鹿児島ユナイテッドFC 単語

7件

カゴシマユナイテッドエフシー

1.2万文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

鹿児島ユナイテッドFCとは、鹿児島県鹿児島市を本拠地とするJリーグ所属のサッカーチームである。

概要

日本プロサッカーリーグ
鹿児島ユナイテッドFC
基本情報
創設年 2014年
チームカラー
所属 J2リーグ
ホーム
スタジアム
波スタジアム[鹿児島県鹿児島市]
ホームタウン 鹿児島県鹿児島市
前身 FC KAGOSHIMA
(※JFAチーム登録番号継承による)
備考 前身時代の戦績は継承していない
サッカーチームテンプレート

ヴォルカ鹿児島FC KAGOSHIMAの両クラブJリーグ入会に向けて統合し、2014年に誕生。2016年J3昇格時にJリーグに加盟。2019年にはJ2リーグ昇格を果たしている。チーム名は、本土、離、県外、世界中の鹿児島ゆかりのある人たちの鹿児島をひとつにし、それらを鹿児島のチカラに変えられる存在になることを意味し名付けられた。クラブマスコットは、薩摩モチーフにした「ゆないくー」。

ホームスタジアムは波スタジアム(鹿児島県陸上競技場)。略称は「スタ」。かつては横浜フリューゲルスジュビロ磐田京都パープルサンガなどがホーム開催として定期的に使用していた。

鹿児島県は元々サッカーの盛んな土地柄であった。とりわけ、平成以降は鹿児島実業高等学校を中心に高校サッカーで度々上位に進出。前園真聖二、遠藤保仁松井大輔といった日本代表でも活躍した選手を数多く輩出してきた。"鹿実"出身者以外でも優秀な選手は多く、「大迫半端ないって」でも知られた大迫勇也鹿児島西高校出身)をはじめ、幾多のプロサッカー選手を輩出してきたのが鹿児島の地である。

そんなサッカー熱の高い場所にようやく誕生した、全区で戦うクラブが鹿児島ユナイテッドFCである。

歴史

ヴォルカ鹿児島(V鹿児島)

元を辿れば、1959年に誕生した『鹿児島サッカー教員団』が前身となるクラブ。教員クラブ体となる例はしくなく、Jリーグ先輩で言えば栃木SCガイナーレ鳥取が同じく教員クラブが前身になっているし、JFL同期生となるレノファ山口FCも教員クラブが前身である。鹿児島サッカー教員団は、九州サッカーリーグが産を上げた1973年から皆勤賞1974年1986年には優勝もしている、由緒正しいチームでもあった。

1993年Jリーグが誕生してJリーグバブルが巻き起こると、日本各地の実業団チームは次々と模様替えしてJリーグすようになっていった。鹿児島では横浜フリューゲルスが特別活動地域の一部として定(1995年まで)していたが、当時の鹿児島高校サッカー黄金時代を築いていた。1993年から4年連続でベスト8以上、1995年には優勝を経験するなど絶頂期だった鹿児島にも全規模のクラブチームを、というがあがるのは自然な流れだっただろう。

こうして、長らく鹿児島社会人サッカーを引っってきた鹿児島サッカー教員団はクラブチームへと移行。1996年から『ヴォルカ鹿児島』と名乗るようになる。チーム名はフランス語で「火山」を意味する「volcan」が由来。この火山は、言うまでもなく桜島のことであった。ところが、Jリーグバブルはほどなくして崩壊。奇しくも、鹿児島を活動区域にしていたこともある横浜フリューゲルスが消滅するなどして、一時期Jリーグ参加への機運は鹿児島のみならず全でトーンダウンしつつあった。ヴォルカ名前は変わったが劇的に強くなったわけではなく、今までとあまり変わらず九州リーグ戦場であった(中下位だったチームが中上位になる程度の変化はあったが)。

2002年日本韓国の共催でFIFAワールドカップが開催。試合会場やキャンプ地の誘致合戦で再び日本各地でサッカー熱が高まりを見せた時期である。鹿児島の地でもジダンアンリらを擁する前回覇者フランス事前キャンプっている(まさかこの時点でフランスが1勝も出来ずに大会を去るとは思っていなかっただろう)。全サッカーチームで町おこしを、という流れが生まれつつあったこの頃、「乗るしかない、このビッグウェーブに」と思ったかどうかはともかく、ヴォルカ運営団体を立ち上げて法人化させてチームプロ化へと転換することをした。

