鹿児島ユナイテッドFCとは、鹿児島県鹿児島市を本拠地とするJリーグ所属のサッカーチームである。
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ヴォルカ鹿児島とFC KAGOSHIMAの両クラブがJリーグ入会に向けて統合し、2014年に誕生。2016年のJ3昇格時にJリーグに加盟。2019年にはJ2リーグ昇格を果たしている。チーム名は、本土、離島、県外、世界中の鹿児島にゆかりのある人たちの鹿児島愛をひとつにし、それらを鹿児島のチカラに変えられる存在になることを意味し名付けられた。クラブマスコットは、薩摩犬をモチーフにした「ゆないくー」。
ホームスタジアムは白波スタジアム(鹿児島県立鴨池陸上競技場)。略称は「白スタ」。かつては横浜フリューゲルス、ジュビロ磐田、京都パープルサンガなどがホーム開催として定期的に使用していた。
鹿児島県は元々サッカーの盛んな土地柄であった。とりわけ、平成以降は鹿児島実業高等学校を中心に高校サッカーで度々上位に進出。前園真聖、城彰二、遠藤保仁、松井大輔といった日本代表でも活躍した選手を数多く輩出してきた。"鹿実"出身者以外でも優秀な選手は多く、「大迫半端ないって」でも知られた大迫勇也(鹿児島城西高校出身)をはじめ、幾多のプロサッカー選手を輩出してきたのが鹿児島の地である。
そんなサッカー熱の高い場所にようやく誕生した、全国区で戦うクラブが鹿児島ユナイテッドFCである。
元を辿れば、1959年に誕生した『鹿児島サッカー教員団』が前身となるクラブ。教員クラブが母体となる例は珍しくなく、Jリーグの先輩で言えば栃木SCやガイナーレ鳥取が同じく教員クラブが前身になっているし、JFLの同期生となるレノファ山口FCも教員クラブが前身である。鹿児島サッカー教員団は、九州サッカーリーグが産声を上げた1973年から皆勤賞、1974年と1986年には優勝もしている、由緒正しいチームでもあった。
1993年、Jリーグが誕生してJリーグバブルが巻き起こると、日本各地の実業団チームは次々と模様替えしてJリーグを目指すようになっていった。鹿児島では横浜フリューゲルスが特別活動地域の一部として指定(1995年まで)していたが、当時の鹿児島は高校サッカーで黄金時代を築いていた。1993年から4年連続でベスト8以上、1995年には優勝を経験するなど絶頂期だった鹿児島にも全国規模のクラブチームを、という声があがるのは自然な流れだっただろう。
こうして、長らく鹿児島の社会人サッカーを引っ張ってきた鹿児島サッカー教員団はクラブチームへと移行。1996年から『ヴォルカ鹿児島』と名乗るようになる。チーム名はフランス語で「火山」を意味する「volcan」が由来。この火山は、言うまでもなく桜島のことであった。ところが、Jリーグバブルはほどなくして崩壊。奇しくも、鹿児島を活動区域にしていたこともある横浜フリューゲルスが消滅するなどして、一時期Jリーグ参加への機運は鹿児島のみならず全国でトーンダウンしつつあった。ヴォルカも名前は変わったが劇的に強くなったわけではなく、今までとあまり変わらず九州リーグが主戦場であった(中~下位だったチームが中~上位になる程度の変化はあったが)。
2002年、日本と韓国の共催でFIFAワールドカップが開催。試合会場やキャンプ地の誘致合戦で再び日本各地でサッカー熱が高まりを見せた時期である。鹿児島の地でもジダン、アンリらを擁する前回覇者・フランスが事前キャンプを張っている(まさかこの時点でフランスが1勝も出来ずに大会を去るとは思っていなかっただろう)。全国でサッカーチームで町おこしを、という流れが生まれつつあったこの頃、「乗るしかない、このビッグウェーブに」と思ったかどうかはともかく、ヴォルカも運営団体を立ち上げて法人化させてチームのプロ化へと転換することを目指した。
