V・ファーレン長崎とは、長崎市、諫早市を中心とした長崎県全域を本拠地とする、Jリーグ加盟のプロサッカークラブである。
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クラブの前身は有明SC。2012年にJリーグに加盟し、J2リーグ参戦初年度でいきなり昇格プレーオフまで進出。2018年には初めてJ1リーグに昇格を果たしている。
チーム名であるV・ファーレンは、「V」はポルトガル語で勝利を意味するVITORIA(ヴィトーリア)とオランダ語で平和を意味するVREDE(フレーデ)の頭文字、「ファーレン」(VAREN)はオランダ語で「航海」を意味している。ちなみにポルトガルとオランダは歴史的に長崎とゆかりのある国である。
チームマスコットは長崎県の県獣に指定されている九州シカ、県鳥のオシドリ、クラブ名の頭文字である「V」を組み合わせたイメージの「ヴィヴィくん」。あざといかわいいということで人気急上昇中。
ホームスタジアは2024年9月22日までトランスコスモススタジアム長崎(長崎県立総合運動公園陸上競技場)で、同年10月6日より長崎スタジアムシティ内のPEACE STADIUM Connected by SoftBankを使用している。
長らく長崎県内の複数の企業が出資していたが、2017年に経営問題が発覚した際にジャパネットたかたの完全子会社となっている。
前身である有明SCは後述の合併前当時、長崎県南高来郡有明町(現:島原市)を本拠地としていた、長崎県リーグ1部所属のクラブチームであった。
後に、県内にJリーグチームを作るべく模索していた長崎県サッカー協会より、同郡国見町(現:雲仙市)を本拠地としていた国見高校サッカー部のOBチームであった県リーグ2部の国見FCとの統合を要請される。
両チームは要請を引き受け、形としては有明SCが国見FCを吸収する形となり、チーム名も「有明SC」のままとなる(※以上、長崎新聞より。)。
その後2004年の県リーグ1部を無敗で優勝し、九州リーグ昇格をかけた九州各県リーグ決勝大会では決勝でFC琉球に大敗したものの、その年の昇格枠は2つまでだったため、準優勝で九州リーグに昇格した。
九州リーグ昇格後、本格的なJリーグ参入に向けた活動を進めるため、チームの本拠地をホームスタジアムがある諫早市に移転、並びにチーム名称を現在のものに改称した。
2006年6月に運営会社を設立。初代の社長には元国見高校監督として知られる小嶺忠敏が就任。
九州リーグ時代はJFL昇格までの道のりは短いながらも険しいもので、参戦1年目はロアッソ熊本やFC琉球が圧倒的な力を見せ付けて上位を占め、続いて2年目はリーグ初優勝を遂げ、このままJFL昇格できるかと思いきや決勝大会予選ラウンドで敗退し、3年目はギラヴァンツ北九州とホンダロックSCに逆転されて出場枠を確保できなかった。
Jリーグを目指すチームとして良い補強をすれば必ずしも良い結果ばかりが付いてくるわけではないことを学んだクラブではあるが、リーグ4年目辺りからフロント側が「このままの状態だとクラブは解散してしまうかも」との弱音を吐いてしまったとかしていないとか。
しかし、ついに4年目で、悲願のJFL昇格を果たすこととなり、その後、Jリーグ準加盟が承認され、これで後は残りの必要条件を全て揃えばJ2リーグに参入することになる。
JFL参戦1年目、全国リーグの壁に苦戦しながらも最終的には中堅クラスの11位となって残留。とはいえ、2度の監督退任劇を始め、色々とゴタゴタはあり、チーム内は不調和音であった。
特に、後期第13節のMIOびわこ滋賀戦後、当時監督を代行していた岩本文昭は、不甲斐無い選手たちに…
おまえら悔しくないのか?