が、ここからヴォルカは足踏みを繰り返してしまう。スポンサーが集まらずに負債だけが溜まり、法人化を断念して債務の返済に専念、なんとか体勢を立て直すもまた同じことを繰り返し・・・そうこうしている間に、ホンダロックSCロアッソ熊本FC琉球ギラヴァンツ北九州V・ファーレン長崎と他のチームに次々と先を越されて全リーグへと行かれていってしまったのである。

FC KAGOSHIMA(FC鹿児島)

その頃、鹿児島ではもう一つのチームがコツコツと力を付けつつあった。大隅半島では最大の町にある鹿屋市にある、日本一の国立体育大学鹿屋体育大学。ここのサッカー部の学生体となって1994年に作った社会人登録のチーム鹿屋体育大学クラブ』である。

ここが九州リーグに初昇格を果たした2004年、広く社会人に門戸を開き、将来のJリーグ入りをも念頭に置きつつ強化を図ろうと、チーム名前も『大隅NIFSユナテッドFC』と変え、且つ、一クラブとして鹿屋体育大学サッカー部から独立していった。チーム名の「NIFS」は「体育大学」を英訳した時の単語の頭文字を取ったものである(National Institute of Fitness and Sports)。とはいえ、こちらもそれだけですぐに強くなったわけではなく、しばらくは鹿児島県リーグ1部と九州リーグを往復するようなエレベータークラブ状態であった。

状況が変わり始めたのは2009年。この年、東京在住の鹿児島出身者たちが「スポーツの力で地元を元気にしよう」と運営会社を設立。一からチームを作るのではなく、既存のチームを譲渡してもらう形でJリーグした活動を始める。ヴォルカにも話を持っていったとのことだが、どうもうまくいかなかったようで白羽の矢が立ったのが大隅NIFSユナテッドFCであった。この過程で鹿児島では名門クラブユースチームでもある『アミーゴス鹿児島』とも連携を取る形で、鹿児島に全区のリーグJリーグす2つチームFC KAGOSHIMA』が誕生した(※以下「FC鹿児島」及び「FC」表記)。

2010年鹿児島県リーグを全勝で制し、九州リーグへの昇格決定戦も勝ち抜いたFC鹿児島2011年から満を持して九州リーグに復帰。ここで本格的にJリーグすことを掲げ、同じ鹿児島に居を構える2つのクラブが相まみえることとなった。


なお、チームが譲渡されたその裏側で、所属選手の内、鹿屋体育大学サッカー部出身の選手が一斉に退団した。また、同年、チーム発足当初の鹿屋体大の選手を中心とする形でのチーム大隅NIFS FC』が誕生し、鹿児島県リーグ最下位カテゴリから活動を始めた。このクラブU-15U-12の育成組織のチームを持つようになり、更には2013年、『大隅NIFS. 2nd』というセカンドチームも誕生させた。

しかし、2014年トップチームセカンドチーム大隅NIFS FCから切り離されて鹿屋体育大学サッカー部に譲渡され、それぞれ『NIFS KANOYA FC』と『NIFS KANOYA FC 2nd』に改称し、同サッカー部のサテライトチームへと転換していった。

この内、NIFS KANOYA FC2015年鹿児島県リーグ1部と九州各県リーグ決勝大会を制し、2016年から九州リーグに参入する。参入初年度は危なげながら7位と残留を果たし、カテゴリ上は鹿児島ユナイテッドFCに続く鹿児島県内で2番の位に位置するチームとなった。

V鹿児島とFC鹿児島、2クラブの対立並立、そして統合へ・・・

2011年シーズンFCの方が好調で、直接対決でも2戦2勝(うち1勝はPK戦)でヴォルカを順位で上回る・・・が、HOYO AC ELAN 大分(現:ヴェルスパ大分)に2戦2敗(うち1敗はPK戦)。ヴォルカもHOYOには1勝1敗と引きずりおろすことが出来ずに、この年は両チームともに九州リーグ残留が決定。おまけに、HOYOはJFL昇格を決め、またしても鹿児島チームが先を越されてしまうという結果になってしまった。

HOYOの抜けた2012年シーズン、両チームの直接対決は1勝1敗の五分であった。が、下位チームに取りこぼしがあったヴォルカの上を、今年もFCが行くという結果になった。FCJFL昇格を懸けて全国地域サッカーリーグ決勝大会に初挑戦するが、グループリーグファジアーノ岡山ネクストS.C.相模原に屈し、この年も九州リーグ残留に終わる。

