Jaco Pastoriusとは、エレクトリックベースの神、いわゆるゴッドである。通称ジャコパス。
エレクトリックベース界に革命をおこした人物とも言われ、今尚信奉者は多い。
1951年生まれ。元々はドラマーとしてプレイしていたが、13歳の頃の事故でプレイを続けるのが困難になったためベースへ転向。
1974年、Little Beaverのアルバムに参加。これが初のレコーディングワークスと言われている。
1975年、Pat Methenyのデビューアルバムに参加。同年、エピック・レコードと契約し、1976年にデビューソロアルバム『Jaco Pastoriusの肖像』をリリース。
1976年、フュージョンバンドであるWeather Reportに参加することが決定し、『Black Marcket』の一部よりレコーディングに参加。次作の『Heavy Weather』ではコ・プロデューサーとなりバンドは黄金期を迎える。
1979年、Joni Mitchellの『Shadows And Light Tour』にPat MethenyやDon Aliasらと共に参加。この頃から既にドラッグで染まっていたと言われているが、プレイにおいては黄金期であった。
1981年、セカンドソロアルバムである『Word Of Mouth』をリリース。それと同時に自身のバンドを本格的に始動させるため1982年にWeather ReportをドラマーのPeter Erskineらと共に脱退。ジャコの脱退によって、当バンドの黄金期は終焉したとするファンも多く、バンドリーダーのJoe Zawinulもそれと取れる発言をしている。
1982年、Jaco Pastorius Big Bandとして来日。日本武道館などでライブを行い、大成功を収める。
1983年、小規模となったビックバンドでライブを重ねるも、このあたりから目に見えて奇行が目立ち始める。
1985年、『Modern Electric Bass』という教則ビデオを作成。完全に酒とドラッグに溺れていた時期だが、映像では比較的良好な健康状態に見える。
1987年、Santanaのライブに飛び入りで参加しようとしたところ警備員がジャコを知らなかったためか、追い出してしまう。その後訪れたナイトクラブにてガードマンと乱闘になり重傷を負い、9月21日永眠した。
Fender Fretless Jazz BassとAcoustic 360 Ampを使用。ベースは本来リズム楽器であり影に隠れた存在と思われていたが、ジャコは早弾き、ハーモニクスの多用、効果的なエフェクターの利用などでベースを花形楽器へと昇華させた。『Slang』とタイトルをつけられたベースソロパフォーマンスは、その全てが凝縮されている。特に今までチューニングなどでしか使用されなかったハーモニクスを曲にした『Portrait of Tracy』や、人工ハーモニクスをリフにした『Birdland』は彼の代表曲となっている。
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17 ななしのよっしん
2018/04/05(木) 18:05:00 ID: UsoW4T0rAq
ジャズ畑の人はほんと破天荒な人多いよね
酒やドラッグで身を持ち崩して
でもそういう人に限って凄い演奏するんだよなあ
18 ななしのよっしん
2020/01/13(月) 22:38:52 ID: YODIgZexGv
バードランドのベースtab譜を初めて見たんだけどいきなり人工ハーモニクスから始まってんだねこれ
14フレット押さえながら26フレット上に触れるってそもそも24フレット以上ないんだけどって小一時間悩んでた
19 ななしのよっしん
2020/02/09(日) 00:48:07 ID: ZDjnYbQ9W2
ジャズに限らず芸能に関わる人間は周囲からの期待、不安定な生活、人間不信から酒とドラッグ依存になりやすい。別にドラッグで身を崩した人に凄い人が多いわけじゃなくて、業界では表沙汰になってないだけでよくある話なんだと思うよ。人間性とかは関係ない。
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最終更新:2024/05/30(木) 19:00
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