きょうのMIOだって、(2節前の)ソニー仙台だってアマチュアだ。
プロが負けて恥ずかしくないのか!(長崎新聞 2009年10月26日付の記事より)
と、一喝したこともあった(この時の試合は0-3と負けていた)。
もちろん、アマチュアチームに対して圧勝していた試合もあったものの、相手が何処であれ、結果的に波の高低が激しかった故の順位だったと言える。一方で、フロントはフロントでホームスタジアムの問題をJリーグ側から指摘され、リーグ成績以前の問題も観えた1年であった。
2010年にザスパ草津の監督であった佐野達が監督に就任(鬼軍曹と呼ばれているらしい)。
その佐野監督が「自由にやらせてもらっていて、とってもやりやすい」と述べることも有ってか、開幕2戦を連勝で飾る。その後も引き分けや負けも込んだりしてたものの、徐々に佐野監督が目指すサッカーがチームに浸透していく。特に選手たちが自分たちがやっているサッカーに手応えを感じるようになり、最終順位も前シーズンから大きく跳ね上がって5位となった。
しかし、結果的にJ2昇格が出来なかったために、小嶺忠敏社長は退任することとなった。
2011年、Jリーグ昇格に向けてフロントは体制を一新。前シーズンの課題であった決定力不足に加え、下位チームに負けるなどの終盤での勝負弱さが露呈してしまう。それでも最終成績を5位とし、前シーズン引き続き上位に伸し上がった(何処の鳥取だよ…とか言ってはいけない)。
2012年、開幕からスタートダッシュに成功すると、終盤に猛追をかけたSAGAWA SHIGA FCと中盤から優勝争いすることになるAC長野パルセイロを最終節前に振り切って、悲願のJFL初優勝を飾り、J2リーグ昇格が決定する。奇しくも、JFL初参入で同期だったFC町田ゼルビア(J2で22チーム中最下位でJFL降格)と入れ替わりで昇格することになった。しかし、J2昇格後も指揮をとる意欲満々だった佐野監督の解任が昇格報告会後に突如発表される。これに不満を持った選手会がフロントと話し合ったが、平行線のままに終わり、佐野監督の退任が正式決定した。
迎えたJ2初年度の2013年は、地元出身でJ2クラブの指導歴も豊富な高木琢也を監督に据える。初勝利は第4節だったが、そこから11戦負けなしの快進撃で順位を一気に押し上げ、一時は2位とJ1自動昇格圏内にまで入る。後半戦は勢いが落ちたものの、アウェイでのガンバ大阪戦で勝利を挙げるなど勝ち点を積み重ね、J1昇格プレーオフ出場となる6位でシーズンを終えた。プレーオフは3位だった京都サンガF.C.と0-0のスコアレスドローに終わり、規定で引き分けの場合は上位チームが勝ち上がることになっていたためにここで涙を呑むこととなった。とはいえ、初めてのJ2で見せた快進撃は多くのサッカーファンに驚きを与え、賞賛を呼んだことだろう。
2014年も序盤は好調で前年の快進撃の再現を期待されたが、怪我人が続出するようになってから失速してしまい、14位に終わる。
2015年も開幕から好スタートを切り、第17節まではJ1昇格圏の順位をキープする。中盤戦に入って失速するものの、34節にプレーオフ圏内に再浮上を果たすと、最終的に6位でフィニッシュし、2年ぶり2度目となるJ1昇格プレーオフに進出。プレーオフでは準決勝でアビスパ福岡に敗れ、敗退。
2016年はJ2昇格後初めてとなるスタートダッシュに失敗し、第2節で清水エルパルスに敗れて以降11試合未勝利という泥沼にはまり、一時は最下位にまで転落する。高木監督解任の声も出始めたが、チームはそこから何とか盛り返し、プレーオフ争いに加わるようになる。ところが、終盤戦に入って勝てない試合が続き、結局15位と過去4年間で最低の順位に終わる。この年の決算で1億4000万円の赤字見通しを示し、経営不振に陥っていることが明るみになる。
2017年2月、前年度の経営不振からJリーグの監査を受け、池ノ上俊一社長を含め役員全員が辞任。その後、旧経営陣による不正会計や入場者数の水増しが発覚する。3月にジャパネットたかたの完全子会社となり、ジャパネットの創業者・髙田明が代表取締役社長に就任する。
経営面のゴダゴダがあっての開幕となったが、チームは序盤戦から中盤戦にかけて上位争いの混戦の中に入り込み、前半戦を4位で折り返す。後半戦も大きく崩れることはなく安定した戦いを続けていたものの、第27節の時点では自動昇格圏の2位アビスパ福岡との勝ち点差は11に広がっていた。しかしここから5連勝と3連勝を含む12試合無敗の快進撃を見せたのに対し、福岡は6試合未勝利と調子を落としたこともあって第37節でついに2位に浮上。終盤戦は長崎、名古屋グランパス、福岡の三つ巴の2位争いとなるが、クラブ史上最多でスタジアムの収容可能人数を超える22,407人の観客を集めた第41節のカマタマーレ讃岐戦で唯一JFL時代から在籍する前田悠佑の勝ち越しゴールによって勝利。これによってシーズン2位が確定し、J2昇格から5年目にして初のJ1昇格を成し遂げた。