Jリーグすという的が同じチームが並び立つ状況は、地域内のスポンサーであったり、最大の懸念であった鹿児島に1つしかないJリーグの規格を満たすスタジアムの使用権という限られたパイの奪い合いという事態を招きかねなかった。見るに見かねたか、双方の間を取り持つ団体が立ってチームの統合を呼び掛けたものの交渉は物別れに終わってしまう。だが、こんな状況にもタイムリミットが迫りつつあった。

2013年に翌年からのJ3発足が発表され、JFLも含めて全カテゴリーリーグを取り巻く状況が大きく変わる中で、2つのチームが並び立ったままであることを許せる時間的猶予はもうかったのだろう。再びヴォルカFCとの間で統合の話し合いが進められ、ついに正式にチームの統合が発表された、8月のことである。この年の九州リーグではFCの方が取りこぼしが多く、最終節の直接対決を待たずにヴォルカがこのチーム名としては最初で最後の九州リーグ優勝を決めた。直接対決は1勝1敗。この年はヴォルカFCが共に全国地域サッカーリーグ決勝大会地決)へと進出し、仲良くグループリーグを勝ち抜いて決勝ラウンド進出。迎えた最後の直接対決はヴォルカが制したものの、最終順位ではFCが3位、ヴォルカが4位という、どこまでもっ向からぶつかり合った両チームであった。

『鹿児島を一つに・・・』鹿児島ユナイテッドFC誕生

統合後のチームという扱いでJFL入会通過し、2014年からの新生JFLに参戦が決まった新チームは、年末に新チーム名である『鹿児島ユナイテッドFC』を発表。トップチームJFLに、そしてセカンドチーム九州リーグへ参戦させることが決定している。

ちなみに、セカンドチームがいきなり九州リーグに参戦できているのは、ヴォルカ鹿児島チーム登録番号を継承しているためである(※九州リーグへの新規参入は九州各県リーグ決勝大会を勝ち抜かないとできないため。特例での新規参入は認められていない)。一方、トップチームFC鹿児島チーム登録番号を継承している。これは、前述した地決で自動昇格圏内(3位以内)に入ったのがFC鹿児島のみであり、ヴォルカ鹿児島九州リーグに残留という形となったからだ。その為、JFL公式によりFC KAGOSHIMAから名称変更」アナウンスされているexit故にそういう意味では、あくまで合併したのはクラブ同士であり、各々が保有していたトップチーム同士の合併はされず、それぞれトップチーム(←旧:FC鹿児島トップチーム)・セカンドチーム(←旧:ヴォルカ鹿児島トップチーム)へと転換されていった。

但し、トップチームセカンドチーム、共に前身チームから継承したのはチーム登録番号のみで、記録リーグ優勝天皇杯出場の回数など)は引き継がれていなかった。余談だが、FC鹿児島大隅NIFSユナテッドFCからチームを継承した際は、鹿屋体育大学クラブ時代の天皇杯出場回数記録(1回)を引き継がなかった。他のクラブにも言えるのだが、少しは保有チーム歴史ぐらい大事にしてほしいところである。

ところで、統合に際しては長きにわたってすったもんだがあった。先発組のヴォルカ法人の立ち上げに手間取り続けたし、後発のFCも土壇場の2013年になって所属選手が監督クラブ然と批判するコメントを残してシーズン中に移籍をするなど問題を抱えていないわけではない。双方の熱心なサポーターの間にはしこりが残っていることもブログなどからは見受けられる。とはいえ、「ユナテッド」という「団結」を意味する単語がチーム名になった今、雨降って地固まるとなるかどうか、新生「鹿児島ユナイテッドFC」の行方が注されるところである。・・・チーム名がありきたりだと一部で言われていたりか、決める時間(募をかける時間)がかったことを半ば言していたりということはとりあえず気にしない方がいいと思う。

その後、称が募され、称は「よかにせイレブン」となった。よかにせとは鹿児島弁イケメンという意味である。松木さん、決していい店とかそういう意味じゃありませんからね!