が、ここからヴォルカは足踏みを繰り返してしまう。スポンサーが集まらずに負債だけが溜まり、法人化を断念して債務の返済に専念、なんとか体勢を立て直すもまた同じことを繰り返し・・・そうこうしている間に、ホンダロックSC、ロアッソ熊本、FC琉球、ギラヴァンツ北九州、V・ファーレン長崎と他のチームに次々と先を越されて全国リーグへと行かれていってしまったのである。
その頃、鹿児島ではもう一つのチームがコツコツと力を付けつつあった。大隅半島では最大の町にある鹿屋市にある、日本唯一の国立体育大学、鹿屋体育大学。ここのサッカー部の学生が主体となって1994年に作った社会人登録のチーム『鹿屋体育大学クラブ』である。
ここが九州リーグに初昇格を果たした2004年、広く社会人に門戸を開き、将来のJリーグ入りをも念頭に置きつつ強化を図ろうと、チームの名前も『大隅NIFSユナイテッドFC』と変え、且つ、一クラブとして鹿屋体育大学サッカー部から独立していった。チーム名の「NIFS」は「体育大学」を英訳した時の単語の頭文字を取ったものである(National Institute of Fitness and Sports)。とはいえ、こちらもそれだけですぐに強くなったわけではなく、しばらくは鹿児島県リーグ1部と九州リーグを往復するようなエレベータークラブ状態であった。
状況が変わり始めたのは2009年。この年、東京在住の鹿児島出身者たちが「スポーツの力で地元を元気にしよう」と運営会社を設立。一からチームを作るのではなく、既存のチームを譲渡してもらう形でJリーグを目指した活動を始める。ヴォルカにも話を持っていったとのことだが、どうもうまくいかなかったようで白羽の矢が立ったのが大隅NIFSユナイテッドFCであった。この過程で鹿児島では名門クラブユースチームでもある『アミーゴス鹿児島』とも連携を取る形で、鹿児島に全国区のリーグ≒Jリーグを目指す2つ目のチーム『FC KAGOSHIMA』が誕生した(※以下「FC鹿児島」及び「FC」表記)。
2010年に鹿児島県リーグを全勝で制し、九州リーグへの昇格決定戦も勝ち抜いたFC鹿児島は2011年から満を持して九州リーグに復帰。ここで本格的にJリーグを目指すことを掲げ、同じ鹿児島に居を構える2つのクラブが相まみえることとなった。
なお、チームが譲渡されたその裏側で、所属選手の内、鹿屋体育大学サッカー部出身の選手が一斉に退団した。また、同年、チーム発足当初の鹿屋体大の選手を中心とする形でのチーム『大隅NIFS FC』が誕生し、鹿児島県リーグ最下位カテゴリから活動を始めた。このクラブはU-15とU-12の育成組織のチームを持つようになり、更には2013年、『大隅NIFS. 2nd』というセカンドチームも誕生させた。
しかし、2014年、トップチームとセカンドチームは大隅NIFS FCから切り離されて鹿屋体育大学サッカー部に譲渡され、それぞれ『NIFS KANOYA FC』と『NIFS KANOYA FC 2nd』に改称し、同サッカー部のサテライトチームへと転換していった。
この内、NIFS KANOYA FCは2015年の鹿児島県リーグ1部と九州各県リーグ決勝大会を制し、2016年から九州リーグに参入する。参入初年度は危なげながら7位と残留を果たし、カテゴリ上は鹿児島ユナイテッドFCに続く鹿児島県内で2番目の位に位置するチームとなった。
2011年シーズンはFCの方が好調で、直接対決でも2戦2勝(うち1勝はPK戦)でヴォルカを順位で上回る・・・が、HOYO AC ELAN 大分(現:ヴェルスパ大分)に2戦2敗(うち1敗はPK戦)。ヴォルカもHOYOには1勝1敗と引きずりおろすことが出来ずに、この年は両チームともに九州リーグ残留が決定。おまけに、HOYOはJFL昇格を決め、またしても鹿児島のチームが先を越されてしまうという結果になってしまった。
HOYOの抜けた2012年シーズン、両チームの直接対決は1勝1敗の五分であった。が、下位チームに取りこぼしがあったヴォルカの上を、今年もFCが行くという結果になった。FCはJFL昇格を懸けて全国地域サッカーリーグ決勝大会に初挑戦するが、グループリーグでファジアーノ岡山ネクストとS.C.相模原に屈し、この年も九州リーグ残留に終わる。
