蒲生秀紀 単語

ガモウヒデノリ

蒲生秀紀(がもう・ひでのり 生年不詳 ~ 1525)とは、近江戦国武将である。16代当。15代・蒲生秀行の嫡男。

概要

1513年、蒲生秀行世により、祖父(14代)蒲生貞秀より後継者に名され、若年でありながら生氏の督を継いだ。しかしその翌年に後見である祖父が病。また叔父生高郷とは督を巡って一悶着あり、高郷のを秀紀の妻とするなど表面上は友好関係を回復していたが、実際は所領配分に関しても不満がくすぶっていた。

なお当時の生氏は近江の一人として一定の独立を保っていたが、生高郷は近江守護・六角氏の臣になっていた。

1522年、高郷が六角定頼支援を受けて挙兵してくると、秀紀は音羽に籠した。江南最大の勢力である六角氏が敵方についたことで後詰の期待もかったが、それでも秀紀は8ヶ間にも渡って頑強に居を守り続けた。しかし結局降に追い込まれ、六角氏の仲裁の下で督は従弟蒲生定秀(高郷の子)に譲る事とされ、居処分にされた。

仕方なくに移り住むも、2年後に高郷・定秀子の刺客によりを盛られて暗殺された。秀紀にはがいたが、彼女理やり尼にさせられて断絶の憂きとなった。
一方、定秀系の生氏子孫は名将・蒲生氏郷を輩出するなどして繁栄するが、109年後に跡継ぎなく断絶してしまった。奇しくも同名の子孫・蒲生秀行の子の代であった。

で8ヶ間奮闘できるほど本人は武力に優れた人間であることは間違いないが、本来フォローしてくれるはずの叔父により裏切られ、名将と名高い六角定頼が敵についたことは彼にとって不幸であっただろう。

補足

ゲーム信長の野望」に登場した事はない。蒼天録にも秀行・秀紀の子は省略されており、貞秀→高郷→定秀の系だけが登場する。

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