義を見てせざるは勇無きなりとは、論語の中の一節である。
「義」は儒教の五常(仁・義・礼・智・信)の一つで、正しい行いのこと、「勇」は勇気のことで、人として当然行うべきこと、正しいことと知りながらそれを実行しないのは、本当の勇気がないからだ、という意味である。
日本のことわざだと勘違いしている人もいるようだが、孔子の論語、為政第二の二十四、「其の鬼に非ずして之を祭るは諂うなり。義を見て為さざるは勇無きなり」という文が出典である。
対義語としては、触らぬ神に祟りなし(物事にかかわりさえもたなければ、災いを招くことはない)、君子危うきに近寄らず(立派な人物はむやみに危険を冒さない)、藪を突いて蛇を出す、雉も鳴かずは撃たれまい等があげられる。
掲示板
15 ななしのよっしん
2022/12/24(土) 01:59:33 ID: G8M7EP1nGX
結局「義」とは?「正しい行い」とは?って話よ
16 ななしのよっしん
2022/12/24(土) 02:12:19 ID: 5dZMyLmlyY
17 ななしのよっしん
2023/12/30(土) 18:47:51 ID: raxHchYTPh
>>15
16の人は投げてるが、ここに真正面から答えるのは実はかなり難問だと思う。
しかし敢えて、年上こそ答えられなければならないと勇を振って答えるなら
「子を思う気持ち」「親を大切に思う気持ち」これらや、派生感情、類似感情ではないかと思う。
年下がいじめられていてなにか心が動く。年上の惨めな姿にやはり心が動く。
また、年上年下に関わらず、諫めるのも含むと思う。
義という言葉も仁という言葉も、真正面から中国では答えられてない、これは日本語で言うなら情緒、情だ。
こういうふうに岡潔さんなんか喋ってるが、僕流になんとか言語化するならこうなる。
ただ事が厄介なのが、正義といっても、世の中の複雑さや人間関係の不可解さをわかったうえで、
敢えて押すのが正義や勇、義だと思うので、
まず行うより先に世の中や人についてよくよく気が回るようにならないと逆に怒られたりするし、
昔から百姓の子に学問はいらんというような親はいたんだが、いわゆる、子供を道具扱いする親の元に生まれた人にこの話
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最終更新:2025/12/06(土) 03:00
最終更新:2025/12/06(土) 02:00
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