2年間のJFL在籍を経て遂にJリーグへ・・・

2014年、初のJFL先輩であったヴェルスパ大分に1-0で勝利JFL勝利を挙げると、ホーム開幕戦となったJFLの大先輩である横河武蔵野FC戦ではJFLとしては出色の3500人をえる観衆の前で4-0と勝利し、JFL昇格1年の開幕2試合としては上々の滑り出しを見せた。

その後、1stステージではHonda FCと勝ち点で並びながら得失点差で+7と差を付けられたためにいきなりのステージ制覇とはならなかったものの、自力昇格が出来るほどの実力があることを全へ示すこととなる。2ndステージでは制覇した佐川印刷京都SC、年間成績4位でJ3昇格を果たすレノファ山口FCの前に屈して2位となり、通算成績3位(通算勝ち点では2位)で2014年シーズンを終えた。なお、同シーズンでは遂にJリーグ年構想クラブとして承認され、後は年間成績4位以内とホーム均観客動員数2000人以上、そしてJ3ライセンス取得の3つを満たすことが課題となった。

2015年1stステージは開幕から4勝3分と負けなしだったが、8節でアスルクラロ沼津に負けると次第にステージ優勝争いから遠ざかるようになる。そして最終節前であるホーム戦の14節・Honda戦で0-3と敗戦。またヴァンラーレ八戸FCが同節で首位浮上し、おまけに勝ち点差4と開いてしまったこともあり万事休す、2ndステージに切り替えていくことになる。

2ndステージでは開幕で沼津に3-2と辱を果たすなど3勝1分となるが、5節でファジアーノ岡山ネクストに競り負けくもステージ制覇に黄色信号が点し、やがて制覇の可性が消滅した為、年間通算成績4位以内に掛けるしかなくなった。一方、9月にはJ3ライセンス取得となる。この時1stステージ覇者八戸J3ライセンス取得に失敗した結果、規定により同年のJ3昇格が1チームのみとなった。取得時点では鹿児島トップだったことも有り、あとは勝ち点を重ねて他のライセンス持ちを引き離すだけだったが、少々モタモタしたこともあって終盤まで沼津に勝ち点差を5までに縮められていた。そして最終節前である運命の14節、鹿児島奈良クラブ引き分けて勝ち点を積み重ね、沼津岡山ネクストに負けて年間勝ち点で鹿児島を上回る可性が消滅した為、鹿児島の年間通算成績4位以内が確定した。最終節ではFCマルヤス岡崎に3-1と快勝し、自らJ3昇格にを添えた。

2015年11月17日Jリーグ臨時理事会。この日を以って、鹿児島J3昇格が正式決定した。クラブ代表である徳重剛は、吉報を受け取った後、関係者と握手しつつ、込み上げてきた感情を抑えきれず男泣きするのであった。

J3初参戦

2016年J3参入初年度。このシーズン熊本大地震が起きたもあり、5節の延期が決定するなどコンディション調整がされたが、7節から8試合連続負けし、12節から首位に経つなど、前シーズンにて他のチームを震え上がらせた「山口」の再現が期待されたものの、くも14節にて首位から陥落するとそのまま首位に立つことはなかった。

それでも終盤まで昇格争いに絡むなど、山口に続いてJFLをギリギリで突破してきても十分、J2昇格を自力でせることを明した。が、最終的には失速し、16チーム中5位でシーズンを終えた。また、15得点記録した藤本明が得点王を獲得。

一方でホームスタジアムである池競技場が2020年鹿児島国体に向けて改修することが災いしJ2ライセンス不交付となった。こういうこともあり、サポーターを中心に、チームが優先的に使えるサッカー専用スタジアムの建設を実現させるための運動も起こるようになった。

セカンドチーム、ついに長くて濃い歴史に終止符が打たれる・・・。

トップチームが躍進する一方、引き続き九州リーグ残留となったセカンドチームは1年を10チーム中3位で終えるものの、中々人材が集まらないこともあってか、2年は10チーム中8位と急に成績を落とし、3年は10チーム中最下位と、旧:ヴォルカ鹿児島トップチーム時代から続く九州リーグオリジナル7としての長い歴史の中で、初めて自動降格圏に落ちてしまった。ただ、このシーズン熊本大地震もあって、自動降格チームし、代わりに最下位は九州各県リーグ決勝大会2位チームと入替戦を行うこととなったため、辛うじて九州リーグ残留の芽は残された。

