世界一スケートの上手い芸人であり、その特技を活かし偉業を成した。
本名:エフゲニー・ヴィクトロヴィチ・プルシェンコ
愛称:ジェーニャ
元サンクトペテルブルク市立法議会議員であり
ロシア連邦軍陸軍大尉(名誉職)であり
フィギュアスケート選手(地球職)である
オリンピックの金メダル2回(トリノ個人、ソチ団体)銀メダル2回(ソルトレイクシティ、バンクーバー)。世界選手権優勝3回、欧州選手権優勝7回、GPファイナル優勝4回。ロシア選手権では出場した大会10回連続優勝。GPシリーズロシア杯8連続優勝。
貧しい家で育ったジェーニャことエフゲニーは、4歳のときに虚弱だった身体を鍛えるためにフィギュアスケートとロシア民族舞踊を習い始める。両方で才能を発揮するが、ジェーニャはフィギュアスケートを選び、11歳のときに現在までのコーチアレクセイ・ミーシンに拾われ故郷ヴォルゴグラードからサンクトペテルブルグへ移住。ジュニア選手権で頭角を表し賞金を獲得するようになると一家の家計を支えるようになり、16歳のときにマンションを買い家族をサンクトペテルブルグへ呼ぶ。
当初はいかにも貧弱だったジェーニャだがめきめきと頭角を表し、ミーシンの一番のお気に入りとなる。これが後に、同じくミーシンの下で指導を受けていたヤグディンとの確執の一因になったと言われる。
1997/1998シーズンからシニアクラスに参戦すると好成績を伸ばし、2000/2001シーズンには無敗で世界選手権初優勝まで躍進。翌シーズンのソルトレイクシティ五輪での金メダルを期待されるが、ミーシンの下を離れタラソワコーチに付いたヤグディンにGPファイナルで敗れると五輪でも4回転で転倒、銀メダルに終わる。
ヤグディンが引退するとジェーニャにライバルはいなくなり、2003年、2004年の世界選手権を連覇。ただソルトレィクシティ五輪以降のジェーニャは故障に悩まされるようになり、この時期から手術を繰り返すようになる。
トリノオリンピックでは体調は万全ではなかったがSP,FSともに2位以下に大差をつけて優勝。念願の金メダルを得る。
2006~2008年は競技に参加せず主にアイスショーで活動。政治家をやっていたのもこの時期。ただし競技復帰は2007年から考えており、手術と治療を繰り返していた。2009-2010シーズンには当初の目標通り競技に復帰。ロシア選手権、欧州選手権に優勝し健在をアピールするが、バンクーバー五輪ではSPで首位に立つもののFSで逆転を許し銀メダル。ジェーニャは4回転の評価が低かった当時のルールを非難した。
2010年6月にアイスショーの出演手続きを巡ってアマチュア資格を停止されるも、2011年6月に回復。ただ故障のためGPシリーズには参加せずにロシア選手権、欧州選手権のみ出場。両方優勝。
2012-2013シーズンはロシア選手権では優勝するが続く欧州選手権の練習中に転倒し背中を強打、SPで6位に沈むと棄権し、すぐに人工椎間板手術を受ける。
2013-2014シーズンはボルボオープンで優勝すると、ロシア選手権ではまさかの2位に沈み、一時五輪出場を危ぶまれるが、優勝したコフトゥンが欧州選手権で振るわなかったこともあり、テストスケーティングに合格し、代表となる。ソチ五輪ではフィギュアスケート初の団体戦でSP2位、FS1位の好成績。男子シングル最高のポイントを獲得しロシアの団体金に大きく貢献する。
しかし続く個人戦では試合直前に腰を痛め棄権。現役引退を宣言した。
代表作 ※世界選手権 プルシェン子※世界選手権
プルシェンコMAD まさかの本人公認
このとき39度の熱がありました。 心がふるえるプルシェンコ。
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最終更新:2024/04/28(日) 03:00
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