Jリーグを目指すという目的が同じチームが並び立つ状況は、地域内のスポンサーであったり、最大の懸念であった鹿児島に1つしかないJリーグの規格を満たすスタジアムの使用権という限られたパイの奪い合いという事態を招きかねなかった。見るに見かねたか、双方の間を取り持つ団体が立ってチームの統合を呼び掛けたものの交渉は物別れに終わってしまう。だが、こんな状況にもタイムリミットが迫りつつあった。
2013年に翌年からのJ3発足が発表され、JFLも含めて全国カテゴリーのリーグを取り巻く状況が大きく変わる中で、2つのチームが並び立ったままであることを許せる時間的猶予はもう無かったのだろう。再びヴォルカとFCとの間で統合の話し合いが進められ、ついに正式にチームの統合が発表された、8月のことである。この年の九州リーグではFCの方が取りこぼしが多く、最終節の直接対決を待たずにヴォルカがこのチーム名としては最初で最後の九州リーグ優勝を決めた。直接対決は1勝1敗。この年はヴォルカとFCが共に全国地域サッカーリーグ決勝大会(地決)へと進出し、仲良くグループリーグを勝ち抜いて決勝ラウンド進出。迎えた最後の直接対決はヴォルカが制したものの、最終順位ではFCが3位、ヴォルカが4位という、どこまでも真っ向からぶつかり合った両チームであった。
統合後のチームという扱いでJFLの入会審査を通過し、2014年からの新生JFLに参戦が決まった新チームは、年末に新チーム名である『鹿児島ユナイテッドFC』を発表。トップチームがJFLに、そしてセカンドチームを九州リーグへ参戦させることが決定している。
ちなみに、セカンドチームがいきなり九州リーグに参戦できているのは、ヴォルカ鹿児島のチーム登録番号を継承しているためである(※九州リーグへの新規参入は九州各県リーグ決勝大会を勝ち抜かないとできないため。特例での新規参入は認められていない)。一方、トップチームはFC鹿児島のチーム登録番号を継承している。これは、前述した地決で自動昇格圏内(3位以内)に入ったのがFC鹿児島のみであり、ヴォルカ鹿児島は九州リーグに残留という形となったからだ。その為、JFL公式により「FC KAGOSHIMAから名称変更」とアナウンスされている。故にそういう意味では、あくまで合併したのはクラブ同士であり、各々が保有していたトップチーム同士の合併はされず、それぞれトップチーム(←旧:FC鹿児島トップチーム)・セカンドチーム(←旧:ヴォルカ鹿児島トップチーム)へと転換されていった。
但し、トップチームとセカンドチーム、共に前身チームから継承したのはチーム登録番号のみで、記録(リーグ優勝や天皇杯出場の回数など)は引き継がれていなかった。余談だが、FC鹿児島は大隅NIFSユナイテッドFCからチームを継承した際は、鹿屋体育大学クラブ時代の天皇杯出場回数記録(1回)を引き継がなかった。他のクラブにも言えるのだが、少しは保有チームの歴史ぐらい大事にしてほしいところである。
ところで、統合に際しては長きにわたってすったもんだがあった。先発組のヴォルカは法人の立ち上げに手間取り続けたし、後発のFCも土壇場の2013年になって所属選手が監督・クラブを公然と批判するコメントを残してシーズン中に移籍をするなど問題を抱えていないわけではない。双方の熱心なサポーターの間にはしこりが残っていることもブログなどからは見受けられる。とはいえ、「ユナイテッド」という「団結」を意味する単語がチーム名になった今、雨降って地固まるとなるかどうか、新生「鹿児島ユナイテッドFC」の行方が注目されるところである。・・・チーム名がありきたりだと一部で言われていたりか、決める時間(公募をかける時間)が無かったことを半ば公言していたりということはとりあえず気にしない方がいいと思う。
その後、愛称が公募され、愛称は「よかにせイレブン」となった。よかにせとは鹿児島弁でイケメンという意味である。松木さん、決していい店とかそういう意味じゃありませんからね!