しかし、年を跨ぐまであと4日と迫った頃、急遽クラブ公式からこのようなリリースが上がった。

この度、鹿児島ユナイテッドFCは九州リーグにて活動する社会人チームセカンド」の活動を終了することとし九州サッカーリーグ連盟に退会届を提出いたしました。

これに伴い、2017年1月に予定しておりました、九州各県リーグ決勝大会2位チームとの入れ替え戦は辞退いたします。

鹿児島ユナイテッドFC公式サイト
『鹿児島ユナイテッドFCセカンド 活動終了のお知らせ』exitより

当のクラブ「今後、鹿児島ユナイテッドFCがJ2そしてJ1すにはどのような強化・育成の体制をとるのが最善であるかを考えていった結果」を理由としているものの、この年はJFL所属であるファジアーノ岡山セカンドチームファジアーノ岡山ネクスト』も解散となった為、他のクラブの例に漏れず資金的な余裕を持ち合わせない地方クラブセカンドチーム運営すること自体苦しかったのが第一の原因では?」との観方も強くされていた。

とはいえ、セカンドチームとしての意地と観るべきか、最初で最後ではあるが漸く、トップチーム昇格を成し遂げた選手を1名輩出することに成功した。何だかんだで役割はきっちり果たしていることを明したセカンドチームは、鹿児島サッカー教員団時代から刻まれてきた58年の歴史に、静かに幕を下ろしたのだった・・・。

3年目でのJ2昇格

2017年より三浦知良としても知られる三浦泰年が監督に就任。この年もエースである藤本ゴールを量産、上位争いに加わる。9月にはJ2ライセンスが交付されたことでJ2リーグへの昇格が可となる。しかし、終盤戦に入って勢いを落としてしまい、この年の昇格はならず。それでも前年を上回る4位でシーズンを終え、2度のハットトリックを達成するなど24得点記録した藤本が2年連続の得点王となる。

2018年シーズンは、エース藤本大分トリニータに移籍したためその埋めがテーマとなっていた。三浦監督は、特定のFWに依存するのではなく、ボール保持率を高める組織的な戦い方で着実に勝ち点を積み上げ、FC琉球と首位争いを繰り広げていく。J3優勝琉球に持っていかれてしまうが、第33節で昇格を争う4位・アスルクラロ沼津との直接対決勝利2位が確定。J3昇格から3年で初のJ2リーグ昇格を決めるシーズン終了後、三浦泰年監督の退任が発表される。

厚かったJ2の壁

初のJ2参戦となった2019年、新監督に前年FC琉球J3優勝に導いた金鍾成を招聘。ホームでの開幕戦で徳島ヴォルティス相手に勝利したものの、その後に連敗が重なり降格圏まで転落。シーズン中に3度の5連敗を喫するなど、J2の洗礼を浴びてしまう。終盤戦に入ると栃木SCと残る残留の椅子1つを争う形になるが、残留圏ギリギリの20位で迎えた最終節で栃木に逆転されてしまい、21位に転落。わずか1年でのJ3降格が決定する。

再びJ3へ

再びJ3へ戦いの場を移した2020年、戦力の入れ替えがあったことから安定しない戦いぶりとなるが、チームがかたまってきた後半戦に上位へ迫るようになり、第30節から最終節までの5連勝で9位から4位にまで浮上。しかし、2位SC相模原には勝ち点あと3が足りず、1年でのJ2復帰を逃す。

2021年横浜F・マリノスヘッドコーチアーサーパパス監督に就任するが、開幕から出遅れたうえに5月パパス監督庭の事情を理由に突如退任してしまう。後任に上野展裕が就任するが、上位争いに食い込めないままい段階で昇格レースから脱落。7位でシーズンを終える。

2022年元日本代表の大嶽直人が監督に就任。序盤から上位グループの中に入り、最終的に松本山雅FCSC相模原との三つ2位の座を争う混戦となる。だが、枝に勝ち点1及ばず、3位でシーズンを終え、3年連続でJ2昇格を逃す。

2023年も大嶽監督が続投。序盤こそ躓いたものの着実にを重ね、愛媛FCカターレ富山と昇格争いを繰り広げる。6月に新スタジアムの計画が至っていないことからJ2ライセンスが交付されない可性が浮上する。不安が選手にも広まったのか、場になって失速。8月に3連敗を喫したことで危機感を強めたフロントは大嶽監督の解任を決断し、ヘッドコーチ大島康明が監督に昇格する。この監督交代劇によってチームは復調し、懸念材料だったライセンス問題も9月に条件付きでJ1ライセンスが交付される。終盤戦は混戦となった2位争いを繰り広げることとなるが、ライバルたちが次々と脱落する中で2位の座を死守。3位富山と最後の椅子を争う形となった最終節でガイナーレ鳥取引き分けたことで2位が確定。5年ぶりのJ2リーグ昇格が決定する。

