「遊佐続光」(ゆさ・つぐみつ ? ~ 1581)とは、戦国時代の能登守護代畠山家の家老を務めた武将であり、能登の実権を握る為に主家も巻き込んで政争を繰り広げ、危機になると他家に逃げ込んでは戻ってくる事に定評のある武将。
能登守護畠山家の家老を務め、畠山義続の代から畠山義綱、畠山義慶の代まで、畠山七人衆と呼ばれた温井総貞や長続連らと主導権を巡る争いを繰り返した。
特に畠山義綱の頃には、前当主で隠居していた畠山義続が、遊佐・温井・長の権力争いを利用して主家の復権を企んだ為、温井総貞との戦いで国外に逃亡した遊佐続光が、畠山義綱の更迭を謀った事で温井総貞が抹殺された後、温井景隆と協力して能登に帰国するといった状況で能登の国政は混乱に拍車がかかった。
重臣に返り咲いた遊佐続光は、畠山義続・畠山義綱親子を追放し、畠山義綱の子・畠山義慶を当主の座に据えたが、元々お飾りの傀儡として据えた為か、後に畠山義慶が早世した際は遊佐続光による暗殺が疑われている。
畠山家中ではあいからず主導権争いが続く中、上杉謙信が能登へと侵攻してくると、七尾城にこもって抵抗する畠山氏に対して、領地の安堵や恩賞による内応を求める書状が越後に逃亡経験のある遊佐続光の下に届き、親織田派であった長続連による織田信長の援軍も迫る中、温井景隆と共謀して長続連一族を殲滅して、上杉謙信に降り、能登の支配権を手に入れたものの、上杉謙信死後に織田信長が攻めてくると降伏するが、先に親織田派の長続連一族を抹殺した事もあって織田信長は許さず、捕らえられた遊佐続光は、長氏の生き残り長連竜の手によって斬首された。
こうして戦国時代に発生した能登・畠山家臣団による三国志は終結したのだった。
※その他「遊佐続光」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
▼全国から能登に集まった梟雄達の当主を務める架空戦記「梟雄の野望」
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 20 | 政治 | 65 | 魅力 | 63 | 野望 | 68 | ||||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 55 | 政治 | 61 | 魅力 | 58 | 野望 | 69 | 教養 | 61 | ||||||
覇王伝 | 采配 | 54 | 戦闘 | 49 | 智謀 | 67 | 政治 | 70 | 野望 | 73 | ||||||
天翔記 | 戦才 | 104(B) | 智才 | 134(A) | 政才 | 128(B) | 魅力 | 54 | 野望 | 73 | ||||||
将星録 | 戦闘 | 46 | 智謀 | 72 | 政治 | 64 | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | 38 | 戦闘 | 43 | 智謀 | 64 | 政治 | 53 | ||||||||
嵐世記 | 采配 | 27 | 智謀 | 54 | 政治 | 43 | 野望 | 55 | ||||||||
蒼天録 | 統率 | 41 | 知略 | 68 | 政治 | 58 | ||||||||||
天下創世 | 統率 | 41 | 知略 | 67 | 政治 | 58 | 教養 | 55 | ||||||||
革新 | 統率 | 50 | 武勇 | 46 | 知略 | 75 | 政治 | 65 | ||||||||
天道 | 統率 | 50 | 武勇 | 46 | 知略 | 75 | 政治 | 65 | ||||||||
創造 | 統率 | 49 | 武勇 | 52 | 知略 | 73 | 政治 | 65 | ||||||||
大志 | 統率 | 48 | 武勇 | 51 | 知略 | 72 | 内政 | 64 | 外政 | 70 |
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最終更新:2024/05/04(土) 16:00
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