2014年、初のJFL。先輩であったヴェルスパ大分に1-0で勝利しJFL初勝利を挙げると、ホーム開幕戦となったJFLの大先輩である横河武蔵野FC戦ではJFLとしては出色の3500人を超える観衆の前で4-0と勝利し、JFL昇格1年目の開幕2試合としては上々の滑り出しを見せた。
その後、1stステージではHonda FCと勝ち点で並びながら得失点差で+7と差を付けられたためにいきなりのステージ制覇とはならなかったものの、自力昇格が出来るほどの実力があることを全国へ示すこととなる。2ndステージでは制覇した佐川印刷京都SC、年間成績4位でJ3昇格を果たすレノファ山口FCの前に屈して2位となり、通算成績3位(通算勝ち点では2位)で2014年シーズンを終えた。なお、同シーズンでは遂にJリーグ百年構想クラブとして承認され、後は年間成績4位以内とホーム戦平均観客動員数2000人以上、そしてJ3ライセンス取得の3つを満たすことが課題となった。
2015年、1stステージは開幕から4勝3分と負けなしだったが、8節でアスルクラロ沼津に負けると次第にステージ優勝争いから遠ざかるようになる。そして最終節前であるホーム戦の14節・Honda戦で0-3と敗戦。またヴァンラーレ八戸FCが同節で首位浮上し、おまけに勝ち点差4と開いてしまったこともあり万事休す、2ndステージに切り替えていくことになる。
2ndステージでは開幕で沼津に3-2と雪辱を果たすなど3勝1分となるが、5節でファジアーノ岡山ネクストに競り負け早くもステージ制覇に黄色信号が点灯し、やがて制覇の可能性が消滅した為、年間通算成績4位以内に掛けるしかなくなった。一方、9月にはJ3ライセンス取得となる。この時1stステージ覇者の八戸がJ3ライセンス取得に失敗した結果、規定により同年のJ3昇格枠が1チームのみとなった。取得時点では鹿児島がトップだったことも有り、あとは勝ち点を重ねて他のライセンス持ちを引き離すだけだったが、少々モタモタしたこともあって終盤まで沼津に勝ち点差を5までに縮められていた。そして最終節前である運命の14節、鹿児島が奈良クラブに引き分けて勝ち点を積み重ね、沼津が岡山ネクストに負けて年間勝ち点で鹿児島を上回る可能性が消滅した為、鹿児島の年間通算成績4位以内が確定した。最終節ではFCマルヤス岡崎に3-1と快勝し、自らJ3昇格に華を添えた。
2015年11月17日、Jリーグ臨時理事会。この日を以って、鹿児島のJ3昇格が正式決定した。クラブ代表である徳重剛は、吉報を受け取った後、関係者と握手しつつ、込み上げてきた感情を抑えきれず男泣きするのであった。
2016年、J3参入初年度。このシーズンは熊本大地震が起きた影響もあり、5節の延期が決定するなどコンディション調整が影響されたが、7節から8試合連続負け無し、12節から首位に経つなど、前シーズンにて他のチームを震え上がらせた「山口旋風」の再現が期待されたものの、早くも14節にて首位から陥落するとそのまま首位に立つことはなかった。
それでも終盤まで昇格争いに絡むなど、山口に続いてJFLをギリギリで突破してきても十分、J2昇格を自力で目指せることを証明した。が、最終的には失速し、16チーム中5位でシーズンを終えた。また、15得点を記録した藤本憲明が得点王を獲得。
一方でホームスタジアムである鴨池競技場が2020年の鹿児島国体に向けて改修することが災いし、J2ライセンス不交付となった。こういうこともあり、サポーターを中心に、チームが優先的に使えるサッカー専用スタジアムの建設を実現させるための運動も起こるようになった。
トップチームが躍進する一方、引き続き九州リーグ残留となったセカンドチームは1年目を10チーム中3位で終えるものの、中々人材が集まらないこともあってか、2年目は10チーム中8位と急激に成績を落とし、3年目は10チーム中最下位と、旧:ヴォルカ鹿児島トップチーム時代から続く九州リーグオリジナル7としての長い歴史の中で、初めて自動降格圏に落ちてしまった。ただ、このシーズンは熊本大地震の影響もあって、自動降格チームは無し、代わりに最下位は九州各県リーグ決勝大会2位のチームと入替戦を行うこととなったため、辛うじて九州リーグ残留の芽は残された。