やっぱり厚かったJ2の壁

2度J2リーグ挑戦となった2024年はまずまずのスタートを切ったが、第5節から第17節まで1勝4分8敗と大きく低迷し、降格圏の18位にまで沈む。ここでクラブ大島監督解任に踏み切り、後任に浅野哲也が就任。監督交代直後は第18節から21節まで2勝2分と調子を上げ、降格圏から脱出したものの、第23節の山口戦に敗れて18位に逆戻り。その後は第25節から8連敗を経験するなど一度も降格圏から脱出できないまま、第36節で長崎に1-4で大敗。残り3試合を残し、2019年と同様に1年でJ3に降格することが決定。

主なタイトル

個人タイトル

現在の所属選手

背番号 Pos. 選手名 生年 加入年 前所属 備考
- 監督 浅野哲也 1967.2.23 2024 WYVERN U22 コーチ
1 GK 1999.7.2 2023 大阪体育大学
3 DF 外山 1994.7.29 2024 徳島ヴォルティス 【レ】
4 DF 広瀬健太(C) 1992.6.26 2022 AC長野パルセイロ
5 DF 1990.9.5 2024 清水エスパルス 【レ】
6 MF 渡邊 1999.11.3 2022 大阪体育大学
7 MF 千布一輝 1995.7.15 2023 テゲバジャーロ宮崎
8 MF 藤村慶太 1993.9.2 2024 ツエーゲン金沢
9 FW 有田 1991.9.23 2022 ヴァンフォーレ甲府
10 FW 藤本 1989.8.19 2023 ヴィッセル神戸
11 MF 五領 1989.12.13 2015 ロアッソ熊本
13 GK 松山健太 1998.11.15 2023 いわてグルージャ盛岡
14 MF 野嶽寛也 2000.12.3 2019 鹿児島ユナイテッドFC U-18 【H】
15 MF 二昭 2001.4.16 2023 東海学園大学 【卒】
16 DF 河野 1994.12.24 2024 ファジアーノ岡山 【レ】
17 MF 広大 1992.7.27 2022 SC相模原
18 FW 福田望久斗 2000.2.20 2022 東海学園大学
19 MF 稲葉修士 1993.6.29 2024 FC町田ゼルビア 【レ】
20 MF 将良 1999.10.26 2022 横浜大学
21 MF 田中 2000.9.23 2024 モンテディオ山形
23 DF 岡本 2000.4.7 2022 アルビレックス新潟 【レ】
24 MF 永井颯太 1999.8.15 2024 東京ヴェルディ 【レ】
25 FW 端戸仁 1990.5.31 2022 東京ヴェルディ
26 DF 川島功奨 2000.4.7 2024 関西大学(在学中) 【特】
27 MF 山口卓己 2000.7.21 2023 鹿屋体育大学
28 DF 戸根一誓 1996.5.2 2023 いわてグルージャ盛岡
30 MF 木村 1987.10.5 2022 水戸ホーリーホック
31 GK 大野哲煥 1993.10.25 2024 FC岐阜
32 FW 沼田駿 1999.4.19 2024 FC町田ゼルビア 【レ】
34 FW 鈴木将太 1993.4.3 2023 いわきFC
35 MF 中原秀人 1990.10.29 2017 ギラヴァンツ北九州
36 MF 米澤 1996.7.20 2019 セレッソ大阪
38 FW 有田 1999.8.28 2024 モンテディオ山形 【レ】
46 MF 2004.10.15 2023 鹿児島ユナイテッドFC U-18 【昇】【H】
92 FW ンドカ・チャールス 1998.8.8 2024 FC岐阜

※備考欄は【】=全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手

過去に所属した主な選手

歴代監督

監督 在任期間 備考
大久保 2014年
浅野哲也 2015年~2016年 J3昇格(2015年)
三浦泰年 2017年~2018年 J2昇格(2018年)
金鍾成 2019年~2020年 J3降格(2019年)
アーサーパパス 2021年~2021年5月
大島康明 2021年5月~7月 暫定監督
上野展裕 2021年7月~12月
大嶽直人 2022年~2023年8月
大島康明 2023年8月~2024年5月 J2昇格(2023年)
浅野哲也 2024年5月 J3降格(2024年)

関連動画


統合前の両者が相まみえた最後の大舞台

関連項目

関連リンク

この記事を編集する
関連記事

親記事

子記事

  • なし

兄弟記事

流行語100

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/12/02(月) 12:00

ほめられた記事

最終更新:2024/12/02(月) 12:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP