ガイナーレ鳥取とは、鳥取市、米子市、倉吉市、境港市を中心とする鳥取県全域を本拠地とする、Jリーグ所属のサッカークラブである。
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鳥取教育団として1983年に創部。1989年にSC鳥取と改称し、2007年にJリーグ準加盟となった際に現在の名称となった。2011年にJリーグへ加盟。
チーム名の「ガイナーレ」は公募により決まったもので、「がいな」は、出雲伯耆地方の方言で「大きな」という意味で、勝利を掴み続け、世界にはばたくような「大きなチームになれ」という願いと夢が込められている。
クラブエンブレムには、鳥取教育団の発足年の「1983」が刻まれ、サッカーボールから生えるように、大きく羽ばたく鳥の翼がデザインされている。クラブマスコットはガイナックスの赤井孝美がデザインした「強小戦士 ガイナマン」。日本書紀にある「鳥取」の由来にちなみ、「白い鳥」がモチーフ。
ホームスタジアムは中国地方唯一のサッカー専門スタジアムであるAxisバードスタジアム(鳥取市営サッカー場)。
元日本代表FWの「野人」岡野雅行が代表取締役GMを務めており、選手時代からチームの顔としてクラブの発展に貢献している。
鳥取県の教員チーム「鳥取教員団サッカー部」として米子市に創設し、鳥取県リーグ2部から参入。その後1989年に「SC鳥取」と名称変更をするも、しばらくは中国リーグと鳥取県リーグを行き来するエレベータチームとなった。
1998年の中国リーグ再昇格を機に強化が進み、2000年には社会人連盟の推薦を受けてJFLに参入。
その際、NPO法人のやまみつスポーツクラブからの支援を受けることになる。
それ以降はJリーグ参入に向けての本格強化が始まるまで、残留争いに巻き込まれていく破目となる。
2007年にはチーム名を現在の「ガイナーレ鳥取」に変更し、運営団体を現在の株式会社SC鳥取に移管し、この年からJリーグ準加盟クラブとなったほか、スタジアムの関係もあって、クラブ所在地を鳥取市に移すこととなる。
シーズン途中で監督が松下電器やヤンマー、ドイツのブンデスリーガでのプレー経験もある、元・タイ代表監督のヴィダヤ・ラオハルクとなる。
その後2008年には、元日本代表の小村徳男の加入など積極的な選手補強も実ってか初めて上位に君臨するも、終盤の勝負弱さが露呈して5位に終わる。
2009年もJ1リーグ経験者を補強。後期には、地元出身であり元日本代表の野人・岡野雅行が加入。しかし、前年と同じような形で5位に終わる。
これがキッカケで、2ちゃんねらーのJFLウォッチャーからはベガルタ仙台の蔑称になぞらえて、「第二のけさい」「JFL界のけさい」と呼ばれる破目となった。
2010年はヴィダヤ監督が母国での事故で現場に復帰できなくなり辞任、後任に元・東京ヴェルディ監督の松田岳夫が就任。元日本代表の服部年宏や美尾敦、喜多靖、小針清允といったJ1経験者を多く補強すると、開幕から14戦無敗と好スタートを切る。10月3日にアルテ高崎戦に勝利し、FL史上最速となる5試合を残してリーグ初優勝を決めJ2参入条件の1つであるJFL4位以内が確定。さらに、JFL史上最速となる5試合を残してリーグ初優勝を決める。ちなみにこの年ホームでは無敗だった。
2011年、Jリーグ38チーム目(横浜Fを入れると通算39チーム目)としてJリーグに参入、J2の舞台に立つものの、Jリーグの壁は厳しかった。リーグ戦2試合目で潔く初勝利を挙げ、2勝1分スタートとスタートダッシュに乗ったかと思えば、中盤に5連敗をするなど、中々勝てない状況でいた。夏場に調子を戻すが、ロアッソ熊本戦に敗れてから最終節の愛媛FC戦まで最後まで勝てず8連敗で終了。順位も気が付けば19位に低迷した。
以降も浮上のきっかけは掴めない。2012年はJ2ワーストの78失点を喫して20位に終わると、2013年は開幕5試合負けなしで一時は2位にいたにもかかわらずそこから大失速。8月には監督を交代して巻き返しを図るがこれが完全に裏目に出てしまう(監督交代以降はリーグ戦で9敗4分)。
J2参入3年目となった2013年にはクラブOBの小村徳男が監督に就任するが、大きく低迷。8月に強化部長だった漢・前田浩二が監督に就任するが成績は悪化(就任後15試合で1勝もできず)、ついに最下位でシーズンを終えると、カマタマーレ讃岐との入れ替え戦に1敗1分で敗れ、J2リーグからの降格が決定。2014年は新設されるJ3リーグへと回る。