しかし、年を跨ぐまであと4日と迫った頃、急遽クラブ公式からこのようなリリースが上がった。
この度、鹿児島ユナイテッドFCは九州リーグにて活動する社会人チーム「セカンド」の活動を終了することとし、九州サッカーリーグ連盟に退会届を提出いたしました。
これに伴い、2017年1月に予定しておりました、九州各県リーグ決勝大会2位チームとの入れ替え戦は辞退いたします。
鹿児島ユナイテッドFC公式サイト
『鹿児島ユナイテッドFCセカンド 活動終了のお知らせ』より
当のクラブは「今後、鹿児島ユナイテッドFCがJ2そしてJ1を目指すにはどのような強化・育成の体制をとるのが最善であるかを考えていった結果」を理由としているものの、この年はJFL所属であるファジアーノ岡山のセカンドチーム『ファジアーノ岡山ネクスト』も解散となった為、「他のクラブの例に漏れず資金的な余裕を持ち合わせない地方クラブがセカンドチームを運営すること自体苦しかったのが第一の原因では?」との観方も強くされていた。
とはいえ、セカンドチームとしての意地と観るべきか、最初で最後ではあるが漸く、トップチーム昇格を成し遂げた選手を1名輩出することに成功した。何だかんだで役割はきっちり果たしていることを証明したセカンドチームは、鹿児島サッカー教員団時代から刻まれてきた58年の歴史に、静かに幕を下ろしたのだった・・・。
2017年より三浦知良の兄としても知られる三浦泰年が監督に就任。この年もエースである藤本がゴールを量産、上位争いに加わる。9月にはJ2ライセンスが交付されたことでJ2リーグへの昇格が可能となる。しかし、終盤戦に入って勢いを落としてしまい、この年の昇格はならず。それでも前年を上回る4位でシーズンを終え、2度のハットトリックを達成するなど24得点を記録した藤本が2年連続の得点王となる。
2018年シーズンは、エースの藤本が大分トリニータに移籍したためその穴埋めがテーマとなっていた。三浦監督は、特定のFWに依存するのではなく、ボール保持率を高める組織的な戦い方で着実に勝ち点を積み上げ、FC琉球と首位争いを繰り広げていく。J3優勝は琉球に持っていかれてしまうが、第33節で昇格を争う4位・アスルクラロ沼津との直接対決に勝利し2位が確定。J3昇格から3年目で初のJ2リーグ昇格を決める。シーズン終了後、三浦泰年監督の退任が発表される。
初のJ2参戦となった2019年、新監督に前年FC琉球をJ3優勝に導いた金鍾成を招聘。ホームでの開幕戦で徳島ヴォルティス相手に勝利したものの、その後に連敗が重なり降格圏まで転落。シーズン中に3度の5連敗を喫するなど、J2の洗礼を浴びてしまう。終盤戦に入ると栃木SCと残る残留の椅子1つを争う形になるが、残留圏ギリギリの20位で迎えた最終節で栃木に逆転されてしまい、21位に転落。わずか1年でのJ3降格が決定する。
再びJ3へ戦いの場を移した2020年、戦力の入れ替えがあったことから安定しない戦いぶりとなるが、チームがかたまってきた後半戦に上位へ迫るようになり、第30節から最終節までの5連勝で9位から4位にまで浮上。しかし、2位SC相模原には勝ち点あと3が足りず、1年でのJ2復帰を逃す。
2021年、横浜F・マリノスヘッドコーチのアーサー・パパスが監督に就任するが、開幕から出遅れたうえに5月にパパス監督が家庭の事情を理由に突如退任してしまう。後任に上野展裕が就任するが、上位争いに食い込めないまま早い段階で昇格レースから脱落。7位でシーズンを終える。
2022年に元日本代表の大嶽直人が監督に就任。序盤から上位グループの中に入り、最終的に松本山雅FC、SC相模原との三つ巴で2位の座を争う混戦となる。だが、藤枝に勝ち点1及ばず、3位でシーズンを終え、3年連続でJ2昇格を逃す。
