解説と要目(?)
(●)1、不作為が“セーフティノーマルポジション”であること‥‥(??)
(●)2、“一般的な悪”を宗教的義務と分離できる教義であれば、
悪を為さない者は、宗教的裁きを免れるかもしれない‥‥??
(●)3、人間には“神は分からない”‥‥如何様な態度や供物を望むか、その根本理由とは‥‥
しかし、神が祈りを強制するのと、神が悪に臨める規律を
望むのとは話が分かれているかもしれない‥‥??
(●)4、宗教は対立しており、少なくとも、どれかは本物で、どれかは誤りだとしたら、
単純に宗派の数から云って、真実が一つならば嘘の宗教のほうが多そうである…?
(●)5、神は必要なら、伝えるだろう、全部を伝えなくても判る(試す)場合に、
宗教に辿り着くことを望んでいるのだろうか、宗教を
対立させる前に、これがと指定する形で、宗教の迷いを取り去るのでは…?
(●)6、宗教を選ぶための(全体を俯瞰する宗教間の)メタ教義の無い伝統宗教から、
人が惑わされずに正しい宗教を見極める道程は無駄かつ、其々が
元祖・本家の如く壮大に神々しいのに、そこから“探し取った者”だけが
極楽的天国に召されるという別の物語が表立たずに厳然と在るのでは…?
(●)7、宗教(そして必要告知)の問題以外では、「義務の捏造支配」と、
「自由を主張できる環境」に“論”が及び、当初からの再びで
全方位的懐疑に至り、回帰を経て疑惑の芽が強化されるべくの
促しの構成を採っている積もりである‥‥??
(●)8、そもそもこれをすべきとの“荷重ベース”にしても、疑いえない出発点から
根拠づけに立脚できない‥‥無信教ならば尚更「義務」は立てるヨスガが無く、
本人契約を含む結果責任(出産、加害には
補償)からしか出て来ないのでは‥‥??
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