J1リーグ初参戦となる2018年は徳永悠平、鈴木武蔵、徳重健太らを補強。J1仕様に準備を進めていたが、蓋を開けると開幕から6試合未勝利と苦戦。しかし、第7節の清水エスパルス戦で初勝利を飾ると、そこから4連勝と巻き返しを見せ、15位でワールドカップによる中断期間に突入する。ところが、再開後のリーグ戦では思ったように勝ち星を挙げられず、5連敗を喫したことによって最下位に転落。第32節の横浜F・マリノス戦に敗れ、その後町田ゼルビアのJ2リーグ4位が確定したことで1年でのJ2降格が決定。結局リーグ最下位に終わったが、勝ち点30は2005年以降のJ1最下位チームの中では最多であった。降格決定の翌日、6年間指揮を執ってきた高木琢也監督の退任が発表される。
1年でのJ1復帰を目標に2019年、元リオデジャネイロ五輪代表監督である手倉森誠が監督に就任。さらに元日本代表の玉田圭司が加入。しかし、開幕から不安定な戦いが続き、呉矢大将が日本人リーグトップの22ゴールを記録したものの、12位で終了。
2020年は開幕4連勝からの9試合負けなしというロケットスタートを切り、首位に立つ。しかし、第10節で徳島ヴォルティスに初黒星を喫して以降は足踏みが続き、中盤戦以降は徳島と福岡を追う立場となる。大事な終盤戦で取りこぼしが目立ったことから2強との差が広がり、3位でシーズンを終了。J1昇格は果たせず、シーズン終了後に手倉森は退任となる。
2021年は元ヴィッセル神戸監督であり、前年からコーチを務めていた吉田孝行が監督に就任。しかし前年とは対照的にスタートダッシュに失敗し、5月3日に吉田監督は解任。後任にはチームダイレクターの松田浩が就任。守備組織の構築に定評のある松田監督によって課題の守備が改善されたことで息を吹き返し、一時は3位にまで上昇する。しかし、最後のところで勝ち点を伸ばせず、4位でシーズンを終える。
2022年もスタートダッシュに失敗し、一時は降格圏にまで低迷するも21節の時点で5位にまで浮上する。ここでフロントは監督に初の外国人監督であるファビオ・ガリーレに交代させる。しかし8月から調子を落とすと、残り5試合で4連敗を喫したことでプレーオフ進出の可能性も消え、11位に終わる。12月、高木琢也が代表取締役CEOとしてチームに復帰。
2023年は昇格時の立役者となったフアンマ・デルガドが5年ぶりに復帰。開幕連敗、4試合白星なしとスタートで出遅れるが、第5節以降はフアンマがゴールを量産したこともあって白星を重ね、昇格争いに加わる。しかし、上位勢との対決では力負けしてしまい、ライバルに差をつけることができず。最終節までプレーオフ進出の可能性を残したが、勝ち点2届かず、7位に終わる。なお、シーズン26ゴールを決めたフアンマはリーグ得点王に輝く。
2024年シーズンもカリーレ監督が続投することが決まっていたが、突如カリーレ監督がサントスFCの監督に就任することが発表され、一方的に契約の打ち切りを発表される事態となる。そのため、急きょ前大分監督の下平隆宏がヘッドコーチに就任し、暫定的に指揮を執ることになる(詳細は下記に記載)。そして2月15日に下平が正式に監督に就任することが発表される。
10月よりジャパネットホールディングスが事業主となった長崎スタジアムシティの完成に伴い、新本拠地としてPEACE STADIUM Connected by SoftBankを利用するようになる。
リーグ戦ではスタートダッシュにこそ失敗したものの、リーグ最多の74得点を記録した攻撃陣を擁したチームは清水エスパルス、横浜FCと自動昇格圏争いを繰り広げる。特にマテウス・ジェズス、エジガル・ジュニオ、マルコス・ギリェルメ、フアンマ・デルガドの外国人4人で55ゴールを稼いでいる。第21節には首位に立つが、第24節から7試合未勝利と調子を落とし、自動昇格圏から引き離されてしまう。それでも終盤に調子を取り戻し、2位の横浜FCを猛追するが、最終節で勝ち点1及ばず、3位でプレーオフへ回ることとなる。
圧倒的優位な立場で挑んだJ1昇格プレーオフだったが、ホームで6位の仙台を相手によもやの1-4の大敗。この結果、J1昇格のチャンスを逃すことになる。
2025年はJ1王者神戸の主将だった山口蛍が加入。J2屈指のタレントを揃えた攻撃陣を武器に開幕6試合無敗と好スタートを切るが、第7節からの3連敗を含む7試合未勝利と大きく躓いてしまう。折り返し時点で8位と低迷したことから6月16日に下平監督との契約を解除し、高木琢也代表取締役CEOが兼任という形で6年ぶりに監督に復帰。
※備考欄は【完】=完全移籍での加入、【レ】=レンタル移籍での加入、【復】=レンタル先からの復帰、【新】=新任の監督、【昇】=トップチーム昇格、【卒】=新卒での加入、【特】=特別指定選手、【2】=2種登録、【H】=ホームグロウン選手
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最終更新:2025/12/13(土) 03:00
最終更新:2025/12/13(土) 03:00
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