2023年も大嶽監督が続投。序盤こそ躓いたものの着実に白星を重ね、愛媛FC、カターレ富山と昇格争いを繰り広げる。6月に新スタジアムの計画が至っていないことからJ2ライセンスが交付されない可能性が浮上する。不安が選手にも広まったのか、夏場になって失速。8月に3連敗を喫したことで危機感を強めたフロントは大嶽監督の解任を決断し、ヘッドコーチの大島康明が監督に昇格する。この監督交代劇によってチームは復調し、懸念材料だったライセンス問題も9月に条件付きでJ1ライセンスが交付される。終盤戦は混戦となった2位争いを繰り広げることとなるが、ライバルたちが次々と脱落する中で2位の座を死守。3位富山と最後の椅子を争う形となった最終節でガイナーレ鳥取と引き分けたことで2位が確定。5年ぶりのJ2リーグ昇格が決定する。
2度目のJ2リーグ挑戦となった2024年はまずまずのスタートを切ったが、第5節から第17節まで1勝4分8敗と大きく低迷し、降格圏の18位にまで沈む。ここでクラブは大島監督解任に踏み切り、後任に浅野哲也が就任。監督交代直後は第18節から21節まで2勝2分と調子を上げ、降格圏から脱出したものの、第23節の山口戦に敗れて18位に逆戻り。その後は第25節から8連敗を経験するなど一度も降格圏から脱出できないまま、第36節で長崎に1-4で大敗。残り3試合を残し、2019年と同様に1年でJ3に降格することが決定。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 | 備考 |
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- | 監督 | 浅野哲也 | 1967.2.23 | 2024 | WYVERN U22 コーチ | ||
1 | GK | 泉森涼太 | 1999.7.2 | 2023 | 大阪体育大学 | ||
3 | DF | 外山凌 | 1994.7.29 | 2024 | 徳島ヴォルティス | 【レ】 |
|
4 | DF | 広瀬健太(C) | 1992.6.26 | 2022 | AC長野パルセイロ | ||
5 | DF | 井林章 | 1990.9.5 | 2024 | 清水エスパルス | 【レ】 |
|
6 | MF | 渡邊英祐 | 1999.11.3 | 2022 | 大阪体育大学 | ||
7 | MF | 千布一輝 | 1995.7.15 | 2023 | テゲバジャーロ宮崎 | ||
8 | MF | 藤村慶太 | 1993.9.2 | 2024 | ツエーゲン金沢 | 【完】 |
|
9 | FW | 有田光希 | 1991.9.23 | 2022 | ヴァンフォーレ甲府 | ||
10 | FW | 藤本憲明 | 1989.8.19 | 2023 | ヴィッセル神戸 | ||
11 | MF | 五領淳樹 | 1989.12.13 | 2015 | ロアッソ熊本 | ||
13 | GK | 松山健太 | 1998.11.15 | 2023 | いわてグルージャ盛岡 | ||
14 | MF | 野嶽寛也 | 2000.12.3 | 2019 | 鹿児島ユナイテッドFC U-18 | 【H】 |
|
15 | MF | 井堀二昭 | 2001.4.16 | 2023 | 東海学園大学 | 【卒】 |
|
16 | DF | 河野諒祐 | 1994.12.24 | 2024 | ファジアーノ岡山 | 【レ】 | |
17 | MF | 星広大 | 1992.7.27 | 2022 | SC相模原 | ||
18 | FW | 福田望久斗 | 2000.2.20 | 2022 | 東海学園大学 | ||
19 | MF | 稲葉修士 | 1993.6.29 | 2024 | FC町田ゼルビア | 【レ】 | |
20 | MF | 圓藤将良 | 1999.10.26 | 2022 | 桐蔭横浜大学 | ||
21 | MF | 田中渉 | 2000.9.23 | 2024 | モンテディオ山形 | 【完】 |
|
