蒲生貞秀(がもう・さだひで)とは、戦国時代の武将である。
ここでは1について記述する。
蒲生家14代当主。和田政秀の子。子に蒲生秀行、蒲生高郷、音羽秀順がいる。
父は和田氏の家督を継いでいたが、伯父・蒲生秀綱に男子がいなかったため秀綱の娘を娶り家督を継いだ。
近江の和田氏と言えば、甲賀に縁を持ちのちに和田惟政を輩出する家柄であり、蒲生氏の所領付近に存在するが、政秀がそこの家督を継いでいたかと言うと、系図には名前が見られずよくわかっていない。
別の近江に存在する土豪の和田氏かもしれない。
ともかくとして、音羽城を拠点として六角氏に次ぐ江南の有力勢力となり、室町幕府と結びつき六角征伐で活躍した。
しかし、明応の政変で10代将軍・足利義材が失脚し、11代将軍・足利義澄と六角高頼が和議を結ぶと、1495年ごろには高頼の麾下に属した。
六角氏との力の差を確認した貞秀は同年に出家し、家督を嫡男・蒲生秀行に譲る。また、次男・蒲生高郷を六角氏に出仕させて、三男・音羽秀順を細川高国の元に出仕させた。
これ以降六角氏を支持続け、翌年に斎藤妙純(斎藤利国)が攻めてきたときもこれを持ちこたえ、最終的に妙純側が内紛を起こし妙純が戦死している。
1502年には高頼と伊庭貞隆との抗争で高頼が窮地に立たされると、音羽城に迎え入れて伊庭貞隆と細川家臣・赤沢朝経の攻撃から持ちこたえることができた。
1513年には嫡男・蒲生秀行が貞秀に先んじて亡くなり、次男・高郷が家督継承を強く望むも、秀行の子で嫡孫にあたる蒲生秀紀を後継者に指名した。
しかし後年になってこれが遺恨となり、蒲生氏で内紛が起こることとなる。
翌年に病没した。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||
天翔記 | 戦才 | - | 智才 | - | 政才 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||
将星録 | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||||
烈風伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | ||||||
嵐世紀 | 采配 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
蒼天録 | 統率 | 64 | 知略 | 68 | 政治 | 61 | ||||||||
天下創世 | 統率 | - | 知略 | - | 政治 | - | 教養 | - | ||||||
革新 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
天道 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - | ||||||
創造 | 統率 | - | 武勇 | - | 知略 | - | 政治 | - |
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最終更新:2024/03/29(金) 08:00
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