会社と、三井財閥系の「共同運輸会社」とが互いにしのぎを削る状態であり、過度な値下げ競争をした。
すると、政府は『共倒れになったら困る。じゃあ三菱・共同が合併すれば共倒れを回避出来るんじゃね?』と両者に介入。これにより、両者は対等合併に至り、日本郵船会社が誕生した。
これが現在の日本郵船グループの成り立ちである。
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最終更新:2024/12/03(火) 05:00
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