23 | DF | 岡本將成 | 2000.4.7 | 2022 | アルビレックス新潟 | 【レ】 | |
24 | MF | 永井颯太 | 1999.8.15 | 2024 | 東京ヴェルディ | 【レ】 | |
25 | FW | 端戸仁 | 1990.5.31 | 2022 | 東京ヴェルディ | ||
26 | DF | 川島功奨 | 2000.4.7 | 2024 | 関西大学(在学中) | 【特】 | |
27 | MF | 山口卓己 | 2000.7.21 | 2023 | 鹿屋体育大学 | ||
28 | DF | 戸根一誓 | 1996.5.2 | 2023 | いわてグルージャ盛岡 | ||
30 | MF | 木村祐志 | 1987.10.5 | 2022 | 水戸ホーリーホック | ||
31 | GK | 大野哲煥 | 1993.10.25 | 2024 | FC岐阜 | 【完】 |
|
32 | FW | 沼田駿也 | 1999.4.19 | 2024 | FC町田ゼルビア | 【レ】 | |
34 | FW | 鈴木将太 | 1993.4.3 | 2023 | いわきFC | ||
35 | MF | 中原秀人 | 1990.10.29 | 2017 | ギラヴァンツ北九州 | ||
36 | MF | 米澤令衣 | 1996.7.20 | 2019 | セレッソ大阪 | ||
38 | FW | 有田稜 | 1999.8.28 | 2024 | モンテディオ山形 | 【レ】 | |
46 | MF | 武星弥 | 2004.10.15 | 2023 | 鹿児島ユナイテッドFC U-18 | 【昇】【H】 |
|
92 | FW | ンドカ・チャールス | 1998.8.8 | 2024 | FC岐阜 | 【完】 |
※備考欄は【完】=完全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別指定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手
国籍 | 監督名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
大久保毅 | 2014年 | ||
浅野哲也 | 2015年~2016年 | J3昇格(2015年) | |
三浦泰年 | 2017年~2018年 | J2昇格(2018年) | |
金鍾成 | 2019年~2020年 | J3降格(2019年) | |
アーサー・パパス | 2021年~2021年5月 | ||
大島康明 | 2021年5月~7月 | 暫定監督 | |
上野展裕 | 2021年7月~12月 | ||
大嶽直人 | 2022年~2023年8月 | ||
大島康明 | 2023年8月~2024年5月 | J2昇格(2023年) | |
浅野哲也 | 2024年5月~ | J3降格(2024年) |
統合前の両者が相まみえた最後の大舞台。
掲示板
6 ななしのよっしん
2019/08/10(土) 08:01:58 ID: CoqFtbC94K
ようやく背の高い選手補強したなあ。
いくらなんでも低すぎると思ってたからね。CB二人とも180無いし。セットプレーはいつも二ウドが少し頑張って終わりだったからCK獲得しても全然点取れる気しなかったけどこれで少しは改善されるかな。
7 ななしのよっしん
2019/09/28(土) 17:59:52 ID: QPEhoT3joT
おめでとう
2020シーズンJ1クラブライセンス交付決定について
http://w
8 ななしのよっしん
2023/12/02(土) 18:43:55 ID: R0RIPaisYe
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/02(月) 12:00
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