2014年に前ガンバ大阪監督の松波正信を監督に招聘し、前年に現役を引退した岡野雅行がGMに就任。J3降格の影響による収入減で、債務超過に陥る可能性もあったが、新規スポンサーの獲得で乗り切る。
発足初年度のJ3リーグでは、終盤まで昇格争いに加わるが、4位に終わる。
2015年はついに債務超過によってJ2ライセンスの申請を断念。リーグ戦の成績にかかわらずJ2昇格の可能性はなくなってしまう。2016年は柱谷哲二が監督に就任し、J2ライセンスも交付されたが、序盤から低迷。16チーム中15位とJ2復帰とは程遠い下位でシーズンを終え、柱谷監督は1年で退任。
2017年には、森岡隆三が監督に就任するが、断トツでの最下位に終わる。しかも、3シーズン連続で最終節のホームゲーム対戦相手に目の前で優勝を決められるという不名誉な記録を樹立する。
2018年、よもやの続投となった森岡監督だったが、成績不振で6月に後任となる。ところが、後任に須藤大輔監督が就任するとチームの成績は大幅に上昇。特に新外国人のレオナルドがゴールを量産し、躍進の原動力となる。最終的にはJ3降格後最高順位となる3位でシーズンを終える。また、24得点を記録したレオナルドは得点王を獲得する。
2019年はチームの躍進の立役者だった須藤監督が家庭の事情で退任、レオナルドもアルビレックス新潟へ移籍してしまう。戦力ダウンを余儀なくされながらも奮闘はしたが7位。2020年は昇格争いに加わっていたが、後半戦で失速したことで5位で終了。シーズン終了後、J3降格からの6年間チームを牽引していたフェルナンジーニョが現役を引退。
2021年はスタートダッシュに失敗し、開幕7試合で監督が交代。前鹿児島監督の金鍾成が監督に就任した後もさらに低迷は続き、第11節にはホームで長野相手に1-8と記録的な大敗。その後も二桁順位のままでシーズンが終了する。
2022年の前半戦は開幕10試合で1勝1分8敗、17試合終了時点で3勝・17位と不振だったものの、後半戦では9勝を挙げ最終結果は12勝5分17敗の勝点41の12位、総得点はリーグ3位タイとなる55得点を挙げた。
2023年は開幕こそ連勝スタートだったものの、失点の多さから勝ち切れない試合が続くようになり、JFL降格圏付近まで低迷するようになった6月20日に金鍾成監督を解任。ヘッドコーチの増本浩平が暫定的に指揮を執り、ヘッドコーチには25歳の小谷野拓夢を抜擢。この思い切った人事が功を奏し、課題だった守備の整備に着手したことで後半戦はJ2昇格争いに食い込むほどの巻き返しに成功する。結局第37節で昇格の可能性は消滅するが、シーズンを6位で終え、J2復帰への手ごたえを掴めたシーズンとなった。
※備考欄は【完】=完全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別指定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手
マスコットキャラクターはガイナックスがデザインした、その名も「強小戦士ガイナマン」。ガイナーレ、ガイナックスはともに鳥取・島根の方言である「がいな」(大きい、凄いという意味)に由来しており、そういった縁もあってのデザインとなった。Jリーグのマスコットとしては珍しい人型、そして初めてとなるヒーロー系のマスコットである。そのうえ頭身がデフォルメされていないため、アクロバットな動きも楽々こなす。ホーム戦ばかりでなくアウェイ戦にも精力的に足を運ぶことでも知られている。
前身のSC鳥取が活動していた米子市に「オールガイナーレYAJINスタジアム」がある。ガイナーレで現役を終えた元日本代表FW・岡野雅行の賛同の元に進められたサッカー専用スタジアム建設プロジェクトで、現在はガイナーレの練習試合などに使われている。J3基準の収容人数は満たしているため、たまにJ3の公式戦で使用されている。
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最終更新:2025/12/11(木) 16:00
最終更新:2025/12/11(木) 16:00
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