荻野貴司(おぎの たかし、1985年10月21日-)とは、奈良県出身のプロ野球選手(外野手)である。現在は千葉ロッテマリーンズに所属。
| 千葉ロッテマリーンズ #4 | |
|---|---|
| 荻野貴司 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 奈良県高市郡明日香村 |
| 生年月日 | 1985年10月21日 |
| 身長 体重 |
172cm 75kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 外野手、遊撃手 |
| プロ入り | 2009年ドラフト1位 |
| 経歴 | |
|
|
| プロ野球選手テンプレート | |
関西学院大学では1年秋からレギュラーで活躍し、遊撃手としてベストナインを5度受賞。4年次には23年ぶりに盗塁のリーグ記録を塗り替えた。
その後トヨタ自動車に就職し、外野手に転向。2008年には3番打者としてチームの2連覇に貢献。社会人ベストナインを受賞した。
2009年にドラフト1位指名で千葉ロッテマリーンズ。背番号は本人の希望で4になった。
ドラフト指名時点での評価は「1位指名としては物足りない」「単独指名じゃなくて外れでも取れたレベル」といったように各野球関係者及びファンからの評価含めて全体的には低かった。
またドラフト会議当日までマリーンズは菊池雄星(現:埼玉西武ライオンズ)の指名を公言も、当日に西村徳文監督の意向で荻野を指名とあって「逃げた」という声も少なからずあった。
2010年(1年目)は、オープン戦初期も早坂圭介(登録は内野・実際はセンターの他候補だった)と併用され.250打てれば良いレベルとの打撃評価もあって守備走塁のしっかりできる2番打者になんとかなってくれればという見方は相変わらずであった。
オープン戦終盤には(良い意味で)予想外のバッティング成績を残し開幕一軍及び開幕戦では2番センターでスタメン出場。
シーズンに入ってからは開幕前の予想を大きく裏切るマリーンズのスタートダッシュに大きく貢献。
右打者ながらライト前の安打を二塁打に、普通のショートゴロを内野安打に、犠打をセーフティにするファミスタのピノを彷彿させる快速で一気にファンの心を掴むと守備でも要所でのダイビングキャッチを連発。もともと期待されていた守備走塁だけでなく、打撃でも3割を超える打率で開幕1ヶ月を経たずにマリーンズに欠かせない選手となった。
しかし、5月23日に右膝の半月板損傷により登録を抹消。当初想定されていた以上の重症であり、シーズン中に復帰する事無く幕張の風になってしまった。
2011年はミネソタ・ツインズに移籍した西岡剛の穴を埋めるため、怪我を完治させ内野手(遊撃手)に転向。
完全復活なるかと期待されたのだが、5月にまたしても右膝を故障。2回手術することになり、シーズン中に復帰する事無くまたしても幕張の風になってしまった。
以上のように春先にその自慢の脚を見せつけ、初夏を告げる頃に故障してそのまま幕張の風になってしまう事から一説では千葉に球春を告げる妖精ではないかと言われている。
2012年は再び外野手に転向したが、キャンプ前に再び右膝を手術。球春を告げる前に幕張の風になってしまった。シーズン中の復帰を示唆しており目下リハビリ中であったが、6月13日に一軍登録されるとその日の試合に代走で今季初出場・初盗塁も記録している。スライディングの勢いで度々故障してしまう右膝をかばうために、ヘッドスライディングを企画することがよくあった。
2013年の春季キャンプでは最後まで一軍に帯同することができた。なお、フルキャンプができたのはルーキーイヤーの2010年以来である。
腰痛で開幕一軍を逃してしまったものの5月上旬に復帰。相変わらずの快足っぷりを見せつけ、レフトのレギュラーに定着(時々センターに回ることも)。規定打席には到達しなかったものの、出場試合数は初の100越え、盗塁数含めほぼすべてにおいてキャリアハイをたたき出すなど復活の年となった。シーズン終了間際に肉離れを起こし、クライマックスシリーズ出場は絶望的となってしまった。
2014年は5月6日のオリックス・バファローズ戦で初球ランニングホームランを達成。応援歌通りホームまで駆け抜けた。ところが6月22日の中日ドラゴンズ戦で負傷し、幕張の風はそこから帰ってこなかった。
2015年は開幕から1番打者として出場するが、ちょうど春が終わるタイミングの5月31日に肉離れを起こし戦線離脱。しかしこの年の養成は秋に再び幕張へと舞い戻った。9月に一軍復帰すると再び1番として出場。逆転CSへ向け快進撃を続けるチームの起爆剤となった。クライマックスシリーズにも出場(荻野自身はこれが初のCS出場である)するが1st、2ndステージとも不振にあえぎ2ndステージではスタメンから外されることもあった。
2016年 開幕一軍であったが岡田幸文の好調でベンチスタートが多くなる。打率も2割を下回るなど苦しんでるなか、またもや5月31日に負傷。3年連続でマリーンズファンに春の終わりを告げた。が、この年は8月に一軍復帰。8月~9月にかけてチーム内に故障者が続出しているなか奇跡的に生き残っていたが、9月19日に右太腿二頭筋肉離れを起こしまたもや離脱。
・復帰戦に嬉し泣きする女性ファンがいたりと、女性ファンからの人気が高い(荻野ガールと呼ばれるほど)。2015年より球団の女性ファンが投票するイケメンランキングでは2年連続で1位に輝いている。
・ドラフト同期で同い年の清田育宏とはプロ入り前から親交のある親友同士である。だがチームメイトであるものの荻野が一軍の時は清田は不振で二軍、清田が一軍の時は荻野は怪我で離脱、と二人揃って一軍にいることは少ない(二人と同じ外野手なのも理由のひとつである)。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| ロッテ | 応援歌のピコカキコ一覧#796 | 11126 |
(2015年終了時点)
| 年度 | 所属 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2010年 | ロッテ | 46 | 217 | 175 | 29 | 57 | 9 | 2 | 1 | 17 | ※25 | 21 | 3 | 16 | 2 | 24 | 2 | .326 | .383 |
| 2011年 | 23 | 103 | 91 | 14 | 24 | 4 | 0 | 0 | 10 | 14 | 3 | 1 | 7 | 1 | 6 | 1 | .264 | .320 | |
| 2012年 | 61 | 187 | 165 | 18 | 37 | 5 | 0 | 1 | 8 | 13 | 6 | 0 | 11 | 5 | 17 | 0 | .224 | .293 | |
| 2013年 | 102 | 397 | 335 | 52 | 92 | 14 | 3 | 4 | 28 | 26 | 17 | 3 | 32 | 9 | 26 | 4 | .275 | .351 | |
| 2014年 | 40 | 155 | 142 | 26 | 37 | 10 | 2 | 3 | 12 | 15 | 5 | 0 | 8 | 0 | 14 | 1 | .261 | .300 | |
| 2015年 | 82 | 309 | 279 | 42 | 75 | 9 | 2 | 2 | 13 | 18 | 9 | 1 | 16 | 4 | 38 | 5 | .269 | .317 | |
| NPB:5年 | 354 | 1368 | 1187 | 181 | 322 | 51 | 9 | 11 | 48 | 65 | 44 | 5 | 58 | 12 | 99 | 13 | .271 | .332 | |
※チーム1位
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/13(土) 07:00
最終更新:2025/12/13(土) 07:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。